• ベストアンサー

壇ノ浦の戦いで生き延びた平家の武将。

壇ノ浦の戦いで生き延びた武将はいるのでしょうか? 確実に分かってるのが平宗盛父子と平時忠だと思いますが。 平家の落人の伝説ではそれ以外でも生き残りはありありですね(;^_^A

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5119)
回答No.3

>壇ノ浦の戦いで生き延びた武将はいるのでしょうか? 大勢いる様です。 屋島(壇ノ浦)の戦いでは、平家軍は「安徳天皇本隊と陽動軍」に分かれたとの逸話が残っています。 >確実に分かってるのが平宗盛父子と平時忠だと思いますが。 これも、「・・・」ですかね。 武将は、名前を変えて+身分を隠して落ち延びます。 >平家の落人の伝説ではそれ以外でも生き残りはありありですね 多くありますね。 全国各地の「半家」という地名は、平家の里が多いのです。 「平」を崩すと「半」ですよね。 一番有名な、徳島の祖谷地方。 多くの武将が、名前を変えて生き延びています。 なんと、安徳天皇の宮跡(現神社)+安徳天皇火葬場(現神社)+安徳天皇骨壺(戦前、皇室が調査に来て借りたまま(未だ)返還が無い)。 安徳天皇の生存逸話が多く残っているので、有力な武将は長門・壇ノ浦へ向かわないで徳島・祖谷へ向かったと思いますね。 武将の子孫は、阿波・山岳武士として鎌倉から江戸時代まで続いています。 足利10代将軍が阿波に逃れてきた時(阿波公方)も、活躍しています。 武家から庄屋になった家系も多い。 質問者さまも、文科省公認の歴史を忘れて逸話を探せば面白い結果になるかも? 余談ですが・・・。 高知県には、何故か「武田勝頼が逃れてきた」との逸話が残っています。 屋敷跡やお墓もあります。^^; http://katsuyoritosa.web.fc2.com/

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 それはそれで凄い裏歴史ですね(;^_^A

その他の回答 (2)

  • dragon-man
  • ベストアンサー率19% (2711/13694)
回答No.2

平家の落人伝説は至る所にありますが、単なる雑兵の落人では伝説になるほどの影響力はない。やはりある程度高位の武将が引き連れた落人だったのでしょう。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがうございます。 そうなんですか。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

「武将」クラスでは生き残った人物は確認されていません。当たり前のことで、「自分は平家の○○である」なんて名乗ろうものならたちまち頼朝の軍勢に捕まってしまうからです。戦乱の中死んだことにして別名を名乗り、ひっそりと暮らしたであろうことは想像できます。それでも地元民は現れた時の様子などから落人であることは薄々分かっていたはずで、そのために落人伝説がつくられたのでしょう。

cma79458
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうなんですかΣ(・□・;)

関連するQ&A

専門家に質問してみよう