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奉公人,水呑百姓,地借などの身分について
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- hakusyon1
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手元の日本史辞典によります。勝手に要約してます。 1 隷属農民の呼称。だそうですので百姓でしょう。名子については、江戸時代に多くが水呑百姓になっていったようなことが書かれています。 2 店子は、町の正式構成員ではなく、家守の支配を受けた。下層町民である。とのことです。 3 中間については、江戸時代においては幕府の職制だったようなので、士分ではなでしょうか。足軽と小者の間らしいです。小者はさらに中間の上で、この辞書には15俵1人扶持と禄があるので士分だと思われます。
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回答ありがとうございました!中間,小物,若党なんかは士分かどうかは書籍によって説明が異なるようで明確な区別はできないのでしょうかね。