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秀吉は信長から天下を奪ったと言いますが…
よく「秀吉は信長から天下を奪い家康は秀吉から天下を奪った」と言いますが これに違和感があります そもそも信長は天下を統一してはいないし 本能寺で死去後 息子の信雄と信孝が対立して織田家でも領土が2つに分かれました しかもいずれも秀吉と対立しているわけで 秀吉にとっては敵を倒して得た領土 と言うことになります 織田家から奪った のでは無く正当な領土の獲得だと思うのですが? 家康は天下統一後の秀吉から天下を奪ったので これは正しいと思います
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信長から奪ったって認識は、私にはないんですけどねぇ。 敢えて言うなら、清洲会議でのこともありますから、 天下統一に挑戦できる、挑戦権を信長家臣から奪った、 というのはどうでしょうか?
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- tanuki4u
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豊臣家の(予約)天下を家康は奪ったかもしれないが、天下は奪っていない。
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- kingyo_tyuuihou
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信長から奪ったというより、 織田家からといったほうが正確でしょう。 信雄、信孝の対立も秀吉の陰謀くさいですし、 ただ、かっての家臣が、その主君の死後、 主君の一族を支えて盛り立ててなんてのは、 江戸時代以降の価値観ですし、 他の日和見家臣団からすれば、 秀吉を盛り立てたほうが、自分のためにもなれば、 天下のためにもなると思わせるだけの 力量や人間性が秀吉にあったから、 どちらかといえば、奪ったというより、 自然と転がり込んだと考えたほうが、 自分的にはしっくりきます。 また、秀吉だからあれだけ早く、 その後の天下統一を果たしたという見方もできると思います。 もちろん信長が生き残っていれば.という歴史のifを 使うなら、その後、九州、四国、関東と次々平定されていった であろうことは、なんとなく納得のいくところではあるので、 その意味では天下といっても差し支えはないでしょうし。
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ありがとうございました
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