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厳密な日本語の書き方「または」の用法

厳密な日本語の質問です。 「1~3は、AまたはBである。」という文章は、厳密には、「1は、AまたはBである。」、「2は、AまたはBである。」、「3は、AまたはBである。」という意味ですか? 例えば、「動物1は、犬である。動物2は、猫である。動物3は、鳥である。動物1~3は、前足または羽を有する。」という文章を作った場合、厳密には、「犬は、前足または羽を有する。」という文としても捉えることが可能であり、不適切でしょうか? よろしくお願いします。

みんなの回答

  • -ruin-
  • ベストアンサー率31% (239/769)
回答No.5

日本語の書き方としては問題ありません。 質問者さんの書いている通りの意味で捉えて大丈夫です。 例は常識的にありえないのでおかしく見えますが、文法解釈とは別の部分の話なのでその違和感は無視して大丈夫です。 ただ、例文に限って言えばこれは誤りです。 動物3が鳥であり、鳥は足も羽も有するため「または」、すなわちどちらか一方という要件を満たしません。 鳥は足を有しかつ羽も有するので。 この例文が真か偽か答える設問なら問題ありませんが。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.4

No2、補足します。 「犬が羽を有する場合も有りうる」という前提がある時には、質問のような捉え方も可能です。 例えば、 『進化の過程で、足が羽のようになった犬が現れることはなかったのだろうか? コウモリが羽を持ったように、「犬は、足または羽を有する」と言われる可能性も有ったのではなかろうか。』 …そういう文章表現なら、有りうるとは思います。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2482/6031)
回答No.3

「1~3は、AまたはBである。」という文章は、厳密には、「1は、AまたはBである。」、「2は、AまたはBである。」、「3は、AまたはBである。」 と言う意味で間違いありません。 厳密には、「犬は、前足または羽を有する。」という文としても捉えることが可能であり、不適切でしょうか?という質問には,文法的に不適切ではないと思いますが,意味合い的に変な文章ではあります。 犬が羽を有する可能性が無いからです。 または。と可能性を広く取っているので,間違った記述ではありませんが,あり得ないことを範囲の中に納めているので,そこだけ見ればおかしいですよね。 ただそもそも1~3は というまとめてくくっていることで,可能性が無いことも含まれることを容認することになっていますよね。 そのためこの文面は,全ての可能性を肯定しているわけではないという(犬の羽)意味合いは含みますが,述べていることは間違いではありません。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.2

「AまたはB」 …厳密には、 前提を「1~3」とした場合において、「AまたはBの、どちらか一方」であるという意味です。 これを「図形と色」の例で説明すると、 前提(1~3)が「◯(白)、△(白)及び■(黒)」の場合において、 (AまたはBである)を「白または黒である」という意味に捉えるとしたら。 具体例にすると、 『「犬(足)、猫(足)、鳥(羽)」は、 「(足)または(羽)」を有する。』 という意味になります。 (図形と色の)前提を「◯は」と限定したなら、 「白である」と限定できます。 …「◯は、白または黒である」と捉えるには無理が生じます。 具体例にした場合、 「犬(足)は」と限定したなら、 「(足)を有する」と限定できます。 …「犬(足)は、(足)または(羽)を有する」と捉えるには無理が生じます。 …通常なら、 「犬は羽を有する」と考えるには無理がありますから。

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.1

「1~3は、AまたはBである。」という文章は、厳密には、「1は、AまたはBである。」、「2は、AまたはBである。」、「3は、AまたはBである。」という意味です。 例えば、「動物1は、犬である。動物2は、猫である。動物3は、鳥である。動物1~3は、前足または羽を有する。」という文章を作った場合、厳密には、「犬は、前足または羽を有する。」という文としても捉えることが可能であり、犬は、羽を有さないが、前足は有するので、文として問題ありません。不適切でもありません。

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