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神社の参拝者が2礼2拍手1礼する文化は平成になって
神社の参拝者が2礼2拍手1礼する文化は平成になってから出来たって本当ですか? もともとの2礼2拍手1礼は神職の人が玉串を捧げるときに行っていた作法で一般客がやるものではなかったという。 さらに除夜の鐘も昭和に鉄道会社が大晦日に利用者が減るので宣伝に使ったもので、協賛した神社も東京の2つだったという。それがテレビでも特集されて全国に除夜の鐘が普及したという。
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https://ameblo.jp/risajinjya/entry-12466364353.html 検索してこのブログに書かれていることがわかりやすかったので、こちらからの引用です。 -----ここから引用----- 伊藤博文が「一揖(いちゆう・浅い礼)、再拝、二拍手、一揖が正式な作法である」と言ったりとか、1882年8月に明治政府から神道政策の一環として、神官養成などを目的とした「皇典講究所」が「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」を指導したり、などなどがありましたが昭和23年に神社祭式行事作法が改訂され、現在の「二礼二拍手一礼」になったと言われています。 一般的には『二礼二拍手一礼』なのですが、宇佐神宮、出雲大社、熊野神社では四拍手、伊勢神宮では八度拝、八開手(はちどはい、やひらで四拍手を2回繰り返す )八度拝・八開手は神職のみが行う特殊な拝礼法で一般の参拝者は行いません。が、正当化されています。 -----引用ここまで----- 昭和なの!?って思ったら、昭和23年だったんですね。。もっと歴史が古いのかと思ってたのでビックリです。
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- ランラン(@arashiblast)
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http://kappp-trip.com/archives/1069066941.html 検索してこのブログに書かれていることがわかりやすかったので、こちらからの引用です。 -----ここから引用----- 除夜の鐘は元々中国の宋で始まった、鬼払いの文化でした。 宋は、日本でいうと平安時代から鎌倉時代あたりの王朝です。 この「鬼払いに鐘を撞く」という文化が鎌倉時代に、禅宗と一緒に日本へ伝わったのが始まりだといわれています。 なんと宋では「弱く撞くこと18回、強く撞くこと18回。それを3回繰りかえす」とたたき方まで伝わっています。 (2種類×18回×3回繰り返す=108回!) 元々は、禅寺で朝と夕方に二回撞いていました、室町時代には除夜だけになり、いつしか除夜の鐘を合図に社寺へ初詣する時報のような役割も兼ねていったわけですね。 また鎌倉時代は、現在にも残るいろんな宗派が誕生した、仏教最盛期。 除夜の鐘を鳴らすことで「ここに寺がありますよ」という布教活動も兼ねていたそうです。 -----引用ここまで----- 鎌倉時代のようですね。 布教活動も兼ねていたのは知りませんでした。 https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000042254 検索してこのブログに書かれていることがわかりやすかったので、こちらからの引用です。 -----ここから引用----- 除夜の鐘が初めて許可された三つの寺について。 今ではどこの寺でも突いている除夜の鐘が、はじめは増上寺・三井寺(園城寺)など三つの寺に許可されたものだと聞いた。残る一つの寺がどこかを知りたい。 -----引用ここまで----- はっきりとはわからないようですね~。 許可制だったのか、2つなのか3つなのか。
- koncha108
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2礼2拍手一礼はあるので明治時代に日本を旅したイギリス女性の旅行家のイザベル・バードの著作にも書かれていますので昭和になって始まったものでは無いでしょう。本来は神社では感謝だけするはずが、いろいろなお願いをしていたのも書かれているので取りあえず御利益がありそうな神社で願をかけるのは当時には既にあったようですが。 除夜の鐘も日本だけでなく韓国でもあったことからして、結構昔からあって、それをマスメディアやコマーシャル的に利用される様になったという順番じゃ無いでしょうか?ちなみに除夜の鐘は仏教寺院で、日本独自の宗教である神道の神社とは無関係です。
- t_ohta
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「二礼二拍一礼」は昭和20年代に神社祭式行事作法として決められたモノです。 神職の人の作法はもっと長ったらしい作法です。
お礼
みんなありがとう