- 締切済み
同胞排擠
終戦の詔書の中にある言葉です。 排擠は「はいせい」と読むのが順当だと思いますが、これを「はいさい」と読んだら誤りでしょうか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#1です。補足です。 >>呉音は時に蔑まれ、桓武天皇の「漢音奨励政策」以来数々の人の努力にもかかわらず、戦局必ずしも好転せず、21世紀の今もなお、呉音を全滅(=玉砕)せしむるには至っていません。様々な人の無念を抱いた「擠(さい)」は、今なお人々の心に執念深く巣食い続けています。その生命力を否定する理由って、何かあるんでしょうか?w まあ8世紀に一人が騒いでも、効き目がなかったのでしょう。 >>さて、「国体護持」の読みを強引に漢音で揃えると「コク・テイ・コ?・チ」になります。もし今、お上の主導で呉音排除の動きが再燃するならば、国民生活に多大な支障を来たすことは必定だと思います。 ご心配には及ばないと思います。英語をカタカナで書くようなもので、見渡せば呉音漢音こきまぜて日本ぞ春の錦なり蹴っているわけです。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#1です。補足です。 董同龢の『上古音韻表稿』によりますと、「擠」は上古音*tsied の平声と上声に再構されています。同じ「齊」の韻に入る字には、 「米」マイとベイ、「弟」キョウダイのダイとケイテイのテイ、「西」サイとセイなどがあり、日本語に南方方言から入る時は「アイ」北方音では「エイ」です。 南方経由は仏教関係、サイホウ浄土で、セイホウ浄土ではありません。北方経由は漢音で教育勅語ではケイテイで、キョウダイではありません。 ここでは終戦の勅語(=漢音)ですから、セイと読むのが妥当ですが、南方経由でサイと読む場合もあるわけです。
お礼
呉音は時に蔑まれ、桓武天皇の「漢音奨励政策」以来数々の人の努力にもかかわらず、戦局必ずしも好転せず、21世紀の今もなお、呉音を全滅(=玉砕)せしむるには至っていません。様々な人の無念を抱いた「擠(さい)」は、今なお人々の心に執念深く巣食い続けています。その生命力を否定する理由って、何かあるんでしょうか?w さて、「国体護持」の読みを強引に漢音で揃えると「コク・テイ・コ?・チ」になります。もし今、お上の主導で呉音排除の動きが再燃するならば、国民生活に多大な支障を来たすことは必定だと思います。 ありがとうございました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
いいえ、間違いではありません。「擠」は「さい」とも読みます。
お礼
ありがとうございます。 どっちでもいいということですね。
お礼
> まあ8世紀に一人が騒いでも、効き目がなかったのでしょう。 当時は国家事業として先進国唐の文化の積極的吸収に努めていた時代です。遣唐使には多額の国費(=国民の税金)が費やされました。北方系王朝である唐の都へ現地では通用しない呉音しか読めない者を派遣すれば、税金の無駄遣いが起きます。それは由々しき問題なので、誰か一人が騒いだわけではないでしょう。しかしお経を漢音で読めないし漢音を覚える気もない既得権益にどっぷり浸かったお坊さん達には、当然この政策は不評だったと思われます。 ポツダム宣言受諾の件も同様で、あれは昭和天皇が独断でお決めになったことではありません。が、軍の内部には「ご聖断」に大反対の人々もいて、彼等は宮城の占拠と玉音放送の阻止に奔走しました。既得権益を巡る闘争は、いつの時代にも発生しています。 ちなみに玉音放送と言えば、昭和天皇は「排擠」を「はいさい」とお読みになっていますね。 ありがとうございました。