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明治三十年代の兵役について

明治三十年代の兵役について調べています 兵役(常備軍)は三年間だったそうですが、その間に里帰りが許されることはあったのでしょうか?

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  • Kittynote
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回答No.2

当時の法令(陸軍省令等)からアプローチしてみました。 <国立国会図書館デジタルコレクション>にて http://dl.ndl.go.jp/ キーワード「法令全書」で検索した結果、全30頁(595件)ヒット、 そのうち17~23頁(321-460件目)の間の『法令全書』(慶應3年~明治43)の中から、 明治29年~明治41年に絞って各年索引(リ「陸軍」)から調べてみましたところ、 「陸軍軍人休暇規則」(明治29年7月8日陸達第118號)」改正、 「陸軍軍人休暇規則」(明治34年8月8日陸達第52號)」改正、 「陸軍軍人休暇規則」(明治41年12月18日軍令陸第21號)」改正と続く流れから、 概ね明治30年代前半は明治29年7月8日改正規則、後半は明治34年8月8日改正規則が 各々適用されることがわかりました。ほか関連事項としては、 「動員部隊ニ屬スル陸軍軍人休暇規則」(明治37年5月3日陸達第95號)新設、 「動員部隊ニ屬スル陸軍軍人休暇規則」(明治38年3月3日陸達第13號)改正など。 上記から、先ず明治29年7月8日改正規則を確認してみますと、 〇『法令全書.明治29年/内閣官報局/明20-45』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788001/87 「陸軍軍人休暇規則(明治二十九年七月八日陸達第百十八號)」 <87~89/488>(173~177頁) 軍人の休暇は賜與休暇(第1條第1號)と請願休暇(同2號)に分かれ、 賜與休暇は定例休暇(第2條第1號)・慰勞休暇(同2號)・褒賞休暇(同3號)の三種。 定例休暇は軍隊・校團では支障無き時期、夏期を例として、毎年賜與、 官廨では毎年七月上旬より九月下旬の間に支障無き者に賜與(第3條)。 定例休暇の日数は、准士官以上は三週日以内・下士は二週日以内、 但しこの日数は数回に分割して賜與することを得(第4條)。 慰勞休暇(第5條)は隊長など一部の役職者に賜與され日数も僅か。 褒賞休暇(第6條)は「下士以下行狀方正勤務勉勵にして且つ学術技芸に熟達し他人 の模範となるべき者」に臨時賜與されるもので一箇月に一日。 請願休暇(第7條)は准士官以上は単に帰省目的も許され、その日数は往復を除いて 四週日以内(同第1號)に対し、下士以下は「父母病気又は死亡等にて帰郷」限定で 親族の出願も必要、日数は往復を除き二週日以内(同2號)。 なお「外國駐剳ノ諸隊ニ在テハ疾病ニ依リ轉地療養ヲ爲スモノヽ外本條ノ休暇ヲ許 サヽルモノトス(同4號)」から外国駐屯部隊には、転地療養以外の請願休暇は許可 されないことがわかります。 また「各種ノ休暇ハ掌務繁劇ナルトキハ賜與又ハ許可セサルコトアルヘシ 休暇中 動員ノ令下リタルコトヲ聞クトキハ直ニ其所屬ニ復歸スヘシ」(第12條)とも。 あと「准士官以上ハ定例休暇中竝慰勞休暇中トモ便宜歸省旅行等ヲ爲スコトヲ得 但豫メ其行先ヲ直屬ノ長ヘ届出ヘシ」「下士ニ在テハ定例休暇中ニ限リ官司ノ長若 シクハ直屬ノ長又は團隊長ノ許可ヲ得テ歸省旅行又ハ外泊ヲ爲スコトヲ得」 「外國駐剳ノ諸隊ニ在テハ本條ノ歸省旅行等ヲ許サヽルモノトス」(以上第13條)。 「下士以下父母病氣又ハ死亡等ノ爲メ本人ノ歸鄕ヲ願フトキハ親族ニ於テ願書ヲ作 リ病氣ナレハ醫師ノ診断書ヲ添ヘ市町村長特別市制施行地ハ區長ノ奥書證印ヲ受ケ 本人所屬ノ軍隊又ハ官衙ニ差出シ之ヲ許可シタルトキハ其指令ハ本人ニ下付スヘシ」 (以上第17條)。 以上から、明治29年7月8日改正規則では、 准士官以上は定例休暇(三週日以内)・慰勞休暇(三日以内又は一日)・請願休暇<※ 外国駐屯諸隊を除く>(四週日以内)の何れかの許可、 下士は定例休暇(二週日以内)の許可で帰省が可能なのに対し、 下士以下(下士・兵卒)は「父母病気又は死亡等にて帰郷」「往復を除き二週日以内」 限定のため、下士以下のうち兵卒の帰省は請願休暇「父母病気又は死亡等にて帰郷」 以外の選択肢はなかったようです。 続いて、明治34年8月8日改正規則を確認してみますと、 〇『法令全書.明治34年/内閣官報局/明20-45』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788022/371 「陸軍軍人休暇規則(明治三十四年八月八日陸達第五十二號)」 <371・372/480>(342~345頁) 旧第1條・第2條が「第1條」に一本化、「第2條」では旧「三週日以内」「二週日以内」 表記を「二十一日以内」「十四日以内」と変更、また定例休暇旧2区分のところ、 「第2條第2號・3號」にて下士を「長期・短期」区分して3区分、新たに「短期下 士 七日以内」新設。慰労休暇旧2区分のところ、「第3條第1號・2號・3號」にて 日数を「三日以内・二日以内・一日」に3区分。 請願休暇の「第5條第2號」では「(旧)下士以下ハ父母病氣又ハ死亡等ニテ歸鄕→ (新)下士兵卒ハ父母重病又は死亡ノ爲歸鄕」に変更など。 ほか「第12條」では「下士兵卒ハ休暇日數二日以上ニ渉ルトキハ行狀方正勤務上ノ 結果優秀ナル者ニ限リ所屬長官ハ特ニ旅行又ハ外泊ヲ許可スルコトヲ得」が明記さ れたことで、兵卒の場合明治29年7月8日規則では「父母病気又は死亡等にて帰郷」 のみ許可されたに過ぎなかったのが、明治34年8月8日改正規則では通常の休日(例 えば、日曜日・祝祭日)と一箇月に一日の褒賞休暇(第4條)等とで二日以上の連休が 生じる際には、旅行・外泊の許可を受け得る状況にはなったようですが、 当時の交通事情を思えば、帰省先が余程近距離の者(兵卒)でない限り帰省までは 無理だったように思います。 また旧第13條で「外國駐剳ノ諸隊ニ在テハ本條ノ歸省旅行等ヲ許サヽルモノトス」 と外国駐屯諸隊には請願休暇での帰省旅行等が不許可だったのに対し、 新「第13條」では旧12條の「休暇ハ勤務繁劇ナルトキハ許與セサルコトアルヘシ」 を踏襲した上で「臺灣若ハ外國ニ駐在スル者ハ疾病ノ爲轉地療養ヲ要スル時ノ外 定例休暇及請願休暇ヲ許與セサルコトアルヘシ」と改正されたことで、 台湾・外国駐在者に対しても請願休暇(※定例休暇は旧規則でも認められていた)の 許可を受け得る方向に緩和されたようです。 以上の如く、明治29年7月8日規則と明治34年8月8日改正規則とでは一部の緩和点も 見出せますが、大筋では変更がないため、兵卒の帰省に限れば旧規則と同様に 請願休暇「父母重病又は死亡等にて帰郷」「往復を除き十四日以内」以外 ほぼ選択肢はなかったといえるようです。 なお字数制限のため「動員部隊ニ屬スル陸軍軍人休暇規則」 (明治37年5月3日陸達第95號)新設&(明治38年3月3日陸達第13號)改正の件は 下記のとおりURL貼付に止めました。 〇『法令全書.明治37年/内閣官報局/明20-45』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788036/330 <330・331/545>(277頁1行目~278頁1行目) 〇『法令全書.明治38年/内閣官報局/明20-45』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788042/10 <10/744>(19頁10~17行目) 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17102)
回答No.1

もちろん無条件に許されていたわけではありませんが、親の危篤など状況によっては個別に許可が下りたこともあります。

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