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柴田勝家と織田信孝。
織田信長と信忠の死後、柴田勝家と織田信孝は秀吉との権力争いに敗れ死にますが、それ防ぐ方法はありました? やはり双方犬猿の仲ですから無理でしたかね。
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柴田勝家は織田家の重臣で、信長の弟信行の家老を勤めたくらいの立場です。 「っていったところで、織田家なんて守護代の家臣で、そのまた家督相続者の弟の家臣なんて地方の中小企業の課長みたいなものじゃないか」ともいえますけれど、本人としてはやはり武士のプライドというものがかなりあったと思います。 また織田家においては我こそが一騎当千だという思いもあったでしょう。 そんな勝家からすれば、秀吉なんてのは同じ人間とは思えなかったでしょうね。なにせ400年前の価値観です。高貴な家柄の人は人間以上の存在だし、身分の低い者は現代の犬や猫以下のものだと思われたのが当然の時代でした。かつて白人が我々日本人を「ヒトとサルの中間」と見ていたように、勝家も秀吉はそんな存在だと思っていたことでしょう。 現代に例えるなら、技術者あがりでコツコツやってきた男と、元暴走族で伝説の営業マンとして出世してきた男みたいなものです。合うわけがありません・笑。 昔は「時代に乗り遅れた戦さバカ」みたいなイメージでしたが、近年は大河ドラマ「江」で柴田勝家を演じた大地康雄さんのような「朴訥で不器用な職人タイプ」的なイメージに変わりつつありますね。 けれども秀吉の天下制覇というか軍事作戦というのは、「圧倒的な数で楽々押し切る」というやり方です。それは小牧・長久手合戦から九州征伐、関東出兵に至るまですべて一貫しています。秀吉に「名作戦」はないのです。あえていえば、秀吉が腰を上げたときにはもう勝敗が決まっている。それが秀吉の戦略です。 なので仮に両者に対立がなくても、勝家が秀吉の天下統一の中で必要とされる人材にはならなかったと思います。