- ベストアンサー
古代ギリシアについて・・・
今、大学の講義で古代ギリシアの男女について調べているのですが、 男尊女卑だったことや家父長制だったことくらいしかわかりません。 もう少し詳しいことを知っている方がいらしたら ちょっとの事でもいいので、是非教えて下さい。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
古代ギリシアにおける男性と女性の立場・地位の違い、というか、女性の地位や立場については、古代ギリシアの文学作品や芸術作品、また色々な記録文書などから、社会学的に分析されているはずです。 考古学なども解明に役立っているはずで、かなりのことが分かっていると思えます。 例えば、古代ギリシアのポリスにおいて、政治的発言力を持っていたのは、最初か貴族であって、次に富裕な市民階層が「民会」のメンバーとなって、政治的発言力を持ち、ペルシア戦争を契機に、「市民一般」にアゴラでの民会への出席と議決権、参政権などが広げられ、アテーナイなら、「民主主義」が実現したなどの歴史からも出てきます。 つまり市民一般に参政権が与えられたと云っても、奴隷や外国人、また女性には、参政権はなく、女性は家に閉じ込めらら男性の従属物・奴隷のような存在で、教育も、妻・母親としての必要な技術は教えられたが、一般教養は、男性のようには与えられなかったというのがあります。 女性は、家事労働する奴隷か、男のペットのような存在で、自立した存在ではなかったのです。財産権もなかったのです。 しかし、アリストパネスに「女の平和」という喜劇があり、このなかでは、女が、それなりに結束して勢力となりえることを示しているとも云えます。また王と女王がいる場合、女王にも、政治的発言権や決定権があったことが、悲劇作品などから出てきます。 アテーナイは、古くから王制が廃止されているので、王とか女王がいないので、女王の政治的発言力など、女王がいないので、存在しないのです。男性貴族会が権力を持ち、次に富裕市民も加えた男性市民民会、一般市民男性の民会へと進みますが、女性は政治的発言力はなく、アゴラでの議論にも加わることはできませんでした。 しかし、バッハオーフェンが提唱した「母権制社会」の女性の力というものは、断片的に色々残っており、例えば、高級娼婦(ヘタイラ)と呼ばれた女性たちは、男性同様に高い知識や教養を持ち、政治的見識も持ち、男性と対等に議論などをしたともされます。 「神殿娼婦」というものが古代社会にはあり、元々は、太母女神の神殿に仕える巫女がその役割を果たし、逆に、すべての女は、太母女神の神殿の巫女であり、人生の一時期巫女として、神殿娼婦となり、その後、一人前の女性になったという伝統が残っています。 ヘタイラは、この巫女が、高級娼婦=教養女性の形を取ったものとも云え、他方、神殿に留まり、女神に仕える恒久的な巫女は、神聖な存在として、それなりの権威を、男性社会のなかで持っていたとも云えます。 レスボス島のサッポーは、古代ギリシアの閨秀詩人として著名ですが、彼女は、少女たちを育成する女性結社の指導者であったらしく、少女たちの教育に当たっていたともされ、この女性結社は、太母女神の神殿などと何かの関係を持つ宗教結社でもあったと考えられます(サッポーの作品の「アプロディータ賛歌」が代表ですが、彼女の作品は、宗教儀式を前提に作られた作品があると考えられます)。 サッポーのような教養ある女性指導者は、レスボス島の特殊事情だと、参考URLには記されていますが、そうではなく、男性優位の父権制社会が古代ギリシアに確立する課程で、初期には、母権制の影響が色濃くあり、サッポーのレスボスの少女宗教結社などは、その名残ではないかとも考えられるのです。 神話で見れば、オリュンポスの支配は、ゼウス、ポセイダーオーン、ハーデースの三人の男性の神に権限が分与されているように見えますが、男女の神で、均等な配置になっています。女王であるヘーラー、妻であるヘスティア、大いなる女神であるデーメーテール、処女であるアルテミス、知恵の女戦士であるアテーネー、誘惑する女であるアプロディーテというのは、女の諸属性を示しているとも云えます。 それぞれの女神には、神殿があった訳で、神官は男女の場合もあるでしょうが、巫女は女性です。 オリンピア競技は、ゼウスに捧げられた宗教行事ですが、女性はこの競技に参加することは無論できず、のみならず、観客になることもできなかったことがあります。オリンピア競技は、男たちの団結のための宗教行事だったとも云えます。 しかし、有名なデルポイは、男神アポルローンが主神であったとしても、神からのメッセージを受け取ったのは、女性の巫女です。 大いなる大地と海の女神の信仰は、ギリシア中にあったのであり、大女神の宗教の中核には、女性の巫女や神官がいたと思われます。 ペロポネソス半島に南下して、この領域を支配したアカイア人などのギリシア人には、大女神の信仰は元々希薄であったのかどうか分かりませんが、大女神崇拝の母権制社会の「女性権限」の名残や、女性結社の名残は、歪曲されながらも残っていたのでしょう。 母権制社会では、「乱交」は許容されるとも云えます。乱交によっても、母権秩序はあまり影響を受けないからです。しかし、父権制社会では、乱交を許容すると、どの子が、どの男性の子供か分からなくなり、父権制社会の基盤が崩れます。 神殿神聖売春というのは、「乱交」の原理、従って、母権制の原理の下にあるといえます。バッコスの信者たちは乱交をしていました。男性優位社会を維持するため、古代ギリシア社会は、女性の社会的立場を貶め、その力を削ぎましたが、色々なところに、母権社会の名残があったと云えるのです。 >古代ギリシア2 >http://www.geocities.jp/timeway/kougi-10.html >女性同性愛史・ヨーロッパ古代 >http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/1460/colum/e-kodai.html >反・ギリシア神話:P(売春) http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/prostitution.html >反・ギリシア神話:R(レアー) http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/rhea.html
その他の回答 (1)
- nyozegamon
- ベストアンサー率45% (895/1969)
お礼
本当に助かりました!有難うございます!