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永遠への存在を目指すことが人間の目的では?

存在主義として 存在する事が目的であり 存在する事が価値であり 存在する事に意義があり 存在が意味の根拠で 皆で存在することが正義であり 存在を活かし合う事が愛であると考えました。 その結果 永遠を目指すこと 存在 存続 未来の存在の実現 永遠への存在の実現が 人間の目的なのではと思っています。 みなさんはどう思いますか?よかったら教えてください。

みんなの回答

回答No.10

人間に目的があるという節(=テレオロジーという)は、最近は流行らない。 多分、哲学では全否定されるので、どっかの宗教の門をたたくしかないのじゃないかな。

yuniko99
質問者

お礼

人間には目的がないのですかねえ。みんなそれぞれ必死で頑張ってるのに 何のためにではなく ただ自分が死なないためですかね 何の為に生きてるかという問いの答えはないんでしょうかね?

回答No.9

#8の者です。 >従って弱くても性質が進化するので 人間の生産性は精神的能力に大きく依存するようになった のは事実ですが、だからといって「存在はどうでもいい」 というものではないのは、あなたの主張するところでしょう。 身体的な劣性や欠陥が溜まれば、それを「存在させる」組織 に負担となり、組織自体が淘汰されます。 あるいは機械に置き換えられるでしょう。 あなたの「存在すればいい理論」なら、機械に置き換えられ ても良いのでしょうが。 (「存在を目的」と「精神的充足を目的」は相反しはしないが 一致もしない。あなたは「相反しはしないから同じだ」と主張 しているのだ(よく同じことなかり主張できるな))

yuniko99
質問者

お礼

人生観としては「精神的充足」でもいいのかもしれませんが 世界観としては それでは矛盾するのでは? 弱い人でも共存していくのが現実です。病気の人、老いた人、障害者 等も共存していくのが人間の在り方だろうと思います。 健康であるに越したことはないですが 心を大切にしたいので 存在を充実させる意味でも人権を主張したいですね。 存在するのが目的ですが 存在を充実存続していくために精神的充足も必要ですね。

回答No.8

進化(存在の追求)は、淘汰(変化)の産物である。 「人は、食慾・睡眠・性欲など、存在への欲求を 持つ」と言うが、性欲は、自己存在のエネルギーを 消費し、タンパク質の液体まで放出する、非存在的 な欲求である。 「それは増殖のためだ」と思うかも知れないが、 遺伝子には、その増殖を抑えるため細胞分裂回数を 限定するテロメアという遺伝子があり、自ら老化し 死ぬようになっている。 そのように中間目標に過ぎない「存在」を主目的に 掲げる短絡思考の人間に、「存在する事が目的だ」 などと言わせるのは危険だ。(短絡的な自己保存・ 自己正当化がのぞいている)

yuniko99
質問者

お礼

人間や生物が老化するのは次世代に空間や食料を譲って交代するためです。 次世代と交代しなければ進化は起こりません。 生命は進化するためにオスとメスに分かれて遺伝子を掛け合わせるので そうしなければ進化して淘汰されずに存続して行く事が出来ませんでした。 しかし人間は性質として精神で進化するので、学習、思考、想像、創造する事で進化します。 従って弱くても性質が進化するので死ななくていいのです。 存在することを目的にしなければ、人類は滅んでしまいます。 存在、存続、未来への存続 永遠を目指しての存続が望まれる道です。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9602)
回答No.7

yuniko99 さん、こんにちは。 どの動植物も子孫を残して死んでいく。それは祖どの動植物にも寿命というものがあるからです。そりゃ、何万年後には自分たちの種類が絶滅するかもしれませんが、たいていの連中はそんなこと望んではいないでしょう。(植物に聞いたことはありませんが、) その結果 永遠を目指すこと 存在 存続 未来の存在の実現 永遠への存在の実現がつまり万物の霊長である人間がその永遠の存在に近いなんて言うのは、お門違いですよ。確かに社会や文明というものを作り大抵の人はその中の歯車になって働いています。でも、どうでしょう?ひとたび原発事故なんか起きた日には全滅していしまうし、ワクチンもできていない病原体なんかが大量発生したら絶滅するんです。仏様の手のひらから出れなかった孫悟空と同じです。

yuniko99
質問者

お礼

人間が全滅してもAIやロボットが存続して行けるように 自己増加システムを作って置かなければなりません 40億年も生命が壮絶な進化の末人間にたどり着いて 人間はその魂を受け継いで生きているのです 人間が自然を破壊して滅んだらまた一からやり直しです 人間が滅んでも大丈夫なように後数百年もすればなるでしょう 人間はそれらと共存していけばいいのです。 人間は秩序と存在ある未来への意志をつないでいく責任があるのです。

回答No.6

人間には本能に則した3つの欲求があると言われています。「守ること」「食べること」「セックスすること」です。 この3つの共通点は「継続」という点に集約されます。故に人間が求める価値とは「続いて行くこと」が最も重要なことになります。 38億年途切れること無く続く生命の末えいとしての欲求なのでその欲求は強烈です。継続だけが生命の最大の関心事であり希望でもあります。また、「人間が」生きることは、生命に宿る可能性を拡大して行く営みでもあります。 人間が、人間らしい行動を起こす動機や原動力となるものは自らの「孤独」を感じることが出来るという点にあります。人間は進化の過程で脳が大きくなり、本能的な領域から一歩踏み出しました。そして、実体としての自分、本能的な自分、第三者的な視点を持つ自分に分裂したのです。 実体としての人間は余りにか弱く、それだけでは過酷な自然環境に適合出来ません。肉体的な脆弱さから本能としての人間は冷酷で残酷となった。過去にさかのぼっても人間を殺す相手はやはり人間なのです。そして人間同士の殺し合いの果てに、人間は、第三者的な視点を持つに至った。自分だけの唯一の生命を見つけるのと同時に、それに連なる自分自身の死をも見つけた。 唯一の生命という発見は孤独を生み出し、確実に身の上に起こる死は不安を生み出しました。これは未来を予測する能力でもあります。他の動物にも備わっているものですが、人間の予測は、他の動物に比べて時間軸が長いことに特徴があります。 孤独や不安は、自分の生命を守る為に、人間を調和や共栄という互助の精神へと駆り立てました。現在の人間的な行動とは、互助の精神に根ざしたものです。お互いに助け合えるから、70億という人口が共存できるのです。

yuniko99
質問者

お礼

孤独で不安だから 社会的で安心出来るようになろうとするのでしょうね。 それが調和、共栄というものを目指すようになったのでしょう。 成る程どうもありがとうございます。

回答No.5

 人間の目的なのではなく、自分の目的なら素晴らしいと思います。自分が皆と存在し、存在を活かし合いたい。  一体誰のための存在主義なんでしょう?

yuniko99
質問者

お礼

私は病気でいよいよ行けませんが 人間の為に存在主義を考えました。元気な人が参考にして下さるとありがたいです。 人間は存在、存続する事が目的です。ありがとうございす。

回答No.4

普通の人間なら、現世を幸せに暮らし、子孫へとつなぐことを願っています。 ですが現在では、無能な人種・人間を排除し金持ちだけが現生利益を享受しようとする動きが活発です。 それが経済格差の元にもなっています。 本来の生物としての人間は、子孫繁栄を願うでしょう。 しかし権力者の中には、世界的な金持ちの中にはささやかな幸せも与えない、排除する意思が存在してるのも確かなのですよ。 もはや人類の目的を逸脱していますけど。

yuniko99
質問者

お礼

人間と言うものは一人でも亡くなれば悲しむ人も多いし 一人でも大きな破壊力を持っています。テロがそうです。 自動車で群衆に突っ込んだら何十人の被害者が出ます 人を疎外し苦しめるとその様な事が起こりかねません 出来ることならば人間みんなが生存することが正義となって欲しいと思います イスラム国も滅ぼせば問題解消と言う訳には行きません キリスト教世界とイスラム教世界が調和するように合意を取り付けていかなければなりません。 宗教が逆に人を苦しめるようになってはいけません。 みんなで調和して存在することが目的になって貰いたいものです。

回答No.3

おめでとうございます。

yuniko99
質問者

お礼

どうもありがとうございます。

noname#228744
noname#228744
回答No.2

存在主義だか何だか知りませんが、勝手に思うのは自由です。 所詮人間なんて、命に限りがあるから、エネルギーを消費して生きていくことが出来るのです。 これが先の見えない時間が延々と続くなら、いつまで持たせればいいのか分からないから、何も出来なくなります。 永遠なんて望むより、幸せになる事の方を望みます。

yuniko99
質問者

お礼

幸せは人によって様々ですねえ。幸せな家庭とか、やり甲斐のある仕事 満足感にライフワーク。その様なものを否定する気はありません。 ただ目標があった方がいいだろうし 原理的に存在を求めて進化して来た 生物も物も人間も人工物も 存在し存続しようとするものが実現してきたという面が大きいという話です。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.1

人の人たる所以を考えると、存在というものに行き着くのも知れませんが、人も所詮は一種の動物でしかありません。 この世に生まれ、生きて、そして、死ぬだけのことです。 ただ、人が他の動物と違うのが、生き方を選択できること。 重要なのは、単に存在することではなく、人生という過程に何れだけ多くの彩りと輝きを与えることができるかではないですか? 人生は哲学ではなく、現実ですからね。

yuniko99
質問者

お礼

人生は何れにしても現実ですが 哲学のある人生と 哲学のあまりない様な人生では 生き甲斐や信念が違ってくるのではないでしょうか。 過程も大切ですが、現実には矢張り結果が大切ではないでしょうか? どうもありがとうございます。

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