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説教したい欲が強い人が老害になる?
- 他人に上から目線であれこれ言いたがる人が老害になる理由について考えてみました。
- 説教欲が強い人は、年齢を重ねるにつれて老害となる可能性があるのでしょうか。
- 説教することが好きな人にとって、他人に説教することは楽しいのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
「説教されるのが好きな人」などまずいないでしょうね。60代後半の回答者も若いころは特にそうでした。とりわけ「説教しているようで実は自分の自慢話をする人」は大嫌いでした。ただこれと一見同じようで異なるのが、「自分の失敗経験から学んだことを教えてくれる人」で、これは役に立ちました。先輩や上司は「新人より多くの失敗も経験した人」だったからです。 その後、自分が職場のリーダーや管理職になると「指導の難しさ」を痛感することになりました。「一を聞いて十を知る」タイプもいれば、「十を聞いて一しかわからない」タイプもいます。難しいのは前者が優秀で後者が無能だと一概には決めつけられないことで、理解は速いが浅く、思い込みで突っ走って失敗しがちな性格の者もいれば、時間がかかるが理解が深く、じっくり判断してミスが少ない性格の者もいました。、それぞれの能力・性格に応じた適切な指導が必要だというのは当たり前ですが、その「当たり前」が難しいことを思い知らされました。 ご指摘の通り自発的に考えさせることが大切であることはいうまでもありませんが、多くの場合、その人に合った「きっかけ」や「てがかり」を与えて、やる気を引き出す必要がありました。「育成」と「実績」の両立が必要で、妙なたとえですが、「自動車学校の教官をしながらタクシー会社を経営しているようなもの」ではないかとも考えました。どちらか一方だけでは職場はうまくいかないということです。もちろん一人で兼務しなければならないわけではありませんが。 また職場にパソコンもワープロもインターネットもなかった時代に仕事を覚えた世代と、物心ついた時からそうしたものが身近に存在した世代との差も大きく、例えばメールと電話の使い分けについての考え方ひとつでも世代間で大きなギャップがあることに驚かされました。 「世の中の常識を教えた(指導の)つもり」が実は「古臭い考え方の押し付け(実は説教)」になっていないか、こうしたことには「単一の正解」がないだけに、大げさに言えば「自問自答の日々」でした。 昔話も、あまりに時代背景が異なると、こちらが伝えたい意図がうまく若い世代に伝わらないもどかしさがあります。この点を理解しないと「老害」と言われてしまうのでしょうね。
その他の回答 (3)
- izumi044
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老害は、新しい価値観をうまく受け入れられずに、古い価値観で生きたいと考えている人が陥りやすいように思います。 説教したい人は、認められたい人。 普通に接していても認められないので、相手に「認めさせよう」という気持ちが強くなると、説教に転じやすくなる気がします。 そこからもう少しこじらせると。 相手をやり込めることに快感を覚えたり、説教という名の自分語りが快感になる人もいるかもしれませんね。
お礼
ありがとうございました
- 4649trper
- ベストアンサー率28% (7/25)
あなたの文章が無駄に長いのと同じ理由です。
お礼
文章は見たくなきゃブラウザバックすればいいじゃないですか
- watanabe04
- ベストアンサー率18% (295/1598)
人を育てる。それが会社のため(利益)になる。 人は怒るのではなく、叱るのです。 ちがいは調べてください。 会社が儲かるとあなたの給料も増えますよ。
お礼
会社が儲かってうれしいのは役員だけです。
お礼
ありがとうございます