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自然な日本語の書き方を教えていただけないでしょうか

 私は日本語を勉強している中国人です。日本語で文章を書く力を付けたいと思い、作文の練習をしております。次のシチュエーションは日本語で表現したいのですが、どうもうまく書けません。自然な書き方を教えていただけないでしょうか。特に( )の中の動詞はわかりません。A、B、C、Dのほかに、ふさわしい動詞があれば、ぜひ教えてください。 1.雨の日、古い屋根の下に立ち、屋根から一直線に流れてくる細い水を器で( )。 A.受ける B.受け入れる C.引き受ける D.受け止める 2.地震後、一輪の花が咲いている。一枚も落としていない花びらは、まるで器のように、地震という災害を( )。 A.受けた B.受け入れた C.引き受けた D.受け止めた  また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ大変有り難いです。よろしくお願いいたします。

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回答No.2

1は A受ける が一番自然に当てはまると思います。 自然と、ただただ器に水が落ちていく映像が頭に浮かびます。 C引き受ける・・・これは物体(目に見えるもの)ではなく、責任・身元・仕事(目に見えないもの)に対して用いられると思います。「請け負う」「任せられる」という意味があります。 B受け入れる・・・これも自然だと思いますが、「受け入れる」は、私が器を持って水を待ち構えているような印象を持ちます。この言葉は「認める」「迎える」という意味を持っていると思います。 D受け止める・・・これも悪くないと思います。けれど、器に受けた水はピタッと動きは止まりません。器に入っても水は動いて漂っています。「受け止める」というのは、ボール等、受けたと同時に動きがピタッと止まる物に対して使うことが多いと思います。 以上のことを考えると、2の場合は「B 受け入れた」がいいのではないでしょうか。優しく可憐な一輪の花が、地震という悲惨な現実を“受け入れた”(=認めた)という印象です。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。それぞれな言い方はどういう感じなのか書いてくださり大変助かりました。動詞は中日辞書で調べたので、ニュアンスはわかりませんでした。だいぶわかるようになりました。2の「優しく可憐な一輪の花が、地震という悲惨な現実を“受け入れた”(=認めた)」というニュアンスはあっていると思います。1について補足させていただきました。また教えていただければ大変有り難いです。ありがとうございました。

1mizuumi
質問者

補足

1について補足させていただきます。 雨の日、私は古い屋根から地面に向かって一直線に流れている細い水を見ました。その情景を見て、中国語の「細水長流」(少しずつ物事を行い、間断することがないようにする)という言葉が思い出されました。それをきっかけに、1という文を作りました。 1という文で『私は「細水長流」という清冽な意識の流れを心の器で受けている』のような意味を表したいのですが、「受ける」と「受け入れる」のどちらが自然なのでしょうか。 また、「受ける」と「受け入れる」だけで進行形(つまり、「受けている」と「受け入れている」)を表すことができるのでしょうか。「流れてくる」は「私に向かって流れている」というニュアンスは伝わったのでしょうか。

その他の回答 (4)

回答No.5

1.雨の日、古い屋根の下に立ち、屋根から一直線に流れてくる細い水を器で( )。 ⇒「屋根の下に立ち」という言い方は少し違和感があります。 ⇒「流れてくる細い水」も同様に違和感があります。 *雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で受けた。 2.地震後、一輪の花が咲いている。一枚も落としていない花びらは、まるで器のように、地震という災害を( )。 ⇒「一枚も落としていない花びら」という表現は間違いです。 ⇒この表現ですと、「花びら」が「まるで器のようだ」となりますが、「花びら」は一枚のものですから「器」にはなりません。 ⇒「器」になるのは「花びらを一枚も落とさなかった花」なのです。 *地震の後、庭に一輪の花が咲いている。花びらを一枚も落としていないその花は、まるで地震という災害を受け入れた器のように見えた。 ⇒このような場合、「受け入れる」という書き方でも良いのですが、「受け容れる」という言葉を使う方法もあります。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。文章の書き方は大変参考になりました。「古びた軒下」は私にとって新しい表現です。覚えます。「手に持った器」という表現の仕方が好きです。「花びら」は「器」になれないのはご指摘された通りです。「受け容れる」の漢字はわかりやすいと思います。1についてまだすっきりしていないところがあります。もう一度教えていただければ大変有り難いです。ありがとうございました。

1mizuumi
質問者

補足

>雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で受けた。 「受けた」と「受けている」のニュアンスはどのように違うのでしょうか。 「水は絶えず流れていて、下の器はずっと受けている」のような感じを表現したいのですが、やはり「受けている」のほうが私の表したい意味に近いのでしょうか。 また、「受ける」だけで進行形(つまり、「受けている」)を表すことができるのでしょうか。

  • kickknock
  • ベストアンサー率31% (207/661)
回答No.4

>「流れてくる」は「私に向かって流れている」というニュアンスは伝わったのでしょうか。 伝わりましたよ。 だから、かなり迷いました。どちらも正解で、どちらが「適切か」を判断する必要があったからです。 「受ける」と言う言葉は、現在から未来に向かって使う言葉です。 明日の依頼を受ける。(書いているのは前日) 今日の依頼を受けている。(書いているのは今日だが、受けたのは書く前) 受け止めるは、受け(連用形)+止める(終止形)の複合語です。 この文章の修飾語を省けば、「私は、雨水を(V)」になります。 私は、雨水を器で「受ける」「受け止める」どちらでも、正解です。 動詞はもうひとつあり、「立ち」となっています。 つまり、standing 立っている状態を表しています。 私はそこに立ち、雨水を器で「受ける」「受け止める」 この文章になると、「雨水を受け止める。」で文章がキレイに成立します。 雨というものをより引き立てるのであれば、「受け止める。」の方がいいでしょうね。

1mizuumi
質問者

お礼

 再びありがとうございます。参考になりました。ありがとうございました。

  • negitoro07
  • ベストアンサー率24% (389/1569)
回答No.3

入手可能なら、以下の本を見ると良いかもしれません。 大学を受験したとき、予備校(台湾流の中国語では「補習班」)で国語の先生に薦められた本です。 悪文―裏返し文章読本 (ちくま学芸文庫 ナ 1-5) (文庫) 中村 明 (著) http://www.amazon.co.jp/%E6%82%AA%E6%96%87%E2%80%95%E8%A3%8F%E8%BF%94%E3%81%97%E6%96%87%E7%AB%A0%E8%AA%AD%E6%9C%AC-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%8A-1-5-%E4%B8%AD%E6%9D%91/dp/4480090428/ref=pd_bxgy_b_text_b

1mizuumi
質問者

お礼

 ご親切に参考書を薦めていただきありがとうございます。参考になりました。ありがとうございました。

  • kickknock
  • ベストアンサー率31% (207/661)
回答No.1

1-AかD 2-BかD 2は、という=同格をあらわします。 地震=災害 と言うことです。 つまり、地震を(受けた・受け入れた・引き受けた・受け止めた)になります。 この文脈でおかしいのは(引き受けた)だけです。 残り三つから、選ぶには、「まるで器のように~した。」と結びます。 「器のように」に繋がるものを選びます。 (受けた△・受け入れた△主に主語が人間・受け止めた◎) ここで一度戻って、地震を受けたのか受け止めたのか? ここでは、適切なのは(受け止めた)です。 地震=災害を受け止めた。器のように受け止めた。 両方意味が通ります。  1の場合は、人間の行為であることが、(立つ)と言う動詞から類推できます。 人が立っているので、「立って受ける。」「立って受け止める。」 物だったら、受けるでもいいですが、人が器を使っているので、「受け止める」が適切です。 正直、1の問題は難しいですよ。 質問文で気になったのは、 「次のシチュエーションは日本語で表現したいのですが」 「次のシチュエーションを日本語で表現したいのですが」ぐらいですかね。 日本語で表現したいのは、「****」と言う解釈で埋めれば、おのずと、解は導かれます。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。ご意見は参考になりました。質問文の添削に感謝いたします。1について補足させていただきました。もう一度教えていただければ大変有り難いです。ありがとうございました。

1mizuumi
質問者

補足

1について補足させていただきます。 雨の日、私は古い屋根から地面に向かって一直線に流れている細い水を見ました。その情景を見て、中国語の「細水長流」(少しずつ物事を行い、間断することがないようにする)という言葉が思い出されました。それをきっかけに、1という文を作りました。 1という文で『私は「細水長流」という清冽な意識の流れを心の器で受けている』のような意味を表したいのですが、「受ける」と「受け止める」のどちらが自然なのでしょうか。 また、「受ける」と「受け止める」だけで進行形(つまり、「受けている」と「受け止めている」)を表すことができるのでしょうか。「流れてくる」は「私に向かって流れている」というニュアンスは伝わったのでしょうか。

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