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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:古代ギリシャに現代でいう国家という概念はあったか?)

古代ギリシャにおける都市国家とは?

このQ&Aのポイント
  • 古代ギリシャではアテネ、スパルタはじめ多数の都市国家が存在し、独自の文化や慣習を持っていました。
  • 紀元前500年頃には都市国家連合軍としてペルシャ戦役に参加したことがあります。
  • しかし、ギリシャ全体を統一する国家としての「ギリシャ」は存在せず、都市国家同士が独立した形態をとっていました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero4649
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回答No.1

民族ナショナリズムっていうのは、ここ100年か200年で生まれた概念です。江戸時代の日本人の概念だと、彼らの「自分は何人か」という意識は土佐人だったり薩摩人だったり長州人というものです。 でも、同じ言葉を喋る今の言葉でいうところの日本人的なくくりと、西洋人はまた別物であるという認識はありました。 その概念つうのは現代人が理解するのはちょっと難しいかもしれません。もし宇宙人がいたら、地球人という概念がありますが我々に「地球人」という意識はほとんど存在しませんよね。宇宙人に「君たち地球人だよね」といわれても、まあ確かにそういわれりゃそうだけど、なんかピンとこないねとなると思います。 そんな感じだったのではないかなと思いますよ。 ルネサンス期のイタリアは都市国家だったので、ローマ人とかフィレンツェ人とかヴェネツィア人という意識が彼らにありましたが「イタリア人」という概念はありませんでした。詩人の言葉の中にイタリア人という言葉はあったそうです。そのルネサンスのイタリアで「『イタリア』を統一したい」と唯一口にしたのがあのチェーザレ・ボルジアでした。

その他の回答 (3)

  • D-Gabacho
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回答No.4

連合軍で戦ったということから、ギリシャの都市国家がペルシャを共通の敵とみなしていたということはいえますが、それだけでギリシャという国家があったというのは、いくらなんでも無理があります。たとえば、中世にもローマ教皇のよびかけに応じてヨーロッパ各地の諸王・諸侯がイスラム教徒を共通の敵とする連合軍を結成し中東に遠征したことがありますが、だからといって当時のヨーロッパをひとつの国家とみなすことはできないでしょう。中世ヨーロッパにキリスト教という共通の宗教があったように、古代ギリシャの都市国家も、オリンピアの祭典に集まって競技をしたりといった、共通の宗教や文化をもっていて、それなりの連帯意識はあったというだけのことです。

  • tzd78886
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回答No.3

「国家」という概念が世界的にはっきり決まったのは近世以降でしょう。日本にやって来た南蛮人は、今でいう「藩」がそれぞれヨーロッパにおける各国と同じようなものと認識していたようです。

回答No.2

>この上のさらにギリシャという国家のもと集結したということでしょうか?? 単なる連合軍であって国家の基に終結したという意識はありませんでした。 >その上のギリシャという国家もあったということでしょうか? ありませんでした。 現在の国あるいは国家と言う概念が生まれたのは17世紀末です。 >国という概念は現代とどう違うのか? 現在国とされるのは国民、領土、統治機関の三者を持っていて諸外国から承認されたものを指します。 17世紀以前はご質問のギリシャの都市国家を含めて単なる領地という概念だけでした。 現在中東諸国の国名にアフガニスタン、パキスタンなどのように末尾にーstanとつく国がありますがこのーstanというのは住む所という意味です。 遊牧民族が家畜が移動するのに従って移動していた地域を意味する言葉です。 アフガニスタンはアフガンの連中が住む所という意味になります。 明確な国境などというものはありませんでした。 植民地時代にヨーロッパの諸国がこのような土着の習慣を無視して国境線というものを引いてしまいました。 この中東の植民地時代以前の状態というか領域に対する概念が古代ギリシャにもあてはまります。 中東は遊牧民の移動範囲でしたがギリシャは都市を形成していただけで都市間の境界は曖昧でした。

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