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明治30年代に一番偉かったのは天皇なら二番目は?
誰ですか? 昭憲皇太后ですか?
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- D-Gabacho
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質問の「偉かった」をどう解釈するかにもよるとは思いますが、身分・地位の上下と、権力・権利関係の上下は別問題で、わたしは「偉かった」を身分・地位の上下の問題と解釈しています。 たとえば、現憲法下では主権は国民に存するとされており、国民はその権利を行使することによって、原理的には天皇制を廃止することさえ可能です。国政に関する権能を有しないとされる天皇や皇族には、異議申し立てはおろか、選挙で投票する権利すらありません。権力・権利においては、天皇・皇族より国民が上だといってよいと思います。 その一方で、身分・地位においては、日本国の象徴とされる天皇は、明らかに国民よりも上に位置づけられています。不敬罪が廃止されて久しい令和の時代にも、ニュースキャスターは天皇・皇族関係の報道では、ほかでは絶対使わないような敬語を使ってしゃべります。 女性皇族に皇族会議の参加資格がなく、摂政就任順位が男性皇族最下位の王より低いことは、現憲法下で天皇・皇族に国政に関する権力・権利がないことと同様、身分・地位の上下とは別問題です。身分・地位の上下に関していえば、憲法発布式のような公の場で座席を用意され天皇に準ずる扱いを受けている皇后と、その他大勢の男性皇族といった位置づけで集団で立っている親王・王とでは、皇后のほうが上位に扱われているのは明らかだと思います。 ちなみに不敬罪においても、天皇・皇后などと親王・王などの一般皇族とは扱いが違っていて、天皇・皇后・皇太子などへの不敬行為が「三月以上五年以下ノ懲役」なのに対し一般皇族は「二月以上四年以下ノ懲役」とされています。 なお、明治30年1月11日まで存命だった英照皇太后に関しては、たしかに、皇太后より皇后が上位と公式に定められたのは明治43年の皇族身位令からなので、明治30年代のうち最初の11日間は英照皇太后のほうが「偉かった」とするべきかもしれません。 明治天皇の生母で従一位の中山慶子は、皇族はなく女官です。昭憲皇太后は入内する直前の叙位では従三位ですが、入内し皇后になった時点で、天皇がそうであるのと同様、人臣の序列である位階とは無縁の超越的地位にあります。
- pri_tama
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>天皇と同じ陛下の敬称で呼ばれることも考えると、やはり、天皇に次ぐ地位にあったのは皇后では? それを言い出すと明治30年だと英照皇太后(明治天皇の嫡母)や中山慶子(明治天皇の実母 従一位まで昇叙[昭憲皇太后は、従三位])が生存しており皇后は女官としても最上位ではありません。 (皇后が最上位になるのは、明治43年の皇族身位令のあと。) あと、皇室典範(第二十一条)では、摂政就任順位では親王あるいは王の身位にある者が皇后たる者より優先すると規定されています。 (これは現代の皇室典範でも同じ。) また、立后を含め皇族の地位(皇太子の廃位も可能)は、皇族会議での詮議を経る事[実例は無いが廃后も可能]に成っており、皇族会議に参加資格がない女性皇族は、男性皇族より劣ります。 (天皇は、通常最先任皇族を皇族会議の議長に指名し、その判断を尊重する。)
- D-Gabacho
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https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/collection/features/digital_showcase/055/10/ 上の「憲法発布式之図」(明治22年)を見ると、正面中央の壇上に座席が設けられているのが天皇、その右横の一段低い壇上の座席が皇后です。 座席が用意されているのは天皇・皇后だけで、そこに両者の地位の特別さが端的に表れています。 天皇と同じ陛下の敬称で呼ばれることも考えると、やはり、天皇に次ぐ地位にあったのは皇后では?
- pri_tama
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明治30年時点での宮中席次第二位だったのは、小松宮彰仁親王です。 (陸軍大将で参謀総長兼征清大総督) 小松宮は、明治28年に彼以外では、明治天皇しか佩用できない大勲位菊花章頸飾を与えられています。 (皇太子で後の大正天皇ですら、この時点では大勲位菊花章頸飾を与えられておらず、席次的に上席を譲らなければならない。) ちなみに伊藤博文や山県有朋などは、日露戦争後である明治39年に与えられております。 (この時点で伊藤や山県は内閣総理大臣を選定する権限が有る元老だったにもかかわらず…。) 今上陛下や上皇陛下は、皇位継承するまで佩用出来なかった事からも分かるように、大勲位菊花章頸飾は最上位の勲章になります。 (天皇に次ぐ[あるいは準ずる]待遇。) ちなみに戦後は、内閣総理大臣を極めて長期間務めた者(吉田茂、佐藤栄作、中曽根康弘)に没後受勲となり、外国元首以外は生前に受勲はほぼ不可能と言われています。 太皇太后・皇太后・皇后の三后(三宮)は、明治の宮中席次に規定が無いのですが、江戸時代以前の公家社会では、臣下である摂関職(常設)より下位の扱いに成っていました。
- eroero4649
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大日本帝国では、女性に決定権はありません。なので例えば天皇が亡くなったときに皇后が政務を行うというようなことはありません。 じゃあ二番目となると皇太子か、あるいは内閣総理大臣になるのかなと思って私もウィキペディアなどで調べてみました。 結論から先にいうと「よく分からない」でした・笑。 普通に考えれば、政府のトップである内閣総理大臣が二番目かなと思います。ところが大日本帝国には「統帥権」というのがあるんですよね。陸海軍は内閣の干渉を受けないで、天皇の直接権限下にあるとされているのです。つまり、内閣総理大臣は帝国陸海軍を動かせないのです。陸海軍はあくまで天皇の命令で動くのです。 じゃあ、天皇に何かがあって軍隊に命令が出せなくなったら誰が軍に命令を出すのか。 そこが、分からなかったのです。大日本帝国憲法には「国務大臣が輔弼する」とされているだけみたいで、曖昧でどこまでの権限があるのか全く規定されていないのです。 現実の歴史でどうだったかというと、大正天皇がちょっとアレなお方だったので昭和天皇が皇太子時代に摂政宮となって政務を行ったということがありますので、天皇が緩やかに政務能力を失った場合は皇太子が摂政宮となって代行するということになるかと思います。 そして万が一急逝するようなことがあったら、皇位継承権を持つ誰かが即位して、その天皇が政務を行うということなのだろうなと思います。
- D-Gabacho
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おっしゃる通り、当時皇后の昭憲皇太后だと思います。