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最近すごくではなくすごいが優勢になっていますが

この間同じ質問をさせていただきましたが、最近ますます「すごい」のほうが優勢になっています。「すごく」のほうが使いにくいからなのか、あるいは他の要因があるのか、改めてご意見を伺いたいと存じます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.8

#7です。 >言葉の生態を丁寧に観察する方がはるかに実りがありますね。  : 形容詞本来の意味合いが薄れ出して、連用形「すごく」「すっごく」がほとんど副詞化=俗語化した段階こそが実は転換ポイントで、そこを見ずに今どきの「すごい」ばかりを目の敵にして、既成概念に囚われたまま形容詞なんだから連用形でなければ、などと固着した意識のままでいることが悩ましい問題と言えます。 形容詞であるなら「ゾッとする感じ」での形容内容がありますが、副詞化した「すごく」や「すごい」には相手に伝えるべき内容はなく、ただただ話し手の感心や呆れといった気持ちの表明があるだけです。 つまりはこのような形容の上辺化としての、TVを通しての、タレントの映像「シャク」を稼ぐための喋繰りこそが「「とても・非常に」の俗語的表現」(「新明解国語辞典」三省堂)たる副詞化の大きな一因とも見なせます。 ですから、文章表現を大切に心がけている皆さんにとっては、このような「すごい」「すっごく」「すごく」をやたら耳にするだけでも敵わないのに、まして文章の形で目にするに至っては何をか言わんやなのではないでしょうか。

kaitara1
質問者

お礼

大変勉強になりました。小学生の時から日本語はどかにおいて英語など習わせるというような問題にも関係してきますね。

その他の回答 (7)

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.7

#5です。 >言葉の世界の奥深さを教えていただきました。  : 言葉の変遷には実に不思議なものがあります。 大方の形容詞や形容動詞は、使い古されてくると活用が崩れ、また連用形や連体形が固定化して副詞用法に移行する傾向が見られます。 「すごく嬉しい」…絶対的程度副詞用法:話し手のストレートな言い方。 「すごい嬉しい」…相対的程度副詞用法:聞き手に伝えるための言い方。 副詞の中でもすぐ意味合いに変化を起こします。 「ほぼ間違いない」…相対的分量副詞用法:話し手の主観性のまま。大体のところ。 「ほぼほぼ間違いない」…絶対的程度副詞用法:話し手の主観性の押付け。すべてにおいて、万事のところ。 「全然」など、漱石は形容動詞として使うとともに、動詞を修飾する様態副詞として、また形容詞を修飾する程度副詞として、さらには否定を予告する予告副詞としても用いています。 その結果、否定の予告副詞として定着を見せましたが、昭和20年代の若者言葉では「全然、凄いや」(源氏鶏太「緑に匂う花」1953年)といった分量副詞として、さらには「全然わかっているよね」(黒沼克史「援助交際」1996年)といった最上級程度副詞として用いられてもいます。

kaitara1
質問者

お礼

さらに詳しくご高察を伺えました。いたずらに言葉の乱れを嘆くようなことはやめて言葉の生態を丁寧に観察する方がはるかに実りがありますね。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7249)
回答No.6

状態形容詞として、文末に収まりやすいからです。 すごく、とやるとそのあとに説明をしなければいけなくなりますから。 すごい、とやったら、それ以上なにもいわなくても文章としては終了できます。すごく、で始めると、何がどうしたどうなってこうなってとグダグダ説明をタラシ入れることになり、スマートには感じてもらえません。 それと、3ひらがな単語というのは言いやすいんでしょうね。 むずかしい、をむずい、といったり、うざったいをうざい、と言うような。

kaitara1
質問者

お礼

なるほど、お年寄りも使う人が増えていますから当世風ということでもないのでしょうね。面白いことです。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.5

「凄い」という形容詞の意味合いが、悪い意味から良い意味へと振幅を長い間繰り返していくうちに、もはやその連用形「すごく」が、形容詞の一活用形ではなく固定的な副詞用法として他の形容詞を修飾する、いわば程度表現に至ってしまいました。 ところが、この程度副詞は、話者側の一方的な価値判断での、いわば「絶対的程度副詞」として、聞き手側にその受け入れを押し求めるトーンが拭い去れませんでした。 そこで、「すごい」という終止形で感動詞的用法の延長から、「相対的程度副詞」として用いることで、話者の素直な自己表現・自己判断として、聞き手への強要のトーンを薄れさせて、聞き手の違和感を抑えるストレートな表現形式が育ちつつあるのではないでしょうか。 例) 「可恐(おそろし)い光るのね。金剛石(ダイアモンド)」(尾崎紅葉「金色夜叉」) 「あれだけ鋭い神経を持って居られたのだから、…凄いするどいものがある。」(宮本百合子「紅葉山人と一葉女史」) 「えらくお粗末です。」…明らかにお粗末だ。扱き下しと聞き手への同意求めのトーン。 「えらいお粗末です。」…私はお粗末だと思います。素直な自己主張と聞き手への伺い。

kaitara1
質問者

お礼

深いお話だと思いました。言葉の世界の奥深さを教えていただきました。ご教示いただいた古典的な用例を現在のタレントの用法と比べてみたいと思います。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1504/3660)
回答No.4

文化庁は「国語に関する世論調査」を平成7年度から毎年行っていますが、平成8年度・15年度・23年度の調査で「ふだんの言い方」として「あの人は走るのがすごく速い」ということを、「あの人は走るのがすごい速い」と言うかどうか聞いています。その結果は次の通りで、少しずつではありますが「ある」人の割合が増えています。 http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/h15/ http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/h23_chosa_kekka.pdf 「言うことがある」43.1%→46.3%→48.8%    「言うことがない」55.5%→52.9%→50.3% 15年間で「ある」が「ない」を逆転しそうな勢いでしたので、現在ではおそらく「ある」のほうが「ない」より多いのではないかと思います。これは世代差が大きく、若い世代の方が使用率が高い表現です。 このため回答者は、「すごい」という形容詞の終止形を、連用形の「すごく」と同様に副詞的に使うのは「若者世代の誤用が広がりつつあるものだろう」と考えていましたが、調べて見ますとそう単純なものではなさそうなことがわかりました。 というのは、「形容詞の終止形を副詞的に使う言い方は江戸時代や明治時代初期にもあった」からです。「辞典 新しい日本語」(2002年6月)には、以下の用例がありました。 ○「おそろしい高へ(タケー)」(為永春水 春色辰巳園 1833~35) ○「おそろしい高いもんだ」 ○「途方もない高い」 ○「きついきらいだ」 (アーネスト・サトウ 会話篇 1873) 回答者は、「青空文庫」の昔の小説に以下の表現を見つけました。 ○「満寿子さんはすごい蒼い顔で庭の花むらをながめながらいった。」(久生十蘭 だいこん)  そうしますと問題は、江戸時代からあった「形容詞の終止形を副詞的に使う言い方」がなぜ最近特に広まったように感じられるのか、ということになるのではないかと考えます。カギは上の19世紀の用例がすべて話し言葉であることでしょう。 昔から話し言葉としては一部では使われていたものの、書き言葉では(引用したような口語を表わしたもの以外には)使われていなかったために世に普及しなかったものが、近年テレビ・ラジオやインターネットなど、「話し言葉のメディア」が普及するにつれて、世に広まるようになったのではないかと回答者は考えます。ただし実証的な証拠はありません。あくまでも仮説です。 ところで「だいこん」の「ひどい蒼い顔」を「ひどく蒼い顔」と同義ではなく、「ひどい顔でかつ蒼い顔」の意味だと考えれば、「形容詞の終止形を副詞的に使う言い方」ではなくなりますが、逆に「形容詞の終止形を副詞的に使う言い方」の起源を示唆する一つのヒントになるのではないかと思います。

kaitara1
質問者

お礼

わたくしが知らなかったことをたくさん教えていただきました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.3

 人口の一部によって、タメ口、ら抜きの言葉、若者語、などが、同一のグループに属する証として、今年の流行語とか今年の漢字などと同様に現れます。  「あらた」なりが「あたら」しい、に変わったのは、新語が力を得た例ですが、新語が消えた例も少なくありません。  「すごい」が正式な場所で使われるようになれば新しい言い方として、取り入れられ、でなければ、21世紀初めに一時的に流行った言い方として消えるでしょう。  いまのところ、どちらに進むかは決まっていないと思います。

kaitara1
質問者

お礼

的確なご判断と思いました。定着するかしないかはまだはっきりしない段階ですね。またこういう現象は良い悪いの問題でないのですね。

noname#232424
noname#232424
回答No.2

国語辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/118076/meaning/m0u/%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84/ の説明では, ーーーーーーーーーーー(引用) 「すごい」は俗語的な言い方で、「すごく険しい」「すごくおいしい」「すごく悪い点数」など副詞的に幅広く用いられる。(中略)俗に連体形を副詞的に用いて「すごいおもしろい人だ」のような言い方もある。 ーーーーーーーーーーー 文法的にはこうなるようです。質問意図は,誤用の原因についてだと思いますが, 1.もともとが俗語的なので,活用の誤りも生じやすいのではないか。 2.じっさいに発音してみるとわかりますが,「すごく」go-ku よりも「すごい」go-i のほうが発音しやすいからではないか。

kaitara1
質問者

お礼

おっしゃる通りだと思いました。すごいの使われ方が妙に気になりますが当世風の感じがするのも不思議です。。

  • aneki0526
  • ベストアンサー率14% (27/189)
回答No.1

何でもかんでもヤバいという言葉をつかうようになったからじゃないかな。 ヤバくないと以前はユッキーナが使ってたけど、今はヤバいになってるもんね。 形容詞の方が使いやすいよね。

kaitara1
質問者

お礼

「すごい」だけの現象かとも思いますが、メッチャという言い方なども関係があるでしょうか。それこそめちゃくちゃに使われていますね。考えが荒っぽくなっていいるご時世の反映かもしれないなどと考えてしまいます。

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