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惰性と切磋琢磨の友人選び
- 惰性で付き合う人とは、傷を癒してくれるが自分を持たない人である。
- 切磋琢磨して付き合う人とは、意見交換しながら成長し合える人である。
- 自分のためになる友人とは、本当の気持ちを尊重し、コミュニケーションを築く人である。
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質問者が選んだベストアンサー
友人て、損得勘定で付き合うものでもないと思うんですよ。 常に切磋琢磨していたら、気持ちに余裕がなくなることもあります。 余裕をなくした時は、ただ頷いてくれる存在がありがたかったりしませんか。 必要だから、会いたくなる。 それで十分じゃないでしょうか。 質問者さんは、自分のためになるかどうかを気にされていますが、「自分のため」っていうのは、他人からもたらしてもらうものじゃないと思いますよ。 他人から刺激を受けたいなら、友人に求めなくてもいいはずです。 自分が目標としている人を追いかければいいでしょう。 世の中にはお手本になる・したい人がごろごろいますから。 そうして自分のために行動をしていくうちに、自然と出会う人もいるはずです。でもそれは、どちらかというと友人というよりは、仲間なんだと思います。 (芸能人に友だちがいないっていう人が多いのは、そんな理由もあるんじゃないかと思います) 疎遠になる時って、面白いくらいに会話がかみ合わなくなります。 悩まなくても、無理だなって自分の中で答えが出せると思います。 今は一緒にいることが自然だと思えるなら、一緒の時間を楽しめばいいと思いますよ。
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- zne368d4nt8
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こんばんは 例えの 二人、、、、どちらも 良いと思いますよ。 何でも 本当は どうなのか そして どう解釈するか と云う物がありますよね 仮に 人が 自分を持ってない としても 別に 悪くなければ いいのではないでしょうか (自分を持っている、持っていない と云うのは どういう基準で 決めるのか あると思うのですが 自分を 持ってない人も まだ 発展途上なだけで 一生懸命 生きているのですし それが その人なら 持っていなくても 持っている物は ある物です 何かが 本当だとしても【まず 本当なのか】 何かで それら以外を 決め付ける事をしない事 そうしないと 見えない物です。 そう云う付き合いも 人付き合いでしょう その人が 優しさ等で 遠慮していたら どうしますか 等 あるかも知れないですよね。 それに 人に 求めたり 人を 見るばかりでなく 自分を見る事 自分が どうしたいのか 等 ありますよ。 がんばってください。
お礼
ありがとうございます。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2376/15894)
別に、色々なタイプの友人が居ても、いいんじゃないでしょうか? 友達付き合いって自分の為にするもの? 違う気がするけど、あなたは、そうなのかもしれないけど・・・。
お礼
ありがとうございます。
- chiychiy
- ベストアンサー率60% (18499/30821)
こんにちは 受け身にも二通りありますよね? 仰るように、まるで受け身だけの人は おそらく自分中心の物事の考え方です。 受け身であったとしても、相手に答えを任せる 聞いてあげる受け身がありますよね? そこは、いい面を引き出してくれて、心地よくなる受け身であり あなたのことも考えてくれる人だと思います。 自分は自分というタイプか 自分は自分だけれど人は尊重するタイプか に別れると思うのです。 後者の人は、お互いぶつかるしどちらかというと 女性同志に多いタイプです。 ああしたほうがいいよ、この人は余りよくない・・・ 自分の意見を言って、場合によっては相手を否定してきます。 そこにあるのは、同じく自分です。 もし相手を考えているのなら ああ、そうか、そういう部分もあるんだね と少し受け入れるような言葉も利くことが出来るので お互いにぶつかってもバトルになったり 嫌な思いはかき消されることが多いです。 その二人のお友達を足して2で割ったら きっとあなたにとっての心地いい友達関係に なるのかもしれません。 基本的にいい人っていうのは相手に伝わっているのだから 後は自分次第ではないでしょうか? あなたを思っていれば、必要なときにさっと連絡くれたり アドバイスもってくれていたりしますよね?
お礼
ありがとうございます。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20245/40137)
大切なのはバランスなんだよね?どちらの要素も良い人間関係には必要。時には白黒を焦らず、感情的な判断を一旦脇に置いて傍観出来る対応も必要。そういう人がいてくれるだけで、コミュニケーションの角が取れたりスポンジのような役割が果たせたり。でも、そのスタイルだけでも難しい。白黒が必要な場合もある。自分の立ち位置をはっきりさせた方が良い場合もある。自分の立ち位置に対して思うことを伝えた方が良い場合もある。どちらかが大事なのではなくて、どちらも大事。どちらも選べるコンディションが大事。もっと言えば、仮にどちらかのスタンスに重心を置くとしても、そのスタンスやスタイルにストレスを溜めていない事。ナチュラルに比重が偏っているなら、それはそれで一つのバランスになっている。あなたの場合は少し裏腹の部分があった。自然に出来ているスタイルでなくて作ったスタイルだった。そんな人工的なスタイルにはどこかで限界が来る。限界を感じた時、自分自身が少し無理をしていることにも気がついた(気がつけた)それは凄く良かったんだと思う。気づいてしまったが故に、今までのような付き合いが急にしんどく感じてしまう場合もある。対応を変えるのも今更感があるし、今までの印象やイメージがある分急にスタイルを変えることも難しいから。それでも、無理をしていた自分に気づけた状態で、今度は無理をしない自分自身としてコミュニケーションをしてみる。その結果、以前よりも楽な感覚で関われるならそれはそれ。コミュニケーションの受け手の問題もある。あなた側の変化に違和感を感じたり、結果としては今までよりも距離が出来てしまう場合もある。うまく回らない可能性もある。今後どうなるかは分からないけれど、少なくとも以前よりは硬軟織り交ぜたあなたとしてコミュニケーションしてみる事、その価値はあるんじゃないの?長い目で見たらそれは、あなた自身のためでもあり、コミュニケーションの受け手である相手のためでもある。条件付きで友達関係を続けている訳じゃない。あなたの印象は限定されたものではない。相手から見たあなたの印象が仮に変わるとしても、それも含めて友達関係。変化に対しても柔軟に対応していける関係は長続きする。お互いに良い部分だけを見せ合っていた関係が、あるきっかけから少しずつゴツゴツした部分も見せ合えるようになる場合もあるから。うまくいく、いかないは置いておいても、これからのあなた自身のためにトライしてみる価値はあるんだと思うからね。
お礼
おっしゃりたいことはわかります。 しかし、バカな部分と賢い部分、社会的政治的なことや考えを持ってるならまだしも、殴っても打ってもスポンジのようにフンニャリしていて、ナニも分からないってのが現状です。その状態のままどうやって友情関係も続けて良いのか?というのもあります。 私が5歳年上ってのもあるけど、別に威圧的な考えはなく(と、私が勝手に思ってる可能性もある)タメグチと敬語を織り混ぜた関係です。 それが、3年以上続いてるし正直、膠着状態といえようか。 私の事を聞いても「嫌いじゃない」とか「悪い人じゃなさそうだから」付き合ってるとのこと。結構な仕打ちをしても帰ってくるけど、本音はどうだかわかりません。 私も「勉強になる」からと言ってくれなくとも「一緒にいて成長できる」とか言われたら一緒にいる甲斐があるもんだけど、私もアラサーで結婚はしなくともそれなりに友人や人間は選んで付き合いたいと考えてるし
お礼
ありがとうございます。