フランスの第二次大戦評価

このQ&Aのポイント
  • 第二次大戦時のフランスの評価について考えてみました。
  • フランスの対ドイツ戦略の失敗や連合軍への依存などが指摘されています。
  • 勝者の正義を見せつけられたフランスの評価は厳しいと言われています。
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歴史的な評価を願います

歴史的評価をお願いいたします 第二次大戦時のフランスの評価をお願いいたします 個人的に、マジノ要塞の存在感に強い思い込みがあったからか、油断し脇の森から意図も簡単にドイツ軍に侵入を許し、無線も無い非近代的な装備な軍により、怒涛の勢いで進軍するドイツ軍にまともな組織的防衛行動が取れず短期間で呆気なく降伏 その後、アメリカ、イギリスの力を借り何とか自国の領土を取り返し(Dデイ)はするが、これは自力で領土回復できてない事を表しますし、その奪還時も自由フランス軍と名乗りノルマンディ作戦に参加はするが、アメリカ軍の軍服をまといアメリカ軍の一つの存在となる有り様が何とも惨めです 第一次大戦の勝利の余韻と、敗者に対する勝者の傲慢さ(高い賠償金など)といった勝者の正義を堂々見せ付けといて、ドイツ軍に見事に返り討ちされたまぬけな軍事大国に見えて仕方ありません 皆様はどのような評価をしますか? 回答願います。

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  • ithi
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回答No.2

myselfout さん、こんばんは。 第一次世界大戦からそんなことを言ってましたね。フランスの将軍たちは自分たちが普仏戦争で完璧に負け、アルザス=ロレーヌを取られたことと、莫大な賠償金を取られたことをドイツのせいにしていました。自分たちの軍事的な能力を超える合理性をドイツが見せつけたせいだとは考えなかったのです。 ただ、フランスも参謀本部を設置し、情報部を置いてからは何とかましになったようでした。でも、結局、軍事技術をドイツから収集するといった考えありましたが、大したものではなかったようです。情報部の存在は第一次大戦中に活躍しました。マタ・ハリというスパイの逮捕などがそうです。  また、第2次大戦の戦争になるまで、操典というマニュアルがあまりにも原則すぎるという欠点も合理性が欠いているというのもお粗末すぎます。洗車の使い方も凝り固まったものだと聞いています。だから数日で降伏したのです。イギリスという友軍がいなければ、ナポレオン、ルイ14世のような軍事的天才がいなければ、フランスなんて大した国じゃないかもしれません。植民地獲得時代の150年前の兵器の差がすごかった時代と違い、戦後にはベトナムのフランス軍はベトミンにだって負けています。だから、テロリストに手を焼いているフランス軍を見てると勝てる気がしません。

myselfout
質問者

お礼

第一次大戦以降現在に至るまでフランスは良いとこなしです 何だか、先進国で初めてISに軍事的に敗北し占領されそうで ちょっと心配です 回答ありがとうございました

その他の回答 (1)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10494/33001)
回答No.1

「各国陸軍の教範を読む」という力作があるのですが。 https://www.amazon.co.jp/%E5%90%84%E5%9B%BD%E9%99%B8%E8%BB%8D%E3%81%AE%E6%95%99%E7%AF%84%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80-%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC%E9%81%B8%E6%9B%B8-38-%E7%94%B0%E6%9D%91-%E5%B0%9A%E4%B9%9F/dp/4802200633 読みこなすのはかなりのミリタリーに関する知識がないと難しいのですが、これを読むとなぜフランス軍がドイツ軍に対して一敗地に塗れたのかが見えてくるようになりますよ。 ドイツ軍もフランス軍も、第一次世界大戦の戦訓を得て教範というマニュアルを作りました。ちなみにどこの国の軍隊でも、この教範に基づいて兵器が整備されます。「わが軍はこういう戦い方をするから、その思想に合う兵器を使う」となるのです。 フランス軍が第一次世界大戦で得た教訓は「要塞化された陣地は無敵」というものでした。実際にヴェルダンの戦いやソンムの戦いでは当時のフランス軍としてはやれるだけの準備をしてやったつもりだったのにバカみたいに兵士を殺しただけで終わったという経験がものすごく強烈に残りました。だから要塞は突破できないと思ったのです。「戦争は火力だよ、兄貴」がフランス軍が出した結論。 この考えが間違いとは言い切れないのは、第二次世界大戦におけるアメリカ陸軍は超絶火力主義であることから明らかです。第二次世界大戦参加国の中で、「戦争は、火力か機動力か」となったときに火力重視だったのがフランス軍とアメリカ軍とソ連軍で、機動力重視だったのがドイツ軍と日本軍とソ連軍でした。え?ソ連軍が両方入ってるって?それは当時のソ連軍は「全縦深突破」というものすごいモダンな戦法を編み出したので、火力重視であり機動力突破でもあったのです。 一方のドイツ軍。ドイツ軍にとって戦車はPTSDになるほどのトラウマとなりました。自分たちが戦車にレイプされて、陣地も戦車で突破できるんじゃないかと思いました。ドイツ軍は第一次世界大戦で「浸透戦術」という戦法を編み出し、これが結構な結果を出していてドイツ軍は「陣地突破にはこれだな」という自信もつけつつあったのです。そのドイツで編み出された浸透戦術に戦車は相性がピッタリだったのです。これは使えるじゃないかとね。イギリス軍で戦車部隊を創設したフラーが「機甲戦」というのを提唱したのを見て「これや!次の戦争はこれや!」と惚れ込んだのです。 んで、この新生ドイツ軍の電撃戦思想に対して、フランス軍の火力重視戦術は皮肉にもよりドイツ軍の意図を引き出しやすい最悪の相性の組み合わせになってしまったのです。 フランス軍は、第一次世界大戦では戦車による攻撃を受けていません。イギリス軍側にいたわけです。味方側から見てみると、戦車というやつは故障しやすくて動きも鈍重、「見た目はインパクトあるけれど実際はほとんど使い物にならない」という代物だったのです。戦闘に投入された戦車のほとんどは敵にやられず、故障や自分で勝手にひっくり返ったりしてほとんどが消耗されたのです。 実はね、戦車って消耗品なんですよ。第二次世界大戦でも1日激しい戦いがあると30%くらい落伍するんです。でも半分以上は故障だったり対戦車壕にハマって動けなくなったとか、やられたと思ったから乗員が全員逃げたけど、落ち着いてから戻ってみたらやられてなかったとかキャタピラが外れちゃったとかそんなのばっかりなのです。だから作戦初日に戦車が100両あって、5日後に50両になって10日後に70両になるとかがあるのが戦車部隊なんです。 だからイギリス軍もフランス軍もそういう内部事情を知りすぎてしまうほどに知っていたので「こんなもん、シロートは喜ぶでしょうが使いもんになりませんや」と思ってしまったのです。イギリス軍が戦車を生みだした軍隊なのに第二次世界大戦では目立たなかったのはそういうことなのですよ。 日本軍、フランス軍、アメリカ軍は戦車を「トーチカを潰すための自走式装甲付き大砲」として考えていました。アメリカ軍のM4シャーマン戦車の後ろには、戦車長と繋がる電話の受話器がついていました。歩兵の指揮官が戦車の後ろに隠れながら戦車長に「あの機関銃陣地が見えるか?あれを撃ってくれ」って頼むためです。 一方のドイツ軍は戦車を「相手の陣地をすり抜ける装甲付き自動車」的な使い方をしました。アメリカ軍やフランス軍が考えていた戦車が大砲にエンジンと装甲がついているものだとすれば、ドイツ軍の戦車は自動車に装甲をつけて武装をつけたものなのです。だから1号、2号戦車の武装は機関銃だけで、3号戦車の武装も初期型は37ミリ砲で装甲も当時の主力戦車としても割と薄い一方で、速度は40キロくらい出るように作られていました。 フランス軍のB1戦車は75ミリ砲という大型砲を備えて重装甲である一方で、速度は30キロにもなりません。でも、歩兵の盾となって敵の火砲に耐えながら敵陣地を潰すのが目的だから速度は歩兵と同じ速度で十分ですし、その代わりに敵の攻撃に耐えられる装甲と陣地を潰せる火力が必要なのです。ほら、教範思想の通りでしょ?

myselfout
質問者

お礼

面白いです ありがとうございました。

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