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明治から現在までの「お寺」について教えてください

明治辺りの廃仏毀釈から現代の永代供養、家族葬の発展までのお寺そのものの隆盛を教えていただきたいです。 特に、聞きかじったことはあるのですが、以下の言葉(トピック)についてざっと解説していただけたらと思います。 「廃仏毀釈」 「神仏分離」 「政教分離」 「農地解放」 「坊主丸儲け」 「地方都市のお坊さんは檀家に寄付ばかり募るくせに自分は高級車に乗って夜の街へ」 「東京のお寺は身入りが違うと言われる理由(土地を持っている理由)」 「石材屋へ名前を貸す『霊園ブーム』」 「若住職などの葬儀のアルバイト派遣」 明治から現代におけるお寺の立ち位置の変容の歴史を知りたいです。 よろしくお願いします。

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  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2182/4832)
回答No.1

>「神仏分離」 江戸時代まで続いていた「神仏習合」を廃止して、神社・仏閣を分けた。 それまでは、お寺内に神社があり「坊さんが、神主も兼ねていた」のですね。 明治政府としては、神道で国内を統一する為にお寺から神社を独立させたのです。 神の頂点は、アマテラス神。天皇は、アマテラス神の子孫。 天皇の名で、政治を行うのです。 同時に、仏教を優遇していた幕府の崩壊を庶民に知らせる目的もありました。 >「廃仏毀釈」 神仏分離を過大解釈した人たちが、「お寺を廃止して、神社にしよう」と行動したのです。 奈良興福寺も、神仏分離令時には「坊主を辞めて、翌日から春日大社神主に変身!」しています。 奈良・興福寺は、廃寺。 香川・松尾寺も、神仏分離令時には「坊主を辞めて、翌日から神主に変身!」しています。 松尾寺は、廃寺。 残念な事に、お堂・仏像・仏具・経典などは破棄・焼却され「松尾寺境内は、全て金刀比羅神社に変身!」しました。 奈良・十津川郷では、郷内に数十あったお寺は全て廃寺になっています。 全国各地で、多くのお寺が廃寺となっていますよ。 旧藩主の菩提寺も、多くが廃寺になっています。 >「政教分離」 戦後、「国家神道の廃止」でGHQは民主化をすすめました。 天皇は、現人神(生きている神)でない!とね。 昭和天皇も、「私は人間だ」と人間宣言を行っています。 ただ、頑なに「アマテラスの子孫である」事は譲らなかった様です。 宗教を政治と切り離す。これが、正教分離です。 つまり、国教は存在しなくなりました。 ※某政党は、政教分離違反の疑いがあると言う方々も多い。 イランは、有名なイスラム国家ですよね。^^; >「農地解放」 大地主が持っている農地を、最下層の小作農民に引き渡す。 ※現在では、百姓は放送禁止用語になっている様です。 戦前までは、農地を持たない小作農家が多かったのですね。 庄屋(名主)の子孫が、豪農として農地・土地を支配していました。 JR大阪駅南側一帯(阪神百貨店・駅ビルなど)は、大地主吉本家の個人所有でした。 要は、金持ちを減らして庶民を増やす事です。 冗談の様で本当の話ですが、昭和の時代でも「娘の売買」が非合法・公然の秘密で行われていました。 >「坊主丸儲け」 宗教行為には、所得税・固定資産税などがありません。 全国各地の一等地に「〇〇(個人名)記念会館」が建っていますよね。 この大きなビルも土地も、固定資産税は「0円」なんです。 また、収入も「お布施名目」だと所得税は「0円」なんです。 おみくじ・お札も、所得税は「0円」+消費税も「0円」です。 墓地使用料・管理料なども、所得税は「0円」です。 例外的に、副業の駐車場経営は所得税・固定資産税が必要です。 つまり、お寺の収入は「白黒の境が不明確」なんですね。 結果、坊主丸儲け!となります。 大阪に住んでいた時に、祇園で知り合った坊さん。 レイバンのサングラスに、ポルシェでしたからね。 ※頭は、一本の髪の毛も無く綺麗に剃っていました(ヘッドスキン頭)。^^; お茶屋遊びは、慣れたモンです。 まぁ、毎年百件単位で廃寺になっています。 後継ぎ問題と宗教離れが原因らしいですがね。 「坊主になりたい!」と高野山大学・龍谷大学・仏教大学・駒澤大学・花園大学・立正大学などに入学すれば「系列の寺院に就職」出来る様ですよ。

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