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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:子供の将来の幸せの為、苦労を減らす善意や愛が)

子供の将来の幸せの為、苦労を減らす善意や愛が子供の未来を暗く閉ざす危険

このQ&Aのポイント
  • 子供の将来の幸せを考える親は、自身と同じ苦労や辛さを味合わせまいとします。しかし、自然な行動でもあるこの思いが、子供の可能性を制限してしまうことがあります。
  • 子供が可能性の低い夢を追い求めることを嫌悪し、可能性の高い選択肢を選ぶように導く親もいます。しかしこれによって子供の意欲や自己決定能力が損なわれ、挫折を乗り越える意思が湧かなくなることがあります。
  • 苦労を減らす善意や愛が子供の将来の幸せを脅かす一因となっていることがあります。過度な心配や否定的な不安感が子供の自信を奪い、絶望や失望を感じる人が増えていると言われています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • drum_KT
  • ベストアンサー率43% (1108/2554)
回答No.2

親としてのコツということでいいですか? であれば、とっとと子離れすること、放任主義に徹すること…かと思いますが、そうされたらされたで、子供は「構ってくれなかった」と思うのかもしれませんし、難しいところですね。笑

noname#228046
質問者

お礼

適度な放任主義ですね。 兄弟姉妹が多くて構ってくれなかったと思ってる子には どこか精神的に幼く夢見がちで乗せられ騙されやすいような 不安定さが見え隠れする事もあります。 個人差が激しい話なので正解の方程式なんてどこにも無いですが 適度な距離感って難しいものですね。 ・・難しいと考えている時点でちょっと問題な気がしますが。 ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (4)

noname#244420
noname#244420
回答No.5

既婚おっさんです。独身の方の「不安感」までは察してあげることはできませんが、、、 子供が成人するまでの関わり方について幾つか自論申し上げます。 私の子供たち(2人姉妹)、中でも長女が小学校中学年までは、自慢じゃないですけど、入園、卒園、入学式の「3式」パーフェクトに出席したことがありませんでした。 中学年と言うのは3年生のこの時期(春先)に、昔からの私の先輩にPTAを勧められ1年間の副会長経験を経て2年一期の会長職を拝命しました。 以後、市内小学校4校区が集まる中学校のPTA会長。ですから、小学校のPTA総会と中学校のPTA総会ダブりの掛け持ちで、結構大変な思いをしました。 その環境、経験の中で感じたことは、あなたがおっしゃるように、親の経験上失敗や苦労したことの区分け無く全てを排除しようとすることに教育の間違いがある!・・・ことに気付いていない親がいるということです。 「雑巾の絞り方」「マッチで火の着け方」「カッターの使い方」我々にとって何気無い日常行動ですが、学校で出来なかったことを親に告口と言いましょうか、一旦味を占めると親を怒らせて学校にクレームを入れるように仕向ける術が非常に上手くなって来ます。 親も何が親としての教育か?が見えず、取り敢えず子供の気の済む方法を選択してしまう。 ここで本来なら「あなたに〇〇を教えてなかったね。今度は上手に出来るようにママと一緒にやってみようか!?」と共に育む「共育」器で有って欲しいと思います。 また、家庭では次男、次女に手が掛かり、事あるごとに「あなたは、お兄ちゃんなんだから!お姉ちゃんなんだから!」・・・だから、如何なんだ!が無い。 彼らは、自己主張の方法が分らないので、悪さやイジメをして親に振り向いてもらおうと一生懸命信号を送っているのに・・・。 中学生になれば、もっと手が込んでくる。 それでも親は、「一緒に居てあげないと!」「夕食を作ってあげないと!」一緒に長い時間居れば、目を掛けてやれば・・・良い子に育つという一方的な想い。。。 子供にとっては本当に重い! そんな子供たちが、明日からあなたはひとり暮らし!大人なんだから!と見放すように社会に放り出されても生きて行く術を教わっていない現実が待ち受けている。 平和な日常生活は誰でも過ごすことが出来るが人生の岐路に立たされた時、他人とのトラブルや自分の失態によって社会や企業に迷惑を掛けた等、今まで似たような事態を排除して来た自分に対処するパワーや忍耐や発想が無い。 これは高学歴でも同じ状況です。 では何が足りなくて、何が必要だったのか? 乳児にはミルク、乳歯が生えるとお粥、といったように成長に合わせてその時々に教えなければいけないことがあります。 徐々に成長していく過程の中で、自立と公共性がバランス良く保たれるように「他人に迷惑を掛けない、身上を敬わなければいけない、自論を持つと同時に謙虚な姿勢でなければならない、弱者、女性には優しくなければならない、想いと行動は常に人格を形成する等々」クォリティーは歳相応であっても、目的は明確にしておかなければいけません。 時には他人の力も借りて、、、競技、試合に勝つことだけが目的ではなく、負けた時の苦やし涙が「生きる力」の源になるように導くのが親の務め。 試合に出して貰えないからといってクラブを辞めさせる親も見て来ました。 その結果に「共育、今日育、強育、協育」のどれも当てはまりません。 子供が10歳なら親も10年しか務めて(勉めて)いないわけです。 親子、互いに立場は違えど、世の中に対して謙虚に活き(生き)ましょう!という姿勢が一番大事なのではないでしょうか!?

noname#228046
質問者

お礼

難しいですがそれが育児なのかもしれません。ご回答ありがとうございます。

noname#225485
noname#225485
回答No.4

そもそも親の反対を振り切ってまで成し遂げようという思いが無ければどうせその道を選んでも大成はしないと思います。 そういう意味では親は一つの障壁やフィルターであると考えます。 親の反対で諦めるレベルならそこまでの夢なのです。 そりゃ自分の力で人生を切り開き進むより親の引いた線路の上を走る方が楽ですから。 親の責任にも出来る…、 だけどそのレベルでは到底自力で切り開くなんて事は出来ないのです。 その最初の障害が親の反対なんだろうと思います。 それすら乗り越えて行かねばならんのです。

noname#228046
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 育って社会に出た時代の景気によっても それで上手く行くか行かないかが変わるんでしょうね。 様々な職人作業が機械化、プログラム化され効率化され淘汰される。 この道を極めればいつまでも時代に必要とされるというものは無い。 どんな努力も投資も時代の変化と需要の変化で不意にもなる。 過去の栄光は時代錯誤。 個人単位でも、親子単位でも。 昔なら通用した技能や資格だけではもう通用せず必要とされない。 ん・・これは考えても悪循環なだけな流れですね。 否定的な思考は正解の無い迷路に迷い込む様なものですし、 興味や意思を広げ育ませ人や社会に必要とされるレベルまで育て 人や社会に関心を持ち持たれる事から需要に目を向けさせ 需要へ向かって努力したくなる様に誘導した方が よほど精神的には健全に成育させられるのかもしれません。 ・・これもまた個人差が激しい話に過ぎないですね。 なんとも難しい。

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.3

誰でも人の子であり人の親なのに、この質問に対し回答が少ないのは、どの人にとってもそれが永遠に過程であり未然形なので、結論が出ないからではないかと思います。 自分にしても放任的に育てられ、その為に高校入試さえ自立的に決めて来ました。少なくともその高校入試に合格したからいいようなもの、失敗していたらどうなったか今から考えても怖くなる程です。 翻って自分の子供(成人)は親の薦めには殆ど従わず、(苦労しながらも)自分の選択で生きています。 自分の体験から得た教訓としては、子供は親の言いなりにならず自立し、親は子供に対しては放任主義でいいと思います。欧米の親子関係ってそんな感じじゃないですか?(映画でみるだけですけど^^;)

noname#228046
質問者

お礼

放任主義が病まない為には良いのかもしれませんね。 どうせどこまで考えても全て答えはないのですから。 ただ、このご回答を読んで思ったのですが、 遺伝する先天的な特徴(感受性、刺激への鋭敏性、学習度合い)が かなり深い影響を与えている様に感じました。 人格の大部分は後天的な経験~感情~行動~反応~経験のループが 傾向を与え形作らせていますが、 先天的な特徴がそれを一定の方向に傾けさせますし、 遺伝元である親が構築したそれの影響も受けて人格は形成されます。 3歳までに浴びた喜怒哀楽で脳の喜怒哀楽の感度は固定される。 10歳までに急成長する脳細胞とそのネットワークは その生活環境から浴びる刺激に対して最適化されてしまう。 15歳を超えると新しい環境(学生から社会人へ)などへの適応力は 個人差が激しいながら明らかに減衰して行く。 どういう生活スタイルでどういう刺激のある環境で育ったかで 難無く社会に適応できるか否かは大きく変わる様子があります。 先天的に刺激に敏感だと、音量をMAXにしたスピーカーの前に 日常的に曝される様な煩く不快極まりない社会と感じる為に、 自然に独り静かな暮らしを選ぶ様になる傾向がある。 その先天的な特徴が遺伝し、構築されたライフスタイルに染まる。 ここが今回の私の疑問の根の部分にあるのかもしれません。 もしここが問題の根であるならば 社会全体、人全体で見ればあくまで少数派側であるこの問題は 一般的な視点や価値観だけで向き合っても限界がある問題で 正しく傾向を捉え問題の本質に合った 適切な対応を要する問題なのかもしれません。 人は誰でも自分が上手く行った方法くらいしか語れない為に より不器用な親子ほど雁字搦めな選択肢に閉塞されやすいですし。 ご回答ありがとうございます。違った視点に気付かされました。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (953/8909)
回答No.1

親の顔色を窺わない、または経済的に自立する以外ないんじゃないでしょうかね。 >より可能性の高い選択肢を選ぶまで暗い顔をし選べば喜び応援し 母親の歩んできた生活レベルにもよると思いますが、これって自分と同じ道を歩ませようとしてるんじゃないですか? 可能性が高ければ高いほど底辺に近くなっていくと思うんですけど。 考え方によっては自分と同じ苦労や辛さを味わわせて理解してもらいたいんじゃないかとすら・・

noname#228046
質問者

お礼

>親の顔色を窺わない、または経済的に自立する 親自身が孤立していたり情緒不安定だと 子供はそれに深く引きずられ影響され 不安がちで否定的なフィルターで物事を見て怖がる様になる。 先天的な感受性がそれを招く事もあるから何とも言えないけれど。 親の視点で語る事をできれば避け、 子供のやる気や気持ちから経験させ、 言葉や文字では伝わらない多くを体験させて 自分で考え調べ知る思考の自立を育ませ、 他者や社会と向き合い経済的自立が出来る様に育てる。 そうした姿勢が良いのかもしれませんね。ありがとうございます。 >これって自分と同じ道を歩ませようと 女性はどうしても将来に対する安定を望んでしまう面がありますし 共感を求めて無意識にあの手この手とやっている面がありますね。 客観的なご意見ありがとうございます。助かりました。

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