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対偶が正しいのは経験的なものですか?

間違っている可能性がありますが、数学的に正しいと言われているのは、種類は二つあると思っていていまして、証明はできないが経験的に正しいものと、証明ができ、完全に正しいと言えるものです 証明はできないが経験的に正しいものの例としては、偶数 * 偶数を一つ一つ計算して、正しいと言えるかどうかを判断されているものです 2*2 =4 6 8 10 12 と何度計算し直しても、偶数になりますが、これは完璧に正しいものとは言えません なぜなら、偶数に当てはまる数を全て計算したわけではないので、命題 偶数 * 偶数=偶数が絶対に真であると言えないからです(あくまで例です) 証明ができ、完全に正しいと言えるものの例として、定理と言われているものです 質問タイトルの”経験的なもの”というのは、前述で説明した”証明はできないが経験的に正しいもの”という意味です

みんなの回答

  • asuncion
  • ベストアンサー率33% (2126/6288)
回答No.2

ちなみに本題の >対偶が正しいのは経験的なものですか? これは、経験的なものではありません。 元の命題とその対偶の両方の真理値表を書いてみればよいです。

  • asuncion
  • ベストアンサー率33% (2126/6288)
回答No.1

>証明はできないが経験的に正しいものの例としては、 >偶数 * 偶数を一つ一つ計算して、 >正しいと言えるかどうかを判断されているものです 経験的に正しいのではなく、証明できますよ。 m, nを整数として、2つの偶数を2m, 2nとおく。 この2つの整数の積は 2m * 2n = 4mn = 2 * 2mn ... ① m, nは整数だから、2mnは整数 よって①は2 * (整数)の形をしているから、必ず偶数。(証明終)

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