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量子力学の数学での多重積分と部分積分
量子力学の本をパラパラと広い読みしてのことですが、多重積分が多く出てきます(量子統計力学とかになると大変な感じ。経路積分とか、ファインマンとかも)。 プロパゲータと称してグリーン関数などが積分の対象ですが。しかも積分区間ははっきりしておらず(ということは全空間[-∞,∞]でということでしょうか)、眺めていると(関西弁の)辛気臭い感じがあります。また、積分区間がはっきりしていないので積分は微分より粗雑な印象を持ってしまうのですが、一方で厳密性も保持している書きぶりなのでつかみどころがない印象です。また、そこでも部分積分が登場するのですが、数学的にこれは問題ないのかなと思うようなものが次々に出てくる印象です。δ関数の積分も多重積分でもいいのかなとかも引っかかる感じではあります。 この辺のとらえ方って専門家の人はどのように考えているのでしょうか。 本の整理をしていたら、シッフの量子力学(英語)が出てきてちょっとだけ読んでいてしばし考え込んでしまったのでお尋ねします。むかしからそういう印象だったということを思い出しました。なお、当然ながら当方この方面は非専門です。よろしくお願いします。
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- tetsumyi
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回答No.1
物理学の専門書を拾い読みしてもほとんど意味がありません。 物理学では任意の位置での物理値を数式として表すのですが、これはほとんどの場合微分方程式の形となります。 これを特定の条件に合わせて意味を持たせながら積分して解を求めることで、実際の現象がどうなるか計算することになります。 ですから数学のように一般的な解を求めるような問題ではなく、特定の解が意味を持つことになるのです。 物理学ではその計算過程が何を意味しているのか理解しながら読んで行かないと、専門書を読んだことにはなりません。
お礼
回答ありがとうございます。あのような書物は冒頭から最後までの流れというかスレッドを追って読んでいくということでしょうか。つまり、ご指摘から1つの塊をどのようなスライスで切ってもその断面での展開がコンシステントになっているものではなく、その前の展開との関連で見ていく必要があると言う風に思えました。演劇とか小説のようなものに近いという印象です。解と言うことで言うなら、いくつかある解の中で重要なものをセレクトする人間の志向を見ておかないとその解がセレクトされる理由が分からない、すなわち数学とそういう面で異なるということではないかと思います。別の言い方をするなら著者に同意(賛同ではなく)していかないと読み進めることができない構造なのかなとも思いました。今回、拾い読みしたわけですが、その局面だけひょっとしたら数学というユニバーサルな道具立てで通過できるかなと思ったのですが。やっぱりだめだなあと思いました。