地獄の裁きとは? 仏教の考え方とは異なる場所に行くということはあるのか

このQ&Aのポイント
  • 「地獄の裁き」とは、仏教の思想において罪を犯した者が死後に生まれ変わる地獄のことです。
  • 人間は死後、閻魔と呼ばれる大王による裁きを受け、罪の重さに応じて地獄に落とされる場所が決まります。
  • しかし、天国や地獄に行くという考え方は仏教の中ではなかったので、人間が死んだら行くべき所は固定されていると言えます。
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ご質問です。 https://biz.trans-suite.jp/20492 「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.3

> 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。  いや、質問者さんが書かれている通り、閻魔様の裁きがないうちは、天国と地獄のどちらへ行くかは未定です。  浄土真宗によれば、人は死んだ直後に(閻魔様の裁きを待たず?)、阿弥陀様の導きで西方浄土(極楽)へ生まれ変わります。なので、参列者が葬式に持って行くのは「御霊前」ではなく「御仏前」です。  亡くなった方は、葬式の時点ですでに西方浄土に転生して、仏様になっていると考えているからです。  死後の事を悩んでも仕方ないと思いますが、不安なら、そういう宗教に改宗するのも一法でしょう。

hino681
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 確かに死んだ後の事なんて考えても仕方ないですよね・・・。

その他の回答 (2)

  • okok456
  • ベストアンサー率43% (2563/5910)
回答No.2

死後の天国地獄は無知な衆生を導くための例え話し「方便」のようです。 キリスト教でも共通するところですね。 無知な民衆、幼児を導くには効果的で、現代の高等教育を受けた私たちにも効果がありますね。 方便 https://kotobank.jp/word/%E6%96%B9%E4%BE%BF-132435 未顕真実 釈尊成道後四〇余年の間、種々の教えを説いてきたが、それらは、方便のためで、真実の法ではないと示したもの。「法華経」をもって、真実の法とする。 https://kotobank.jp/word/%E6%9C%AA%E9%A1%95%E7%9C%9F%E5%AE%9F-2084797 「現世」今が大事 現在は過去の結果であり将来は現在の行いで決まってくる。 「情けは人も為ならず。」も とは言えなかなか善行ばかりは行えいものですね。 私の好きな言葉を 「人間万事塞翁が馬」 映画「風と共に去りぬ」の追い詰められ混乱したスカーレットの Tommorow is another day の名訳「明日考えよう。」

hino681
質問者

お礼

回答ありがとうございました

  • agehage
  • ベストアンサー率22% (2549/11338)
回答No.1

信じる宗教によって違いますので、色々調べて1番嬉しい「あの世」を教えてくれる宗教を信じるといいです

hino681
質問者

お礼

回答ありがとうございました

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