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「勉強」することへの抵抗感
学校の勉強からはとうに卒業した者です。 普通の日常生活を送りながら感じた疑問なのですが: 何故人間は勉強を嫌がるのだろう? = 何故脳は記憶することに抵抗を覚えるのだろう? 学校での勉強が嫌いな子供はは多いし、大人になっても、何か新しい製品(パソコン、カメラ、TVなど)を買った時、取説をしっかり読んで内容を記憶した上で使用すれば、簡単に便利な機能を利用できるのに、なかなか付属の取説をちゃんと読もうとしない。 人間の生理、人間の本能に由来するのか、又は心理学的に説明があればお願いします。 なお、上記の疑問は単に知的興味での疑問で、何かに悩んだ末での質問ではありません。
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「何故脳は記憶することに抵抗を覚えるのだろう?」 この疑問は 「脳は記憶することに抵抗を覚える」という命題が真であるということを前提にした疑問です。ですが、この命題は真ではありません。正しくは「脳はある事柄を記憶することには抵抗を覚え、ある事柄を記憶することには積極的である、その違いはどこから来るのか?」であります。 答えはまさに「知的興味」や関心です。 勉強が嫌いな子どもがポケモン博士だったりします。勉強のことを記憶することには抵抗を覚えるけれど、ポケモンのことを記憶することには抵抗を覚えなかったというわけです。 勉強=嫌なもの という認識が出来上がっている人は、単に自分の興味関心の対象が、勉強の範囲に含まれなかったということになります。 そういう人は、自分が好きなことに対しては、積極的に勉強し記憶しているけれどそれを「勉強」とは認識していないだけです。 で、好きなものは言われなくても自分で勝手にしますね。嫌なものは強要されるとか必要に迫られないとしません。勉強は大概後者に当たってしまってるだけですね。 たとえば、プロ野球が好きな人は選手の名前や成績などよく知っています。AKB48が好きな人はメンバーの名前と顔を覚えていますね。あ、一部の関心あるメンバーだけかもしれませんが。もし興味の無い人にそれらを覚えろと言ってもまさに「記憶することに抵抗」を生じるでありましょう。そういう事です。 結論としては、 好きなこと、興味関心のあることは 言われなくともどんどん覚える。 そうでないことは、必要に迫られてあるいは強要されて渋々覚えようとするが、効率が悪い。興味関心がわかない=モチベーションがない上に、人という生き物は強要されるのが大嫌いなのでなおさらと言えましょう。 ということで心理学のカテゴリにふさわしい疑問の立て方としては 「興味関心の無いことを覚えようとしても脳が抵抗するのはなぜか?」でありましょう。 そうなると、「心理的抵抗」「反発」などの心理学的要素から、「ドパミン分泌量の差」などの神経生化学分野の要素まで幅広い検討が可能になりそうです。
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- twin-dog
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真剣に頭脳を使うのはかなりのエネルギーを消費するからです。 それこそヘタな運動をするより体力を消耗します。 そして同じように体力を消耗しても運動をした時のような爽快感は得られません。 得られるのは疲労感だけです。 だから、勉強の本質が理解できない学生は勉強するのを嫌うのです。 一方自分の好きなことに対しては好奇心旺盛になりますから、頭脳を使うことに喜びを感じます。 好きなことを記憶することが快感に感じられるからです。 これが好きでもない勉強に頭脳を使うのと、好きな趣味などに頭脳を使うことの違いです。 でも、学生の時は勉強などしたくないだの、どうせ勉強しても社会に出たら勉強で覚えたことなどほとんど使わない。だのと考えますが、実際に社会に出て数年も経てば「あの時もっと真面目に勉強しておけば良かった」と思う時期が必ず来ます。 社会人になってしまうと、学生時代にやっておくべきだった勉強をやり直す機会はほとんどありません。
お礼
学生の一般的傾向の例を挙げていただきありがとうございました。 但し、質問に於いて一般的学生の勉強嫌いは例であって、質問の趣旨ではないのですよ・・・。質問て難しい。
- Gotthold
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私は小学生の頃から説明書読むのが大好きだったので人によるのでは?
お礼
書き込みありがとうございました。 世界では何億もいる人間ですから、一つの例(取説をよく読まないこと)が総ての人に当てはまると思っているわけではありません。回答者さまの場合、例外として捉えさせてもらいます。
- hue2011
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これは2つ事態が存在すると思います。 どっちから話そうかとおもいましたが、まず試験トラウマから話しましょう。 学校時代は、勉強といえばあとで試験をされるものでした。 全部理解しているつもりでも試験をされるとなかなか100点が取れない。不思議に。 そうすると、いつになってもこれをマスターしたと言いきれないのです。 数学でも理科でも問題になりますが、これが大きな問題を引き起こしているのは英語です。 100点とれていないと、常に何かが欠けていると思うから「自分は英語ができない」と思い込んでしまうのですね。日常会話ができて買い物程度が大丈夫なら英語はできているはずなんですが、そう思わない。100点とらない自分だから、と思うわけです。 こういう考え方にひたってしまうのが学校の教育というもので、要するに試験をすることでお前はいつまでたっても完璧じゃないぞ、と脅されるわけです。 この感覚がしみこんでいると、勉強なんてしたくないぞと思ってしまう体質が出来上がってしまうのです。 次に思うのは、調理音痴という世界です。 できあがった料理を食べる分についてはうまいのまずいの、何が足りないのと言いたい放題するんですが、じゃ作ってみろといわれたらできないという大人はたくさんいます。 自分が料理したらうまいものができるわけがないと知っているから、調理をしないですまそうと考えるのです。 料理自体が好きで好きでたまらないという人間でないと、厨房にはいらないものです。 勉強というのは厨房にはいってする仕事ですね。
お礼
書き込みありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございました。 少なくとも質問の意図を理解していただき、自分の疑問が「故なきもの」でないような気がしてきました。 茂木健一郎氏、中野信子氏の本を読んでみようと思いました。(それらから日常生活で役に立つヒントがあれば幸いです。)