素数は無限に存在する ことの証明について

このQ&Aのポイント
  • 最大の素数までに存在する全ての素数を掛け合わせてそれに一を足したものについてそれをZとすると、Zが素数なら矛盾し、Zが合成数だとすると、Zは最大の素数より大きい素数でわりきれることになりこれは矛盾である。
  • しかし、小さい方の素数から連続して掛け合わせた場合には必ずしも素数になるわけではない。
  • したがって、素数は無限に存在することが証明されている。
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素数は無限に存在する ことの証明について

素数が無限に存在することを証明する際に、最大の素数の存在を仮定し、そこから背理法で最大の素数までに存在する全ての素数を掛け合わせてそれに一を足したものについてそれをZとすると 1、Zが素数なら矛盾 2、Zが合成数だとすると、最大の素数までに存在する素数では割り切れないので、Zは最大の素数より大きい素数でわりきれることになりこれは矛盾である したがって、素数は無限にある という証明法がありますが、2は必要なことなのでしょうか? 理屈として必要なのはわかりますが、 Zはそもそも素数なのではないかということです。 といいますのも、例えば小さい数で、2×3+1=7は素数、2×3×5+1=31は素数、2×3×5×7+1=211も素数ということを考えた時、もしかしたら小さい方の素数から連続して掛け合わせた場合には、素数に絶対になるのではないかとおもったからなのですが、そんなことはないのでしょうか?

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  • staratras
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回答No.2

No.1です。少し補足します。 ある整数nが素数かどうかを調べるには、「2,3,5,…と小さい方の素数から順番に割ってみて、√n以下の素数までのすべての素数で割り切れなければ良い」…(1)ということが基本です。 2×3+1=7 という式は7は2でも3でも割り切れないということを示していますが、√7≒2.645<3…なので、7は(1)の条件を満たす素数であることになります。 2×3×5+1=31 の式も、31が2でも3でも5でも割り切れず、√31≒5.568<6 から次の素数は7なので(1)の条件を満たし31が素数であることを示しています。 しかし2×3×5×7+1=211という式では、√211≒14.526<15 なので、211が2,3,5,7で割り切れないことはわかりますが、これ以降の素数11と13で割り切れるか否かはこの式からだけではわからず、「素数であるか否かはこの式からは決められない」ことになります。ただし211とこの次の2×3×5×7×11+1=2311は幸運にも(?)素数です。 しかし次の2×3×5×7×11×13+1=30031=59×509 でついに馬脚を表してしまいました。30031が素数であるためには、√30031≒173.294だから2,3,5,7,11,13に加えて、17,19,23,29,31,37,41,43,47,53,59,61,67,71,73,…(中略)…167,173までの合計40個の素数で割り切れなければなりませんが、(2から数えて)17番目の59で割り切れてしまいました。 なおこれ以降も「29までの素数の積+1」までを計算してみたところすべて合成数で、素数ではありませんでした。 「17までの素数の積+1」=510511=19×97×277 「19までの素数の積+1」=9699691=347×27953 「23までの素数の積+1」=223092871=317×703763 「29までの素数の積+1」=6469693231=331×571×34231 ところが「31までの素数の積+1」=200560490131は素数です。この形の式はなかなか奥が深いようです。

madao58
質問者

お礼

返事が遅れてしまいすみません。ご回答ありがとうございました!整数が好きな自分にはとても興味深い事でした

その他の回答 (1)

  • staratras
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回答No.1

2×3×5×7×11+1=2311(素数) 2×3×5×7×11×13+1=30031=59×509 (素数ではない) ここで破綻します。

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