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童謡「1ねんせいになったら」は101人?
- 童謡「1ねんせいになったら」の意味について疑問が生じました。動画で紹介されていた解釈が独特で、友達が100人いた場合、仲間の合計人数は101人になるという主張があるようです。しかし、この解釈には疑問が残ります。なぜ101人になるのか、理由を知りたいと思っています。
- 童謡「1ねんせいになったら」の動画を見て、解釈について質問があります。友達100人という条件で、主観的に見た場合の仲間の合計人数は101人になるという説がありますが、その根拠や意味について理解できません。なぜ101人になるのか、詳しく教えていただきたいです。
- 童謡「1ねんせいになったら」について質問があります。動画で紹介されていた解釈によると、友達100人がいる場合、仲間の合計人数は101人になると主張されています。しかし、この解釈は一般的な意味とは異なります。なぜ101人になるのか、詳しい説明をしていただきたいです。
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- SI299792
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百を文字通り 100と解釈すればそうなります。 百には、他に沢山という意味があります。そう解釈すれば、この歌詞は成り立ちます。 「百足(ムカデ)」足が 100本あるわけではない。 「百日咳」 100日咳をするわけではない。 まあ、99人や 101人では語呂が悪く、歌いにくですし。 この動画、笑った。1人神隠しにあったでもいいです。富士山へ行っているのだから、帰ってこなかった。
- yaasan
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この歌詞は個人的に ともだち100にん できるかな(?できないかな?) 100にん(ぐらい)で たべたいな という願望の歌だと思ってます。小学生になったばかりの子供が「ものすごく多い」というのを端的に表した数字が100だということかと。だから、別に100人友達ができたら、あとはどうでもいいとかそういうこともなく、一緒に学校に行く同級生がみんなともだちになったらいいな、という表現を数字を用いて表しただけだと思っています。だから、100人ぐらい友達ができて、その100人ぐらいのお友達と富士山の上でおにぎりを食べたい(おそらくみんなで楽しく遠足に行きたい)ということを表現しているのではないか、と思っています。
100人で食べたいな → 1人足りない 100人と食べたいな → 自分を含め101人 100人で食べたいな・・・100人で・・・なので 自分が足りなのでは?一人足りないのでは? と思うんですけど。
- asciiz
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お互いに定義が違う事を主張し合っているが故の食い違いかと思います。 A君に友達が100人出来た場合、「A君を含む友達グループ」の人数は101人となります。 相手はこの、「友達グループ」の意味で「友達」と言っているので、そこが101人だ、と言う発想になるのでしょう。 101人だと多いので5人で考えてみます。 A・B・C・D・E君、5人の友達グループがあったとして。 A君にとって、B・C・D・Eの4人はそれぞれ友達だ、と言うことですね。 しかしB君にとっては、友達はA・Cだけかもしれません。 C君にとっては、友達はA・Dと、さらにF・Gがいるかもしれません。 つまり、「Aと親しくなった人が4人」と言うことと、「Aが考える友達グループは(Aを含む)5人」というのは、どちらもAの主観と言えます。 さてそうすると。 「Aの主観において、(Aから見た)友達は4人だ」 と言う文と、 「Aの主観において、(Aを含む)友達(グループ)は5人だ」 と言う文は、カッコ内を省略しなければどちらも正確です。 しかしカッコ内を省略すると指しているものが曖昧になり、同じ状態であるのに文面上4人と5人で数字が違ってしまいます。 「友達」と言う簡単な言葉ですが、まずはその定義からしなければ議論は大きく食い違ってしまいます。 (自分を含むのか含まないのか、メンバー相互間の友人関係が必要なのか不必要なのか、など) …そんな感じでしょうか?