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お墓の納骨
亡父母は真言宗で公有地の墓地に仏教式のお墓を建て納骨しています。 私ども夫婦はキリスト教に改宗しました。どちらかが亡くなった際 葬儀は教会で会葬しますがお骨を親と同じ墓に僧侶に依頼しないで 遺族が納骨しても問題ないでしょうか?
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以前に市の委託で墓地の手入れに行った事があります。そこには 数々の墓石が建っていましたが、良く見ると仏教なのか仏教では ないのか直ぐに判断が出来ました。 仏教では墓石に「〇〇家代々の墓」とか、「南無阿弥陀仏」とか が刻まれていましたが、キリスト教では墓石に十字架を刻んでい ました。 当家は本家から分家した家ですが、本家から引き継いでいる真言 宗を信仰している仏教徒です。 自分が幼き頃には仏壇には異なる宗教の御位牌がありました。 祖母と祖母の兄弟は真言宗とは違う宗教でした。祖母の兄弟が誰 も御位牌を管理できなくて、祖母が当家に持ち帰ったようです。 盆に菩提寺の方が読経に来られた時に、真言宗とは違う御位牌を 見られ、「異なる宗教の御位牌を一緒に安置するのは良くない。 これでは仏様同士が喧嘩をされ、この家の安泰が損なわれる恐れ がある。だからこの御位牌は当寺に持ち帰り、寺で丁重に安置を して供養したします」と言われて持ち帰られました。 ちょっと聞きますが、質問者さんは男性ですか女性ですか。 男性で跡取りなら父母が眠られている御墓に入る事は出来ます。 長女でも婿養子を取れば入る事は出来ます。 長男や長女以外で跡取りではない場合は父母が入られている墓に は入る事が出来ません。 長くなりましたが、基本としては父母が入られてる墓に入れるの は、跡取り夫婦になります。また父母が真言宗を信仰信仰されて いる場合は、家族や身内であっても真言宗を信仰されていない方 は入る事が出来ません。 納骨する際は納骨口を開けますが、この納骨口を開ける事は勝手 に出来ません。まず寺が読経を唱え、納骨口を開ける事を仏様に 許しを得ます。その後に納骨口を開けて納骨をし、納骨口を閉め てから再び読経を唱え、仏様に御礼を伝えます。 仏教では勝手に納骨口を開けると、霊が墓石から出て彷徨うと言 われています。そのために読経が必要になるんです。 これは法的には問題はありませんが、真言宗には真言宗の決まり があります。日本には13の仏教がありますが、この事は何処の 仏教でも同じです。だから僧侶に依頼しないで遺族が納骨する事 は出来ないんです。 確かに生前中は親子で家族でしたが、死去したら家族や身内では なく仏様同士になるんです。違う仏教でも喧嘩をされますので、 仏教の墓にキリスト教が入ると間違いなく喧嘩をされます。
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- nagata2017
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問題ありません。 寺の墓地なら その寺のぬしがなにか言ってくると思いますが 公共の墓地ならだいじょうぶです。 開け方さえわかっていればいい。 「墓の開け方」で検索すればわかります。
- akemired1084
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話は違うけれど、 以前は真言宗、でもさ坊主に、 年間100万円おさめられますか・・・ 今の時代、 墓じまいしている人もたくさんいます 私は、坊主とけんかしたら、 勝手に骨を持って行ってくれ。 され地にして返してくれと言われ、 更地に、60万円かけて、 坊主にかえしました、 石屋に頼んで更地にしました。で、 民営 本当は市営にしたかったんですが空き家がなくて、 民営にしました 同じ石屋に頼んで、 親父が勝ったのが4坪、 俺が勝ったのが 80CM四方、 160万円、 石屋に聞いて骨壺の入れ方を教わり 自分でいれました。 タダ。 うちは本当は 宗道宗です。 あんまり関係がないみたい、 それによって、 年間5000円です あの坊主の墓が穴だらけに今なっています、 みんな払いきれないので 墓じまいをしているのです、だから 自分でいれても構わないが お宅の場合は、 坊主がいるので、 そこの石屋を頼むようになります 当然、 坊主もお金を含んでいますよ。
- kappa1zoku
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僕は自称親鸞信者ですが、葬儀関係の本はいろいろ読みました。 葬儀の意味とは何かということですが、遺体の処理と魂の処理の2つがあると読んだことがあります。 遺体の処理は、今では火葬で行いますので基本火葬場に持って行き、骨壺に収めます。 遺骨の納骨もいつ頃がいいとか言う人がいますが、あなたはキリスト教徒なので亡くなったらパラダイスに行くことは神様との約束で決まっていますので、ご自分の決めた日にちで大丈夫です。 魂の処理という面ですが、遺骨の問題と重複しますが、日本では魂魄思想と言って骨に魂が宿るという考え方があります。もちろん、中国の影響ですが、それは死んだ人の魂はどのなっていくのかと悩ましい問題として起きてきます。 それに付け込んで仏教も儒教も神道も、或いは怪しい宗教も手を上げてギャーギャー騒ぎ立てたりしますので、これを自分たちでどう受け止めて行くのかが重要になってきます。 僕は自称親鸞信者なので、死んだなら速攻阿弥陀様が極楽浄土への導いてくれると信じているので、死んだ人の魂がこの世に彷徨うことはないと思っています。だから何の悩みも起きません。 あなたはキリスト教徒なので、死んだ人の魂が行く先が決まるまでの四十九日間は彷徨っているという考え方はしないと思うので、死んだ人のために納骨までの間、お膳を据えたり、お坊さんを読んだりということはいないはずです。 だから、お墓への納骨はあなたたち流のやり方で埋葬すればいいんじゃないでしょうか。 葬儀やお墓は、その国、その地方の習俗・習慣によるものです。 宗教ができる前からのものが基本です。 現代のカロート式お墓(遺骨が入るスペースを作っている)が出来たのはほんの数十年前からです。 それまでは、個々人の遺体を埋葬する村の共同墓地があり、参り墓は別に作ったのです。
- 177019
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同じお墓にお骨を入れる事自体、別に問題はありませんが、「真言宗の公用地の墓地」の管理者に一言断らないと、勝手にお墓を開けて骨を入れて行く、と言うのは礼に反すると思います。またそこまで仏教が嫌であるのなら、骨だけを預かってくれる施設が各都道府県にあります。預かり料を最初納めて、お骨を預かってもらって、定期的に貴方のキリスト教の関係者と共に、その施設の前で、お祈りしたら如何でしょう。宗派は問わないと思いますので、そうすれば別に仏教関係者と顔を合わす必要もありませんし、真言宗の公用地のお墓に拘る必要は無いと私は思います。