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朝日新聞阪神支局

こんにちは。 事件は1987年の今日、午後8時15分頃に起きました。 朝日新聞阪神支局襲撃事件です。 2階の応接室ソファーで休んでいた小尻記者は散弾銃に倒れ、亡くなりました。 現在は3階が資料室となっているそうですが、事件のあった2階は使用されているのでしょうか。

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  • SPROCKETER
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回答No.1

事件が起こった場所が今ではどうなっているかは知りませんが、当時の世相が原因の事件だったように思います。 80年代バブルだった当時はマスコミ報道と現実の落差が大きい時代だったと思います。マスコミが八方美人の報道しかおこなわないのに対して、現実は所得格差が広がり、情報革命の余波で雇用問題が深刻化していて、現実から乖離した報道をするマスコミに対する不満が渦巻いていた時代でもあります。 そうした不満を新聞社にぶつけている人は昔からいましたが、バブルの頃は鬱積した不満が大きかったように思います。スペースシャトルが大事故を起こしたり、チェルノブイリ原発事故が起こったり、ソ連でペレストロイカが始まったり、世の中が急変するのに追い付けなくて、不満のやり場に困っていた人が多かった時代だったように思います。 朝日新聞阪神支局が銃撃されたのも、マスコミが真実を隠して報道しないとか、知りたい情報を流そうとしないので、マスコミを敵視し、真実を知りたい欲求が強かった時代だったように思います。 インターネットが無かった時代だったので、議論の場が無く、マスコミが標的にされた事件だったのでしょう。今でも出版界の体質は同じですが、権力の言いなりで、真実が報道されないとか、八方美人体質が強いのは変わっていません。 そういう世相に対する怒りや焦りが元で起こった事件だったのではないかと思いますね。

sora_iro1881
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね。 朝日新聞の報道の在り方に不満を持つ犯行だったのかもしれません。 小尻記者は29歳でした。 一人娘さんは当時、2歳だったのかな? 犯人は、小尻記者の生命と、娘さんからは父親を、奥さまからは何年も寄り添えるはずの頼りになる夫を永遠に奪いました。 小尻記者と共に襲撃された犬飼記者は、左胸にボールペンと財布を入れていたので盾となり、散弾粒の鉛の粒が心臓まで2ミリの所で止まって一命を取り留めました。 もうひとり、高山記者は無傷だったそうです。 小尻記者の優しい笑顔の写真が悲しみを誘います。 何年たっても、5月3日には思い起こします。 回答ありがとうございました

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