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文節に区切ってください

Nakay702の回答

  • Nakay702
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回答No.8

補足を拝見しました。 >A法:「と」3が接続詞であるならば、何の問題もありませんね。 「と/強調する/理由は/もう/一つ/ある/」と区切れると思います。 しかしながら、使用している中学国文法の参考書には「と」という接続詞は見当たりませんでした。 (今回中学生用の教材から拾って質問しています)。 ⇒この「…ね。と強調する」部分の解釈は、確かに悩ましい問題ですね。『国語学辞典』(国語学会編)は、この種の用法は自立的に用いられる接続詞とは異なるとして、《接続助詞》と呼んでいます。また、山田孝雄は「下に来る語の意味を修飾する副詞と共通するところがある」との観点から、これを《接続副詞》と名づけています。つまり、一言で言えば、専門家もいろいろ迷っている、ということのようです。それで上掲書は、「将来の研究を要するところが多い」と結んでいます。 >準接続詞(自立語)と解釈する。 も失礼ながら歯切れが悪いような印象で、中学生には説明しずらいですね。 ⇒図星です。私の勝手な解釈ですから、先に仰せのとおり「中学国文法の参考書にも」見当たらないこともさることながら、「歯切れが悪い」ことも否定できません。「準」接続詞としたのは、ちょっとそのへんに譲歩したつもりでした。とはいえ、実は、私は、「と、そして、しかし、だが、または」などの語は、独立の品詞《接続詞》として立てるべきではないかと常々感じていましたので、(何の前置きもなく)実行してしまったというのが偽らざる実状です。ただし、必ずしも、全く理由がないわけでもありません。というのも、softwindさんが問題として取り上げたテキストの発話者(池内了先生*)も、この「と」(3)を接続詞として意識し、用いているに違いないと直感したのです。 *池内了先生(阪大教授)は、大好きな先生です。かつてNHKで10数回シリーズの天文学講座を担当なさったことがあり、興味をもって全部録画したことを記憶しています。 つまり、池内了先生の「個人語的用法」(idiolect)を親しく感じて、それに共鳴したわけです。ですから、これは私の個人語的用法でもあります。とkろで、文法的説明は、現実の実用の後追い(統計)ですね。したがって、実用が変化すればそれに適合する説明も変化させることが必要になる(はずなのに、辞書的には追いついていない状況なのだ)と考える次第です。言語は一面心理的存在ですので、表現上の不具合があれば、いち早くそれを感知し、それを自分なりに修正して用いることがあり、そして、世間的には「誤用」と認識されてしまうことがあるかも知れません。本件はまさにそれに当る例でしょう。しかし私は個人的に、これを単なる誤用として片づけてはならないと思います。しかも、しばしば、こういう個人語や俗語が言語の変化を牽引することがあります。 >B法の格助詞説は 広めたいと/思って/いる。と/強調する と区切れるならありかもしれませんが、句点も段落も無視して良いという話しになってしまいますね。 ⇒仰せの、「広めたいと/思って/いる。と/強調する」という区切り方は、A法と同じ区切り方ですね。私がこのB法で意図した区切りは、「広めたいと/思って/いる。と強調する」とするもので、つまり、「句頭接辞」を念頭に置いてのことです。ただ、用法的な違いがあります。「か細い、そ知らぬ」の「か」や「そ」と、「と強調する」の「と」とは全然意味素性が違いますからね。ともあれ、私はこのB法はあまり重視していません。A法が本命と考えています。ですから、B法の話からは、ここで一旦打ち切ります。 上述の個人語的用法を敷衍する格好になりますが、「言語は自らを治療する」と言います。言語は、何らかの不都合やゆがみが内部にあると、これを修正しようとする要因がわき出してきます。これを「誘因」と呼ぶならば、これに呼応する人間の側の修正欲求は「動因」と呼ぶことができます。時系列に沿って見る言語の実体は「通時態」と呼ばれ、一時期を輪切りにして体系全体を見る場合は「共時態」と呼ばれます。現代における共時態は、通時態の現在的帰着点ですので、当然その共時態の内部だけで体系的説明ができなければなりません。その意味で、辞書や文法書はつねに時代遅れになります。我々としては、眼前の共時態が示す実体を、何らの付帯条件なしに体系づけなければならないことになります。上述の個人語の発想は、これに呼応した見方であると思うわけです。 >「多分に主観的独断」とおっしゃいますが、僕には勉強になります。 中学生向けに?それを先に言ってよとお𠮟りを受けそうですが、引き続きそれでお願いできますでしょうか。 ⇒自然は連続していますが、言語では不連続にしか表せませんね。常に「分節」によってしか表現できません。濃い灰色と薄い黒色の分かれ目であっても、どちらかに振り分けなければならないことになります。ですから、「白牡丹といふといへども紅ほのか」(高浜虚子)という名句は、実に「うべなるかな」です。 昔、著名な国語学者が、授業中の高校生から「は」について、《この「は」本当に主語を表していますか》という質問を受けたものの即答できず、宿題にさせてもらいましたが、それでも答えが出せず、大学院に戻った、という話を聞いたことがあります。彼もまた、連続態を疑似的ながら不連続態に移し、グラデーションの連続部を一刀両断で二区分し、アナログ的様態をディジタル仕様の表示に変えるなどしながら、現代的共時態の体系化に苦悩したに相違ありません。まして、我々(いや、言い換えます)私ごときが、このような区分問題の、多肢択一に迷わないではいられません。それが実態であります。 以上、ほとんどお答えになりませんが、補足へのご返信まで。

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