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日本で1番大きい古墳が大阪府堺市にある仁徳天皇陵古

日本で1番大きい古墳が大阪府堺市にある仁徳天皇陵古墳で日本で2番目に大きい古墳は仁徳天皇陵古墳から東に行った大阪府藤井寺市の応神天皇陵古墳だそうです。 なぜ大阪の南側に日本一とナンバー2の古墳があるのですか? 仁徳天皇と応神天皇はいつの時代の人ですか? 応神天皇が作った巨大古墳を見て仁徳天皇が更に大きいナンバー1の古墳を作った? 二人は近い時代の人なのですか? 仁徳天皇は聞いたことがあるけど応神天皇は聞いたことがない。なにをした人ですか?

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回答No.2

古墳が作られた時代なので古墳時代ですよ。 小学校の社会科でも習いますけど・・・ 応神天皇は仁徳天皇の父親です。 そして応神天皇は日本武尊(ヤマトタケル)の孫に当たります。 が、応神天皇の前の世代は伝説上の人物であり、王朝交替説があります。 この応神天皇から河内(大阪東部)に宮や陵を多く築いているので「河内王朝」とも言われます。

gasshop2017
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  • FEX2053
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回答No.4

仁徳・応神とも「実在したかどうかは不確かな天皇」です。 天皇陵は皇室が立ち入りを拒んでいるために、学術的な研究が出来ず 両方の古墳のどちらが先に出来たかは、正確には分かっていません。 なんとなく誉田御廟山古墳(伝 応神天皇陵)の方が「先っぽい」と 言われているだけです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 大仙陵古墳(伝 仁徳天皇陵)などの古墳は、一括して百舌鳥・古市 古墳群と称されており、作られた時代、このあたりが瀬戸内海に近く 大きな入り江(現在の東大阪は汽水湖になっていました)もあって 多くの住民を養うことができる豊かな土地だったとわかっています。 このため「俺はすごいんだぞ」と、そのあたりの首長が大きな墓を 作るだけの余裕があったわけで、一人が作ると次々でっかいのを作る という形で、大量の古墳ができたものと思われます。 ということで、「超でっかいのを作るほど住民が多く権力があった」 2人の首長がいた、という事以外、何もわかっていないというのが 正確なところです。

noname#233842
noname#233842
回答No.3

仁徳天皇は聞いたことがあるけど応神天皇は聞いたことがない。なにをした人ですか? 検索すればいいだけの話。

  • stss08n
  • ベストアンサー率16% (454/2764)
回答No.1

●幅広く、”誠に”色々な事を、されていらっしゃいました。・・・

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