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徳川家康、豊臣秀吉、織田信長の3人の日本史の功績で

徳川家康、豊臣秀吉、織田信長の3人の日本史の功績で言えば織田信長が1番劣ってると思うのですがどう思いますか? 織田信長が日本史に残って歴史上の人物としてクローズアップされているのは豊臣秀吉の功績があったからだと思います。豊臣秀吉が織田信長の死後に活躍しなかったら、織田信長は今ほど有名な武将として扱われてないただの遊び人扱いで終わっていたと思います。 御三家の日本の功績順に並べたら織田信長はいなくて良い存在だと思います。

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  • go_gohide
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回答No.1

考え方がおかしいですよ。 織田信長が居なければ豊臣秀吉が世に出てくることはなかった筈です。 織田信長は身分の上下に拘わらず、手柄のあるものは出世させました。 だからこそ、秀吉は才能を発揮することができたんですよ。 織田信長は豊臣秀吉が居なくても天下には付いていたでしょう。 徳川家康も織田信長が今川義元を討ってなければ江戸幕府を 作ることは出来なかったでしょう。 だから織田信長が一番劣っているという主張は可笑しいです

america2028
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  • staratras
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回答No.5

考え方にもよりますが、戦国大名の中で全国統一の野望を最初にいだき、実行に移したのは信長であったことを忘れてはならないでしょう。「天下布武」の印判は象徴的ですが、強大な軍事力を作り上げてライバルたちを打ち負かした優れた武将であっただけでなく、伝統的な政治や経済の秩序・権威を克服して、関所の撤廃など新しい支配体制を作ることを目指していた優れた政治家であったことにも注目すべきです。 信長の全国統一の事業は本能寺で明智光秀に打たれて完成はできませんでしたが、京都を押さえ、近畿・東海・北陸地方を支配下に入れて着々と完成しつつあったことを考えると、信長は少なくとも三人の中で最も劣っていたとは考えられません。 地元で「(郷土の)三英傑」と呼ばれているように、この三人には無理に優劣・序列をつけるよりも、三人のリレーで全国の統一と国家体制の整備の大事業を成し遂げたと考える方が、実態に合致し、無理のない考え方だと思います。 下の図は、三人の生年と没年を表わしています。生年はあまり違いませんが(信長1534年・秀吉37年・家康42年)、没年は大きく違います(信長1582年・秀吉98年・家康1616年)。この意味するところも興味深いものがあります。

america2028
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  • 4237438
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回答No.3

考え方によります。 私は現在の日本人に影響を与えている順番は、 徳川家康>豊臣秀吉>織田信長 だと思います。なぜなら徳川家康は東京を作った人だからです。東京は昔、埼玉と神奈川の半分くらいと三つ合わせて武蔵と呼ばれていたほど田舎でした。 一方、京都や大阪はそれぞれ三つずつに分かれていました。栄えていた証拠です。山陰地方と福岡県も今よりも細かく分かれていました。中国・朝鮮の影響が大きかったからだろうと思います。 一方、織田信長は破壊者であったこと、非常にユニークで大きな影響を後世に与えたこと。秀吉は遺志をついで天下統一を果たした。家康はまあ我慢強くて頭が良かった。人間力で言えば、 信長>秀吉>家康 となるでしょう。

america2028
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  • fujic-1990
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回答No.2

 いえ、現代でもそうですが、全く新しい、画期的なことをやろうとしたら、それまで続いてきた「成功体験」をぶちこわす、あるいは「ぬるま湯」をかきまぜる必要があるのです(キッパリ)。  そして、ぶちこわす人、ぬるま湯をかき回す人は、「迷惑な人」「害人」として周囲から無視・黙殺され、陰ではさんざんに叩かれます。なので、バカ・凡人はもちろん、秀才系の人でも、ぶちこわす行動に出られません。  そして、そのほとんどは失敗します。  で、「ほら見た事か」という罵詈雑言の嵐に直面することになり、萎縮して、引きこもるのであります。  そのような事態を予想しつつ、討ち死に覚悟で打って出ることは、生半可なことではできないのです。天才というべきでしょう。  それに対して、その跡を継ぐのは・・・ 難しいけども、やさしい。始めた以上は、止められない、行く処まで行く、というのは、通常の後継者でもよくあるパターンです。  まあ、秀吉は、こん日式に表現すると、営業部長クラスの人が正当な後継者を全部クビにしてしまったと言える状態なので、大変は大変でありましたけども、信長があそこまで大企業にしてくれたから、一気に決着がつけられました。  信長が小大名のころ死んでいれば、秀吉のような賤民と言ってよいような階級の者が、どんなに優秀でも、昔からの織田家家臣に足をひっぱられ、日本統一などとうてい無理な話。奔命に疲れてどこかで戦死したことでしょう。  徳川家康(元:信長の与力)に到っては、元営業部長に乗っ取られた会社を、大社長の協力だった者が取り戻したという話なのです。いわば、家康は優秀な「三代目」。  家を傾けたり、滅びるのは、だいたい三代目のときですから、日本統一を完成させた家康は偉かった、と言えば偉かった。しかし、所詮は三代目の偉さです。  何がエライかと言えば、やはり事を始めることなのです。全ての出発点は信長なのです。極論すれば、あとは惰性。  結局、「織田がこね、羽柴が搗きし天下餅、座りしままに食うは徳川」が、多少の誇張はあるものの、正しい評価だろうと思います。

america2028
質問者

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