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賀状、どうしようかなぁ
爺です。 歳が増えると減るのが髪と年賀状です。 今年の正月に出した賀状は50枚、頂いた数は40枚少々。 ひところの6分の一です。 来年は止めようかと思いますが、頂いたらお返しせねばなりませんし、昨年欠礼通知を頂いた方にはご機嫌をお伺いしたいから、0と言うことはできません。 この賀状、謹賀新年とか賀正、新年おめでとうございますなどの祝詞だけにして、添え文もなしにしようかと画策しています。 そんなんじゃダメとか、横着はペケじゃん、などのお叱りを頂きたいとお願い申す。 「尤もだなぁ」と言うお答えを頂戴しましたら、老骨に鞭打ってかわいいイラストなんぞを載せてみたくなるかも知れません。
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爺様や、 お見受けしたところ、このコミュニティーに於ける爺様のお礼率は0%(0/16)ではありませぬか。 ならばなぜ、わざわざ欠礼通知を送ってきた面々にまで賀状を出しますのん。 先方からすればそれはかえって迷惑になるのでは? 賀状は年内に出すのは控え、正月に届いた賀状の送り主にのみ遅滞なく返事を送り、それ以外の、送ってこなかった人については年賀状リストから外してはいかがかな...。
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- cbm51901
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爺様や、 歳が増えると髪と年賀状が減りますか…。棘の数は増えるようですなぁ。 おっと失礼、私も人のことは言えない。 お礼はご遠慮しておきます。
補足
ご回答有難く存じます。 いいえ、棘があるのは世間様です。 ヨタヨタ徘徊する私メを見た若者は、茨の鞭で情け容赦なく打擲します。 美肌は傷だらけです。 棘どころか牙も爪もげんこつも銃も槍も原爆も魅惑の瞳も女殺しの茎もないのです。 せめて言葉だけには棘を持たせたいですが、浅学で語彙不足。 歳と共に鋭が円になり申しました。 とうげ道 優曇華の花 とげ覆う よさんか不遜翁詠む
- ts0472
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私は若い時期に身体を壊して収入がゼロになり 止めたままです 何かキッカケや周知がないと難しいですね 恒例行事として不要と考えられるのか 面倒になってきたのか 断捨離のように決断が必要な事かも知れません こちらが出さないと相手も出さない 年賀状が届かなくなる 親兄弟には届くが私にはゼロ 競争心は無いものの新年早々淋しく感じます ある程度の年齢になると亡くなった?病気?要介護?と余計な心配をかけてしまいそう 話題が逸れてしまいますが 普段の生活状況不明ですが それなりの年齢になると こういう事に試行錯誤したり 手間を掛けたり 脳の維持には必要としても良いんじゃないか?と感じます 何事にも今まで以上に鞭を打つ必要があるかも知れない 自分のためでもあり家族のためにも 全てに通用するものではないですが 楽隠居はボケる 農家や漁師はボケない(あれは使ってはいけない言葉?変換候補に出てこない) 農家でも認知症ドライバーが存在しているので 賀状だけに老化防止の効果があるとは考えていませんが サラリーマン家庭の親の介護をしてきたものとしては ボケないか?怠惰にならないか?が気になる部分です 私のプリンター作成でも裏面だけから宛名印刷も 手書きスペースを残していたものが不要に 関わりが減った時期と介護が必要になった時期が重なっていると記憶しています 定期健診の診断結果のように普段の生活を見直す基準になりそうに思います 老化は避けられなものの面倒に感じるようになった 気力の低下 介護生活が近い? 私は未婚 子無し 一番年下なので後の事は気にしない
だいぶ会っていないお友達のことを知る唯一の機会です 挨拶よりもどうしているか?のほうが嬉しいです なので自分の写真をでかく印刷して送ります 年をとっても自分の写真でいいんです 家族のいる方は家族写真で
- hue2011
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添え文を一枚一枚手書きにするというのは面倒の極致です。やめましょう。 そうでなく、ひとつ文を作りそれを全部に印刷すればいいんです。 ちょっとしたこと、近況だけでいいんです。 「大連に行ってきました。寒かった」でもいいですし、「犬と遊ぶだけの毎日です」でもよいのです。 相手は、ああこいつはそういうことしてるんか、まだ元気だなとか思ってほっとしてくれます。特に昨年欠礼通知をよこした人は今年の年賀状が受け取れなかったわけですから、あいつ生きてるかなという気持ちは高まってます。そこにはがきが届いて、賀正、はいいけど何もないのと「家でとれた栗たべてます」があるのとどちらがうれしいですか。そういう文言があると紙をひっくり返し、ああこいつなんだな、と想像し、また裏の文言を読み直すものです。 濃い内容なんか何もなくていいんです。何か書いてあるかどうか、が大事なんです。 去年、私は別の年長の友人(大学教授)の**の最終講義に行ってきましたよ、とだけ書きました。もちろん**への年賀状にはそれは書きませんが。 これを受けた人は、あああの人、と懐かしく思い若いときの思い出を引っ張り出していろいろ想像するでしょう。そうするとその賀状はなかなか味わい深い内容になるんです。
補足
ご回答ありがとうございました。 加齢は人との繋がりを次第に細く短く淡泊にします。 所謂「言わずもがな」の世界に浸り切るようになります、 あんなに激しく燃えた恋人(浮気相手)の写真も焼いてしまいました。 全て、思い出だけを残して過去へ葬ろうとしています。 淋しい限りですが、頭のどこかで「像の墓場」を探していたようです。 まだ80にも届かないのに「だめじゃん」と叱られちゃいましたね。 ふふふ
補足
お礼のシステムなんぞ知らなかったから送らなかっただけ。 ルール違反にも犯罪にもならんはず。 私は、知恵袋の視力カテで11000の回答をしてきた。 この知恵を以て、OKでも提示された問に対して只管、正しい回答をする。 それがQ&Aの回答者の姿勢だと位置づけている。 昨年、欠礼のご通知を頂いた方へは1年間無沙汰をした。 だから、来年は「もう寂しさも薄らいだでしょうね。今年こそ多幸の1年で洗いますように」と、祈りを込めて賀状を送る。 どこが迷惑か? 賀状のあて名は四季折々の句を送ったり、当方の訃報をお知らせするために、備考に経緯を記録して置いて、棺桶まで持って行く。 「お礼」の使い方を知ったので今回から贈り始めたが、あんたにゃ出さん。