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カースト制度や士農工商について
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仏教の開祖ブッダが生まれる前から存在し、現代にも続くインドの身分制度であるカースト制度と違い、士農工商というのは実質存在しませんでした。だから、今の歴史の教科書から「士農工商」という文言は消されています。 大事なことですからもう一度いいます。今の教科書に「士農工商」はありません。 元々、「武士」と「それ以外」という身分の分け方はありました。士分は士分としての扱いだったのです。でも、それ以外の間に上下関係はありませんでした。ただ、僧侶とか公家、神官といった区分けはありましたが、それは上下というより横で分かれているといったイメージです。もちろん、被差別部落民はありました。そういう被差別民はどこの文化圏にもありますね。 またその士分についても、そりゃさすがに農民がお殿様になるのは豊臣秀吉くらいなのですが、身分が低い士分であれば農民などから取り立てられることはしばしばありました。有名なのは最上徳内とかジョン万次郎ですね。ジョン万次郎は元は土佐の漁師ですが、英語に堪能でアメリカの社会事情にも通じていたので通訳兼外交コンサルタントとして幕府に採用されたのですが、さすがに士分ではない者を幕府で採用するわけにはいかない。だからジョン万次郎を武士にしたのです。 他に勝海舟の曾祖父は武士の身分をお金で買った(高利貸しで富を得た)というのがあります。 つまりお金で買うこともできるし、必要とあれば取り立てることもできる、そんなゆる~い身分制度だったのです。養子、養女でそういう身分にすることもありましたよ。例えば士分の息子が身分の低い女に惚れ込んで妻にしたいと思うけれど武士の嫁は武士じゃないといけない。そこでその女を武家の養女にしてもらって武家の娘ということにして嫁入りする、というわけです。もちろん、養女として受け入れたくれた家にはそれなりのお礼をするものですけどね。 というわけで、少なくとも江戸時代の身分制度は、時に見栄のために利用されることもあったでしょうね。そもそも士分というのが見栄の塊みたいなところはありますからね。家の格式を守るためにやたらと出費がかかったんですよ。
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- Mokuzo100nenn
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>見栄や嫉妬心は、現代よりは少なかったのでしょうか? 同じ階層内での見栄や嫉妬がございましたので、現在と変わるところはなかったと推察いたします。
お礼
arigatou
- hekiyu
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ああした身分制では、身分内の格差が激しい のです。 だから、身分内でも見栄や嫉妬はあったし、 現代とあまり変わらないと思います。 尚、士農工商という制度は存在しなかったことが 確認されています。 だから、2000年以降の教科書には、これは 出て来ません。 これは中国の思想です。 士農工商の士とは、武士ではなく、科挙に合格した 高級官僚のことです。
お礼
ありがとうございます
- koosaka
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ちょっとウンチクを述べると、「カースト制度」は紀元前2000年頃に中央アジアにいたアーリア人がインドに侵入し、原住民を支配しましたが、原住民との混血を避けるために「カースト制度」を作り、結婚するする場合は同じカーストの人間同士でないと出来ないようにしました。 アーリア人が、上層階級のバラモンを形成し、その下にクシャトリア・バイシャ・シュードラ、そしてさらにその下に不可触餞民、などがいました。 そしてバラモンは「輪廻転生説」を作り、バラモンの下のカーストに属する人々は、永遠に死ねない、苦しめと言ったそうです。 現代のインドにも「カースト制度」がありますが、どこにも属さないIT技術者などは金儲けして、上層階級よりも贅沢な暮らしをしています。 伝統的な職業のほかに、どこにも属さないいろいろな職業が登場していますから、実質的に「カースト制度」は崩れつつあります。 士農工商も同じです。 江戸時代も、元禄の頃になると商品経済が盛んになり、商人が台頭し、武士階級はその商人から借金しないとやって行けなくなりましたから、士農工商という身分制度は、形骸化しちゃって、商人が江戸社会の頂点に上り詰めました。 まあ、実質的に言って、現代と同じで、役人(公務員)と庶民の二つの階級しかいなくなりました。 元禄時代には新田開発が盛んになって、農民も贅沢な生活をするようになり、幕府は農民に対して「贅沢禁止令」を出さねばなりませんでした。 だから、着物の表地は木綿だったけど、裏地には絹を使いました。 明治政府は江戸時代の農民は貧しかったと盛んに宣伝しましたが、明治になって年貢を金銭で支払うようになり、多くの農民が没落し、小作人に転落し、全国の農民の3分の1が小作人になりましたから、農民が貧しかったのは、江戸時代ではなく、明治時代でした。 恐らく、江戸時代で貧しかったのは、下層武士階級だったと思います。 下層武士階級は米価が低落し、「秩禄」では食べて行けなくなり、みんなアルバイトをしてようやく食べていました。 そしてその下層武士階級による明治維新というクーデターが起きたわけです。 貧しいのに不満を持ち、上層武士階級をブッ倒せ!という訳です。 こうしたことを考慮したうえで、あなたの質問ですが、「カースト制度や士農工商の社会では、見栄や嫉妬心は現代よりは少なかったのでしょうか?」と言いますが、誰が誰に対して、見栄や嫉妬心を抱くのでしょうか? 下層階級が上層階級に対してですか? ということは、いちばん貧しかった武士階級が、いちばん金持ちだった商人に見栄や嫉妬心を抱くのでしょうか? それとも逆ですか? というのは、見栄や嫉妬心というものは、日本では江戸時代の「身分制の社会」から、明治の平等社会で、互いに競争し、貧しいものと金持ちに二極分解するようになってからだと思います。 生まれた時から武士は武士、農民は農民、商人は商人と身分が決まっている場合は、見栄や嫉妬心はないと思うからです。 身分制が廃止されて、誰もが努力次第で上昇できる時代が訪れて初めて、見栄や嫉妬心が生まれるので、初めっから身分が決まっていたら、見栄や嫉妬心など生まれようがないでしょう。
お礼
ありがとうございます
- copemaru
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カースト制度は存じませんが、江戸時代の参勤交代は各藩見栄を張り合っていたようです。 「武士は食わねど高楊枝」という言葉もあります。 町人も巨大な雛人形や派手な鯉のぼりを上げていました。 現代はミニマリストもいますから、一概には言い切れないでしょう。
お礼
ありがとうございます
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