「bokuwa」の「wa」はなぜ「は」と書くのか?

このQ&Aのポイント
  • なぜ「僕は」「私は」の「は」は、「wa」と発音しながらも「は」と書かれるのでしょうか?
  • 江戸時代以前の「旧仮名遣い」の影響が考えられますが、なぜ他の仮名遣いではなく「は」という表記が残ったのでしょうか?
  • 子供の頃から「wa」とは「は」を表すと習ってきたので、この点が気になっています。なぜこのような矛盾があるのか教えてください。
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「bokuwa」の「wa」はなぜ「は」と書くのか?

「僕は」「私は」の「は」は、発音は「wa」なのに、なぜ現代においても「は」と書くのでしょうか? 江戸時代あるいはそれより古い「旧仮名遣い」の名残なんだろうということはわかりました。その頃は「…でしょう」を「…でせう」、「どじょう」を「どぜう」、「…のように」を「…のやうに」などと書いていました。こういった旧仮名遣いの多くは、戦後に無くなっていきました。 にもかかわらず、「わ」を「は」と書き換えるものはなぜ生き残ったのでせうか? 子どもの頃に刷り込みによって、「wa」は「は」と書く、「は」は「wa」と読む、と思い込んでなにも疑ってこなかったので、今さら気になりだしてしまいました。 この点について教えてください。よろしくお願いします。

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  • f272
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回答No.4

まずはかなづかいの歴史から。歴史的仮名遣がおこなわれていた時代が終わり、1946年に「現代かなづかい」が告示されました。その後1986年に「現代仮名遣い」に改訂されました。 ワを「は」と書くのは「現代かなづかい」で採用されましたが、これは歴史的仮名遣いとの妥協です。「現代かなづかい」は表音式仮名遣(もしくはローマ字)へ移行するまでのつなぎとして考えられていましたが、国語審議会が「表音主義」という理想だけでは不便があると判断したものを本則として歴史的仮名遣いを残すようにしました。つまり表音主義だけではなく語意識を持って仮名遣いを定めるべきだという考えです。ワを「は」と書くのもその1つです。しかし「わ」と書くことも許容すると解釈されていました。 「現代仮名遣い」では、より「歴史的仮名遣」の表記に近いものが許容されるようになりました。「現代かなづかい」では表音化を理想として目指していましたが、「現代仮名遣い」では表音化を目指す向きが改められ、ただ「よりどころ」とされています。 「現代仮名遣い」は完全な表音式表記ではなく、だから正書法であるのです。「特定の語については、表記の慣習を尊重する」とされていますが、要するに「語意識」に従うということです。これは表音主義を修正する重要な原則です。

pringlez
質問者

お礼

ありがとうございました

pringlez
質問者

補足

>国語審議会が「表音主義」という理想だけでは不便があると判断した 大雑把に、「そう判断した」のはそうなんでしょうが、 何がどう不便だと判断したのでしょうかね。 なぜ「私わ学校え行きました」ではなぜ、どのように不便なのでしょうか?

その他の回答 (5)

  • SPS700
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回答No.6

 #1です。補足です。 >>その理由を知りたいというのが質問です。  1。平安時代に語中のハ行音はワ行になりました。この変化を「ハ行転呼音」(下記)と言います。  http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbow/manbow.php?id=1162&TAB=2  2。しかしこの変化以前の発音を凍結した「歴史的仮名遣い」が正しい日本語の書き方として1946年まで行われていました。 3。500年間の音変化を反映した「現代」(=1946年)の発音に近いものに変えられたのが1946年に施行された「現代仮名遣い」(下記)です。  http://www.weblio.jp/content/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3%E3%81%84 4。しかし、その中に平安時代以前の昔の「は」を、助詞の場合は、発音通りの「ワ」ではなく「は」と「例外的に」書く、と規定されました。 5。ですから「庭には二羽鶏がいます」は「ニワニワニワニワとりがいます」と発音しますが、2番目の「ワ」は助詞なので「は」と書きます。

pringlez
質問者

お礼

なるほど。もともと平安時代までは音も文字通りに「はひふへほ」だったのですね。その部分を例外的に残したと。 しかし通常例外を設ける場合には、明確な理由を提示するものです。しかし、そういったものはなく、なぜ例外を設けたのかはよくわからないということなのですね。経緯は少しわかりました。 ありがとうございました

  • f272
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回答No.5

#4です。 > 大雑把に、「そう判断した」のはそうなんでしょうが、何がどう不便だと判断したのでしょうかね。 これに関しては慣習に妥協したというのが正直なところでしょう。 一応は理由付けとして,語法上助詞の意識が明確になるということがあげられていますが,私見では理由付けとして弱いと考えます。「現代かなづかい」の時代では助詞の「は」「へ」を「わ」「え」と書くのは許容されていましたが,実際にはそのように書くことはほとんどありませんでした。「現代仮名遣い」の時代には歴史的仮名遣いの時代にすこし戻って「わ」「え」と書くのは許容されなくなっています。 なお,話は変わりますが > その頃は「…でしょう」を「…でせう」、「どじょう」を「どぜう」、「…のように」を「…のやうに」などと書いていました。 というのは一部は誤りです。つまり「どじょう」を「どぜう」と書くことはありませんでした。「どじょう」は「どぢやう」と書いていたのです。

pringlez
質問者

お礼

>慣習に妥協したというのが正直なところでしょう そうですか…。私の中ではまだ釈然としませんが、今となってはよくわからないという事なんでしょうかね。 ありがとうございました

pringlez
質問者

補足

>一応は理由付けとして,語法上助詞の意識が明確になるということが >あげられていますが,私見では理由付けとして弱いと考えます。 そうですよね。こじつけに過ぎないと思います。 「ははははわいがすき」と書くことが、「ははわはわいがすき」より何かが明確になっているようには思えませんし(母はハワイが好き)。前後の単語によって変わることですから。 そうですか、どぜうは本当は違うのですね。調べたら以下の情報がありました。なぜ偶数文字は縁起が悪いのかよくわかりませんが、メモとして残しておきます。 歴史|駒形どぜう https://www.dozeu.com/history/ 仮名遣いでは「どじょう」。もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と書くのが正しい表記です。 それを「どぜう」としたのは初代越後屋助七の発案です。 文化3年(1806年)の江戸の大火によって店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらったのです。

回答No.3

文章を読む際に、名詞や動詞等の言葉と助詞を区別する為に、「わ」を「は」で表したり、「え」を「へ」で表したり、「お」を「を」で表していると思います。

pringlez
質問者

お礼

ありがとうございました

pringlez
質問者

補足

>名詞や動詞等の言葉と助詞を区別する為に どういう意味ですか? 日本語の名詞や動詞には、「は」「へ」はほとんど使われないということですか?出来れば具体的な例を挙げていただきたいです。よろしくお願いします。

回答No.2

 「…は」、「…へ」、「…を」については旧かな遣いを変更せずに残してしまいました。ひらがな、カタカナだけで表記した時に、単語の一部の「わ」「え」と、助詞の「は」「へ」を区別しやすくしたのだと思います。  「を」については、ほとんど廃れてしまいましたが、wo が歴史的な発音なので、別の文字を当てたのです。

pringlez
質問者

お礼

ありがとうございました

pringlez
質問者

補足

>ひらがな、カタカナだけで表記した時に、単語の一部の「わ」「え」と、 >助詞の「は」「へ」を区別しやすくしたのだと思います。 どういう意味ですか? 日本語の単語には、「わ」「え」が多用され、「は」「へ」はほとんど使われないということですか?出来れば具体的な例を挙げていただきたいです。よろしくお願いします。

  • SPS700
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回答No.1

 下記の第2の2に女子の「は」は、はと書く、とあります。  http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19860701001/k19860701001.html

pringlez
質問者

お礼

そうですね。その理由を知りたいというのが質問です。 ありがとうございました

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