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「友達は量より質」という言葉についてですが、
この言葉は正しいと言えば正しいですが、実のところ、単に人付き合いが下手なだけの人が言い訳、もしくは自己正当化のために使っているケース がかなり多いと思うのですが、皆さん、どう思いますか? いや、というのも、自分が昔そうだったからなんですよ。 量より質を言い訳にして、友人が少ないことを開き直っていました。 加えて、自分の周りの友人にも似たような感じで量より質みたいなこと言う人はいるし、ネットも言い訳か正当化のためにこの言葉を使ってるな、と思うケースが多い。 でも、実際には、友人が少ないのが悪いというわけじゃないけど、友人が多い人のほうが上手く生きていく確率が高いのも確か。 そう思うんですよ… 繰り返しますが、量より質という概念そのものは正しいと思いますが、問題なのは、単に人付き合いが下手なだけの人が言い訳、もしくは正当化のためにこの言葉を使う人があまりにも多い、ということです。 この点、皆さんはどう思いますか?
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んー、人其々で、、、必要に応じたアイテムとしたのが偶々物体ではなく、「友達」というジャンルなのだとしたら、固定化は先ず必要ないモノと考えます。 幼児期からイメージしてみましょう。 この時期は、子供よりも親の付き合いレベルが主体ですし、幼馴染みと言っても偶然に近所という括りで当たり障りの無い疑似環境が生んだ偶然。 小・中は私立でない限りこれも近所の寄集め。 高校・大学は受験がありますので、似た偏差値の集まり。 良くも悪くもここで出来た友達は、最大数値であり卒業時点で減ることはあっても増えることはありません。 さー、社会人からの友達、学生時代までの友達、如何変化するかというと。 唯一、押さえておきたいのが職業。 弁護士(法に関する業務)、代議士、医者。 それなりに付き合いは、大変だが優位に計らってくれる友達がいれば幸せです。 後は、20代後半から30に掛けて人生(余生)の礎を築く時期。 この時期に随分の思考が変わりそれに伴う言動も変わるので、それまでの「友達」が一新することもあります。 自分の成長段階に連れて「類は友を呼ぶ!」「去る者追わず!」 周囲の互いが同じ条件で其々の道を歩む。 ですから、学生時代の同級生と合うと、当時の想い出話は出来るが、今会社で置かれている現状の話は出来ない。(大学時代の友達は、業種が違えど大体同じ道を歩んでいるので、まだ話は成立するかも) そのうち、課長、部長の役職を拝命し、何十人、何百人のトップに立てば、そうそう相談する人間もいなくなります。 況してや起業なんかしていれば孤独なランナーです。 そんな時にお金の賃借ではなく人脈やネットワークを進めてくれるのが「真の友達」かと思います。 またそれを義理人情と感じ、相手が困っている時に手助けが出来る人格になっていることでしょうね。
- makaay10
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スナフキンが「自然のもたらす音楽だけが僕の友達さ!」と言っても「かわいそう。生き物の友達いないんだね」とはならない。回答者が言ったら「そんな負け惜しみと言い訳はやめて頑張ろうよ!」っていわれそう その違いは数ある選択肢の一つを選んだように周りから見えるか、選択肢がなくて妥協や言い訳してるように周りから見えるかでしょうね。真実は本人しか分かりませんが。 回答者の周りの友人って押しが強くて自由なタイプが多いけどコミュ力低いタイプは少ないから友達が少なくても負け惜しみとかは思わないですね。「お前、マジで自由すぎるからだよ!」とは思いますけど。
- hiodraiu
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言い訳とか、正当化って、誰かに対して何らかのアピールでもしているのでしょうか?普通は、そんな必要ないですから、言い訳とか、正当化なんて必要ないと思います。 量より質って言ってる人が多いってのなら、言い訳ではなく本気でそう思っている人も大勢いると思います。
- keizo99
- ベストアンサー率14% (265/1820)
友達わ、確かに多いと、色んな性格、個性があり楽しいですが、ただ、多くいたら良いかですが、自分は一人でありますので自然と、広く浅い付き合いになります、だから、色んな話し悩みとうを、お互いに話せないので、やはりお互い内面の付き合いが密になりやすい、人数、いわば少数になつてきますので、親友は量より質になります、一回合って単に知っているだけの関係を、多く作っても、自然と疎遠になります、性格には、お互いの気持ちを共有、理解い思いやり知会える、少数、少額な人間ですね、
自分は友達がかなり少ないけど 量より質だとは思ったことないよ! たくさん友達が欲しいよ! 友達になってください!(^O^) 嫌だったらごめんなさい。
>単に人付き合いが下手なだけの人が言い訳、もしくは自己正当化のために使っているケースがかなり多いと思うのですが、皆さん、どう思いますか? 言葉の意味合いからして違います。 少なくたって質が悪ければダメです。 多くたって質が良いならさらに良いのです。 なので、そもそも質と量を同レベルで考えることには意味がありません。 だから、「量が多くて質が悪い」と、「質が良くて量が少ない」とは言わないわけです。 なので、少なくたって質が悪ければそもそもダメなんです。
- kaitara1
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最終的には損得勘定のことでしょう。八方美人が軽く扱われるのは価値基準がはっきりしないからだろうと思います。損得勘定というのは形がないものも含めてのことですが・・・。
- Mi0620
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自分が悩んだ時、弱っている時、打ち明けられて、受け止めてくれて、側で見守っていてくれる。そういう「友達」は少数でも良いと思います。 そういう人が一人でもいると、心に余裕ができますよね(*´-`) まさに、「量より質」です。 他方、自分と違った生き方を知る、聞くということは非常にプラスになることだと思います。楽しく語らい、お互いに刺激になるような「友達」は多くて悪いことはないでしょう。様々な分野に関心を持ち、知識を得ると、人として豊かになる気がします。 要は、「友達」をどの範囲で定義するかで変わってくるのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 仰る内容は概ね、理解は出来ますが、問題なのは、「単に人付き合いが下手で友達があまり出来ないだけ」の人が言い訳で「量より質」という言葉を使うケースが多いことです。 この点について、貴方はどう思いますか? つまりは、この言葉をただの言い訳で使っている人間が結構いる、ということです。