第二次世界大戦中の大西洋憲章について

このQ&Aのポイント
  • 第二次世界大戦中の大西洋憲章は、アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルの会談で合意され、連合国の戦後処理構想と国際協調のあり方についての宣言です。
  • 1941年に行われた大西洋憲章の会談は、戦争勃発前から連合国が勝利を確信していたことを示しています。
  • 第二次世界大戦が終わる4年前の会談で、連合国は戦後の処理について積極的に話し合っていたことが注目されます。
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第二次世界大戦中の大西洋憲章について気になる点があ

第二次世界大戦中の大西洋憲章について気になる点があります 大西洋憲章とは1941年8月、大西洋上で行われた、アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルの会談で合意された、第二次世界大戦後の連合国の戦後処理構想、国際協調のあり方についての宣言である。 ネットの説明に上のように書いてあります 気になった点とは、第二次世界大戦後の連合国の戦後処理構想、国際協調のあり方というところです 第二次世界大戦が終わったのって1945年ですよね その四年前の1941年に戦後のことについて話し合うってことは、その時点で連合国は勝てるという確信、自信ががあったのですか? 大西洋憲章以外にも会談は何回かしたようですし 勝てるって確信がないと四年前に勝った前提の話なんてしないと思います

noname#240297
noname#240297

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noname#251489
noname#251489
回答No.6

>その四年前の1941年に戦後のことについて話し合うってことは、その時点で連合国は勝てるという確信、自信ががあったのですか? 大西洋憲章以外にも会談は何回かしたようですし 勝てるって確信がないと四年前に勝った前提の話なんてしないと思います ↑ 大西洋憲章は対ドイツが対象です。 日本もアメリカ参戦を予想しており、もし、アメリカ参戦した場合、大半はヨーロッパ前線に回るだろうと判断したので、太平洋戦争を勃発させたのです。 確かにアメリカが日本を第2次大戦へ誘発させているかのようなに思わされる記録がありますが、もし、それが事実なら、戦後、パールハーバの遺族たちはその真実を知ったからには米国政府に何か抗議していた運動があっても不思議ではありませんし、「アメリカが日本を参戦に追い込んだなら、パールハーバが最初に犠牲となった。その責任はアメリカにもある!」などと言うアメリカ人は誰一人もいない。寧ろ、居ないほうが不思議です。 今は流石に少数派ですが、「リメンバーパールハーバー」のスローガンのもと、日本や日本軍へ憎悪を抱く者もいるのです。 日本の攻撃で犠牲になったのだから、それは当然で当たり前です。 アメリカが日本を戦争に誘発した妄想を信じていけません。 現在のパールハーバに言けば、それが妄想であったかどうかは理解出来ます上に、肌でも感じることが出来ます。

noname#240297
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回答No.7

 ドイツはともかく、日本は白人からは相当なめられていました。例えば、赤ちゃんの時、母親におんぶされて育つので三半規管に異常があり、戦闘機などまともに操縦できないと、軍の上層部でも本気で信じられていたようです。もちろん日本には資源がないことは分かっていました。  >連合国は勝てるという確信、自信ががあったのですか?  負けると分かっていても戦いを挑むのは大和魂の美学ですが、自分より強い者とは戦わないというのが他国の常識です。どうしたら勝てるかの作戦の立て方は綿密ですし、白人は女子供を皆殺しにすることを躊躇しない残酷さがあります。

noname#240297
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  • 92128bwsd
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回答No.5

この時期アメリカはすでに中立のポリシーを捨てていたものの、枢軸国に宣戦布告をする前の段階ですから、想像するにアメリカが参戦するための大義名分の確認だったと思います。そもそも戦争はいくら言いくるめても国と国、民族と民族、宗教と宗教の利害のぶつかり合いの結果。ヨーロッパの戦争にアメリカが参入するにはアメリカ国民に向けても国際社会に向けても大義名分は必要です。それを決めてアメリカが参戦しイギリスがドイツとイタリアと戦争をする正当性と目的を確認して世界に訴えるためのものだったのでしょう。 現実には戦争に行く市民の命がかかっているので、大義名分だけじゃなくて戦争に参加した国が勝った時にどうそこから得る権益を分け合うかと言う話の方が大事ですがそれはそれで憲章の精神の下で水面下で語られる話と思います。でもそう言う水面下の話をする前提としての憲章は必要だったのでしょう。

noname#240297
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  • eroero4649
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回答No.4

「勝つ」というニュアンスではなくて「終わる」というニュアンスだと思ったほうがいいと思います。 実はこのくらいの時期の頃、ヒトラーはイギリスと講和の糸口をつかむことを側近に命じていたのです。ヒトラー自身はなんとかイギリスとの戦争は終えたいと思っていたのですね。ヒトラーがソ連に攻め込んだのは、チャーチルは心底アカ嫌いなのでドイツとソ連が戦争を始めたら講和に乗ってくれて、あわよくばドイツ側に立って参戦してくれるんじゃないかっていう期待があったのです。イギリス・フランスと開戦するまではヒトラーはイギリスでもすごく人気があったのでヒトラーは期待するところあったと思うのですよね。 ですからチャーチルやルーズベルトの意図としては「この憲章に基づくようなものであるなら、対独講和条約に乗らないわけではない」的なニュアンスも含まれていたと思います。もちろんそれは国家社会主義国としては受け入れられないものではあったのですけれど。 考えてみれば当たり前ですが、戦争って始まったときは誰も「この戦争は何年も続く」なんて思わないで始めるものなんですよ。今アメリカやフランスやイギリスはイスラムテロリストを相手とした戦争をやっているといってもいいと思いますが、それが終わるまであと何年かかるなんて誰もあまり考えないでしょう? 今北朝鮮のミサイル問題や核実験が話題になっていて、日本でもこちらから先制攻撃をすべきだという声が日々高まっています。で、仮にそこで戦争を始めるとしたら、その戦争を支持する人たちに「対北朝鮮の戦争はどのくらい続くと思いますか?」と聞いたら、まあほとんどの人が半年以内には平和になると答えるでしょう。でも実際はもしかしたら何年も何年も泥沼の内戦になるかもしれませんよね。戦争ってそういうもので、誰もが「すぐに終わるだろう(希望的観測)」ってなるものなのですよ。

noname#240297
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  • hekiyu
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回答No.3

その時点で連合国は勝てるという確信、自信ががあったのですか?   ↑ あったようです。 米国は何とかして、参戦しようとしましたが、 国民を説得できません。 ヨーロッパの戦争なんか関係ないだろう。 まして、日本など。 それで色々と手を打って日本を戦争に引きずりこむ ことにして、先に手を出すように仕掛けた訳です。 目論見通り、真珠湾攻撃があり、それと共に、ドイツが 米国に宣戦布告してくれたので、米国は 大喜びで参戦しました。 やれば勝てる自信があったから、こんなことが 出来たのです。 当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。 GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が 失業し、あちこちで暴動が発生していました。 ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は はっきりしません。 これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに なりつつありました。 うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。 また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を 貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く 可能性がありました。 それでどうしても戦争をやる必要があったのです。 戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国 経済は見事な復活を遂げています。 これは私の偏見ではありません。 米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は 公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ 過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分 にされてしまいました。 31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に 引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。 彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

noname#240297
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noname#229108
noname#229108
回答No.2

第二次世界大戦が始まった当初、イギリスは劣勢でした。 イギリスは勝つためにアメリカを参戦させたかったそうです。 当時のルーズベルト大統領は戦争をしないと公約して大統領になったため、日本をアメリカに攻撃させようと北朝鮮よりもはるかに厳しい経済制裁を行います。 それがハルノートやABCD包囲網と呼ばれるやり方ですが、 日本は戦争するしか生存する事ができないところまで追い込まれ開戦。 アメリカが参戦します。 イギリスのチャーチルはその連絡を聞いて「これで戦争に勝った」と話したそうです。 アメリカやイギリスが正義を語っていますが、彼らこそ悪なのです。

noname#240297
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  • ithi
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回答No.1

syudera12345 さん、こんにちは。 チャーチルはこの時世界の工場だったアメリカを戦争に釣込もうと必死でした。イギリスの工業力はドイツの工業力に劣っていたからです。そのために、日本にアメリカを攻撃させようといろいろ工作させた節があります。日本はドイツと同盟を結んでいましたからね。真珠湾攻撃をしたときチャーチルはどんなに喜んだでしょうね。でも、戦いは始まったばかりで、とても戦後構想を持つにいたるわけではない。そのためにはカイロ、ヤルタ、ポツダムでの会談が必要になってくるのです。 大西洋憲章 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0

noname#240297
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