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考謙(称徳)天皇について 2つ

考謙(称徳)天皇についてですが。 1 ・彼女は何故独身だったのでしょうか? ・淳仁天皇と結婚しなかった理由は? 2 考謙天皇を退いてから称徳天皇に重祚するまでの間彼女は何と呼ばれていたのでしょうか? 内親王さまでしょうか?それとも光明皇后が呼んだように阿倍でしょうか?(阿倍内親王なので) 以上について分かる方が居ましたらよろしくお願いします

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  • ossutoshi
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回答No.3

1.孝謙天皇が独身だった理由。 女帝は「天皇の后が即位」するか「生涯独身」かのどちらかです。 理由は「男系を維持するため」です。 皇族と結婚するならともかく、他の氏族の男性と結婚すると王朝が変わってしまいます。 たとえ皇族でも、天皇に即位した後だと、天皇につり合う男性は存在しえないはずなので、即位後の結婚はありえません。 ※ 余談ですが、「逆説の日本史(井沢元彦)」では、「ひょっとしたら孝謙天皇は王朝交代があっても構わないと思っていたのではないか」との考察をされています。支持するかどうかは別にして、考察としては面白かったので紹介しておきます。 2.淳仁天皇と結婚しなかった理由。 淳仁天皇は、天武天皇の孫ですが、もともと影の薄い存在でした。 749年に聖武天皇が退位して上皇となり孝謙天皇が即位しますが、756年に聖武上皇か亡くなると、翌757年に孝謙天皇の皇太子となります。 藤原仲麻呂の強い推挙があったと言われています。 と言うことは、孝謙天皇が即位した時点では、淳仁天皇(当時は即位前なので大炊王ですが)は、皇族とは言えども、孝謙天皇とつり合うレベルじゃなかったわけです。 孝謙天皇が、天皇に即位する前に大炊王と結婚していて、聖武天皇の次に大炊王が即位する、というパターンだったら、ひょっとしたらありえたかも知れません。 3.孝謙天皇が退位し、後に重祚して称徳天皇になるまでの間、何と呼ばれたか。 これは「まわりから何とよばれたか」ということでいいでしょうか? それなら「太上天皇(上皇)」でしょう。 私は専門家ではないので資料を調べたわけではありませんが、この時点では重祚するかどうかなんてわかりませんから、他の「天皇を退位した人」と同じで「太上天皇(上皇)」しかありえないと思います。 一旦天皇になったから「内親王」はいまさらありえません。 本名の「阿倍」は、なおさらないでしょう。

azuki-7
質問者

お礼

しかし この2人が結婚して子供が出来ていれば男系と天武系統が維持できた可能性もあります 仮に女の子が生まれても両親が天皇なので男系は維持できたし やはり天武系を認めない何者かの力が働いたのでしょうかね

その他の回答 (2)

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.2

徳のついている天皇は末路が哀れなことになっています。現代はそうではありませんが、昔の天皇の名はおくり名です。死んでから名付けられるのです。徳との良い名は仁徳は定かではないか、悲劇の末路を隠す意味とその祟りを恐れたからです。 聖徳太子(暗殺)、崇徳(流罪)、孝徳(暗殺)、称徳(急死)、文徳(急死)、安徳(入水)、順徳(流罪)。 祟の名が付く祟峻も寝室で暗殺です。 称徳は天然痘でなくなったと言われていますが、とにかく急死なのです。天武天皇系の最後の天皇てす。天武系の誰かに皇位を継がせたかったのだと思います。女帝は結婚できないので淳仁に継承したが、淳仁は皇位を奪われた流罪になった。そして称徳も急死した。 その裏には血なまぐさいことがあったと思われます。その後の光仁は天智天皇の血を引く者で天智系天皇の復活です。年老いて即位したので、その子の桓武は長岡京を経て平安京に遷都するのです。奈良の天武系勢力を排除するためです。桓武は蝦夷征伐を計画して、天武系の豪族を蝦夷征伐に行かせて疲弊させたのです。 称徳天皇の急死によって平安時代が出現したのです。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます

回答No.1

>1 >・彼女は何故独身だったのでしょうか? >・淳仁天皇と結婚しなかった理由は? これは「直系男子が皇位を継承する」という伝統を守るためです。皇后になられる女性は、極端なことを言えば、一般人でもいいのです。現在も民間から嫁いで来られます。ただし、天皇になられるお方は、天皇の直系の男子の中からしか選ばれません。子、孫、曾孫、玄孫、…などです。天皇の娘が次期天皇になるということは、夫は民間人だということです。皇族の中に他に適任者となる男性がいないから、女性が選ばれるのです。 ただし、女性天皇は生涯未婚を通します。もし女性天皇に男子が誕生したら、昔のことなので、必ずや「本家」と「元祖」で争いが起こります。歴史でも「○○の乱」は、次期天皇の座をめぐる、親族間の殺し合いだったのです。そうならないように、不幸の種をまかないようにしていたのです。 さらに、女性天皇は、幼少の皇太子が天皇に即位するまでの繋ぎでしかありません。孝謙天皇、称徳天皇の重祚には、皇位継承の危機が生涯で二度起こったということでしょう。 2は分かりません。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました

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