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自分の先祖のことが知りたい

自分の先祖のことが知りたいです。 どこから来たのか、どんな身分だったのか、どこの派生なのかなどです。 知っていること ・地主だった(祖父母は「ただの地主ではなく、大地主だった」と言っています) ⇒そのわりにに、小作を使っていたという話を聞いたことがない ・戦前の農地改革で根こそぎ持って行かれた ⇒戦前にどれくらいの土地を所有していて、戦後どれくらい残ったのか不明 ・地元では「△△部落(集落という意味です)」と呼ばれている。△△は実家の姓 わたしの実家か、その隣の家が大本で、そこから代々派生して数十件の△△家の家がある。 ・800年以上前に、この地にやってきて開拓した。 ⇒これは近所の神社(この神社は1200年前に開いています)の記録にあるのを  地元の歴史を調べている人が発見しました。 ・父の代で26代目だか28代目だか ⇒うろおぼえです。違っているかも。 ・大正生まれの祖母の実家は武家。武家を縁組できる家だったと父は自慢 ⇒武家といっても下流なのか上流なのか、わたしは知らない ・家紋は丸なしの三階菱 ・同じ姓で、隣県からやってきたという家があって、そっちは清和源氏の流れをくむ武家の出身となっている。が、やってきたのは郷土史によると秀吉の時代。 ⇒わたしの実家の△△家がどこぞかからやってきて、地にいついたのは、850年前と仮定して数えたら平安時代。家紋をみればわたしの実家の家も三階菱で小笠原氏 (清和源氏の流れをくむ)となっているが、なんか違う気が・・・地主って、ようは農民ですよね? ・祖父いわく、名主をしていた(本当かどうかあやしい) ⇒郷土史には、中世の名主は武家がしていたとあります。 ⇒1、2町から数町歩の所領と少数の郎等しかもたない小地主である名主的武士層と、所領の規模が前者より広大で、百姓、下人、郎等などのほかに名主的武士の或るものをその支配下にもった地頭的武士層と、大所領を有した豪族的武士層であった。 (郷土史から抜粋) ⇒郷土史のなかに、名主として名前がでてきていない。なので、やはり名主というのは祖父のホラ吹きなのではないかと ・江戸時代に苗字帯刀をしていたか聞いたところ、江戸時代もなにも、もっとずっと前から△△の姓だったと言っていました。 ⇒江戸時代に武家階級以外が苗字を名乗ることを禁止されたのは、あくまでも公式上のことで、苗字そのものは庶民でももっと前の時代からもっていたそうですね。 ・刀を持っていたという話をきいたことがない。 ⇒もしもっていたら、父や祖父母の性格だと、それを自慢して言うと思います。 ・郷土史のなかで、15世紀だか16世紀だかに△△家と他のなんとかかんとか家3件の計4件の家の人間を総動員して、250町ほどの土地を開墾、水引きをしたとある。 ⇒地主なら、そんなことしないのでは?泥にまみれて働くのは小作の仕事で地主はそれを監督する「汚れない仕事」のはずでは? ・現在、わたしの実家のある町で(途中にでてきた清和源氏のながれをくむ家は、わたしの実家のある町とは車で15分ほど離れたところなので、別です)△△家はかたまっており、全体で10町ほど。30件だか50件だかよくわからないが、各戸だいたい敷地面積が150坪ほど。この10町は居住区(?)であり、それとは別に田地が50町(数十件ある△△家全体で、です)と別に畑がある(畑の面積は不明) ・わたしの実家のある家を固体としての△△家という考え方ではなく、数十件の△△家をあわせて「△△の一族」という考え方だった。 わたしが知りたいのは ・実際に何年前に住みついたのか ・その前はどこでどんな身分だったのか ・住み着いてからの身分は ⇒戦前は地主で、農地改革により土地財産を失ってこれくらいの量になったと聞いているが、実際には戦前小作で、農地改革により得た土地財産が、今所有している量なのではないか ・仮に本当に地主だったとしたら、何町の土地を所有していたのか ・小作は雇っていたのか、いないのか。 などです。祖父母は亡く、父もあまりくわしくはしらないようです。

みんなの回答

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1158/9169)
回答No.4

私も同じような興味を持ていましたが、n代さかのぼるとご先祖様の数は2のn乗という莫大な数になります。自分というものがよくわからなくなりました。幕末あたりで数十人の男女の遺伝子が入ってきます。だからこそお家は大事だったのでしょうが、生物学的に見ればいかにもむなしくなります。

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.3

寺の過去帳見れれば江戸期の事分かります。 残念ながら言い伝えは大半嘘です。 徳川家康も平家から源氏に変わっています。 叉日本には世界に稀な家制度があります。 時として血統より家を重視します。 確か、首切りナントかも3代目は息子の出来悪く廃嫡し弟子に継がせています。 吉田茂も親同士が友人の養子で血は繋がっていません。 先祖手繰っても全く無意味です。 自分の価値が分かると、先祖自慢する日本人の悪い癖です。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9603)
回答No.2

suzu2014 さん、こんばんは。 確か小笠原家が母方でしたっけ、 たぶんあなたの家位の時代、そして農地を持っていると、村でも一番の名主階級(名字帯刀)だったり、そのあたりにあるのは名主を本家とする分家だったり、その名残や記念じゃないけど土地に字としてあなたの名字があるはずです。 あなたの父方くらいなら、地主でも、泥にまみれて働くのは当たり前です。もちろん小作の仕事で地主はそれを監督する「汚れない仕事」もやります。 なんせ、秀吉の時代から徳川四代将軍家綱の代まで田んぼはたくさんつくられ、面積や量が倍になります。 新田 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%94%B0

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