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昭和初期~昭和半ば生まれの人の名前

ShirokumaXの回答

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回答No.3

女の人というのは、名前は「ない」ものなんですよ。 もちろん、本当はあるんですけど、それは両親と亭主以外知らないものなんです。本名を知られるというのは、裸を見られるようなものでした。もちろん、いまほど裸が軽くない時代にあってですよ。 ですから、太閤秀吉の奥さんの名前は「ねね」だったり「おね」だったりして、字もいろいろあるでしょ。ここからわかるとおり、伝わっているのは名前ではなくとりあえずその人を指し示すための「符牒」なんです。 一般人でもここまで極端ではないにせよ同じことが言えまして、江戸時代の「おさき」さんとか「おはな」さんとかいう名前も、単なる記号です。ですからはっきり定まった漢字がありません。 ですが、明治になって女学校というのが作られた時に、いくらなんでも名簿ができないというのは困る。 だから当時の女学校の名簿を見ると、山田咲とか田中花と漢字を当ててあるものもあれば、山田さき、田中はなというようなひらがな、山田サキとか田中ハナみたいなカタカナ、そういうものと並んで「山田さき子」「田中はな子」のように「子」をつけて名前の体裁を整えてあるものがあります。女の子の名前が「子」なのはこのぐらいの歴史があると言えます。 私の母が昭和初期生まれですが「子」ですね。その母が「友達にこの名前の子が何人かいてみんな明るいいい子だった」という理由で娘の名前は絶対にこれと決めていたそうで、私の姉も「子」です。母の姉にも妹にも「子」でない人がいますので、まあこの辺が分岐点でしょうか。 男の子の名前の付き方というのはもうちょっと複雑で、職業によっても違いました。商人の場合(しかも大阪の場合)丁稚に入った時点で常吉、亀吉など「吉」の字がつきました。手代に上がると「常七」「亀七」など「吉」が「七」に変わります。番頭になると「弥助」「太平」など「助」あるいは「平」のつく名前に改まったようです。一本立ちすると、また変わったのでしょう。 侍の系統は「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」というのが偉い順番に並びます。「浅野内匠頭」「吉良上野介」なんていう感じですね。これは本来個人の名前ではなく役職の名前で、役目によって音は同じでも漢字が違います。 ですが名前の示す順位から言えば下のはずの吉良上野介が浅野内匠頭をいびってた事からもわかりますようにこのあたりの決まりは早々に空文化していまして、なんとかのすけ、なんとかのじょうなんていうのは早いうちに個人の名前に転用されてたようですね。 「お」なのはやはり明治頃から個人に氏名がつくようになった時期に作られたもので「子」と対にするためではないかと思います。留吉と一応呼ばれてたのを留男にしたみたいな感じで。

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