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孝謙天皇

聖武天皇や光明皇后、あるいは孝謙天皇自身は、孝謙天皇に皇族の王子を娶わせて、孝謙天皇の子に皇室を継がせていく意思はなかったのでしょうか?

  • 歴史
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みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10512/33056)
回答No.3

>うーむ慣習言われても女性皇太子じたいが前例がないのに・・・ 前例がないことのほうが、いろいろうるさいですよ。それは今上上皇を見れば分かると思います。まず「生前退位したい」と言い出したことで世間は大騒ぎになって、有識者会議というのが開かれましたが、なんとそこで反対論を述べる人たちが何人も出てきました。今の世の中で「生前退位したい」という慣例になかったことをやってもこれだけの大騒ぎになるのです。 その当時だったらもっといろいろとうるさかったことでしょうね。当然「絶対反対。女性皇太子という前例はない」という声もあったでしょうから、認めさせるための妥協案として「結婚はしない(次の天皇は男系から選ばれる)」というのがあったとしても不思議はなかったと思います。 >歴代を見ても圧倒的な権力者だから20歳といえどいかようにも好きな王子をみつくろえただろうに。 後に道鏡を偏愛したことから見ても、おそらく相当クセが強くてストライクゾーンが狭い女性だったのではないかなと推測します。いわゆる「王子」はタイプではなかったのでしょう。道鏡はいってみれば低い身分から成り上がってきたわけですから(弓削氏の血を引いているというのも、後付けかもしれません)、ギラついた成り上がりのほうが好きだったのかもしれませんね。 だから「この世に絶対いないと思っていた理想の男が現実に存在した」から道鏡をあそこまで偏愛したのでしょう。そこらにいる男なら、いくらでも代わりになりますからね。 また道鏡があれだけ露骨な偏愛を受けながら称徳(孝謙)天皇が亡くなるまで失脚しなかったというのは、おそらく他の人がいっても孝謙天皇が聞き入れないことも道鏡から頼めば通ったから「あの人(孝謙天皇)をコントロールできるのは道鏡しかいない・・・」って部分もあったと思います。

jkpawapuro
質問者

お礼

>おそらく相当クセが強くてストライクゾーンが狭い女性だったのではないかなと推測します。 うーんやはりそこに行き着きますかw歴史でこういう仮説って微妙と思いつつ他に思いつかなないんですよね。御回答ありがとうございました。

回答No.2

ないみたいです この孝謙天皇と言う人物 かなりの我がままだったらしく 自分の気に入らない事があると側近も追放したり処断したりと やりたい放題でした 次の天皇候補たる弟や身内にも謀反の罪を着せて追放したぐらいです (特に有名なのは長屋王の乱) 淳仁天皇と結婚する と言う選択肢もあったと思いますが 実現しませんでしたね ただ お陰で皇統が天智朝に戻って現代に繋がるので 良かったのでは?と思います

jkpawapuro
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10512/33056)
回答No.1

孝謙天皇が日本史唯一の女性皇太子になったのが738年。生まれは718年と伝わっていますから、二十歳のときです。女性皇太子という立場になった以上、慣習として「正式な結婚はない」とされていたでしょう。 そんな彼女が孝謙天皇として即位したのが749年。年齢は30歳を越えていて、当時の感覚からするとババアです。質問者さんが若いならご存知ないかもしれませんが、昭和の末期くらいまでは「女性はクリスマスケーキと同じ。24までは飛ぶように売れるが、25になると誰からも相手にされない」なんていわれましたし、28歳で独身だとそれでもう「オールドミス」といわれていたのです。 当時の感覚で「30歳を過ぎて初産」というのは、今なら45歳くらいで初産という感覚なんじゃないかなと思います。そりゃ無理ってことはないけれど、まず無理でしょうみたいなね。 その代わりに孝謙天皇がお熱をあげたのが、あの道鏡でしたね。

jkpawapuro
質問者

お礼

うーむ慣習言われても女性皇太子じたいが前例がないのに・・・ 歴代を見ても圧倒的な権力者だから20歳といえどいかようにも好きな王子をみつくろえただろうに。 御回答ありがとうございました。

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