• 締切済み

なぜ生きる?

なぜ生きるのですか? わが国日本には生存権という権利は保障されています。 つまり日本において、国家は国民に対し生きる権利(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)を保障しています。 自主自立して生きていこうという人には国家においてその権利を保障するというものです。 ではその対極に位置するであろう死ぬ権利は日本の法制度においって一切明文化されていません。 人の死の定義すら法整備されていないです。 納税者たる国民は自らの意思で死ぬことを認めないということでしょうか 死ぬ権利を認めない理由は何でしょうか? 自主自立し高い志と目的意識のある日とは別として、惰性で日々生きているひとはなぜ生きているのですか?大阪西成の浮浪者のような人でもなぜ生きるでしょうか? 私は生きる目的も理由もなにもありません 死にたいのにいつも阻止されます・・・。死にたいのにしねないのです。 生きたくないのに生きなければならないのは苦痛です 人はなぜ生きるのでしょうか

noname#225183
noname#225183

みんなの回答

回答No.9

死ぬ権利が保障されないと困る人がいるんですか? 毎日沢山の人が死んでるのに、死ぬことにどんな権利が必要ですか? 死ぬ権利? 言葉遊びもいいところです 「生きる権利」という言葉から小学生でも連想できる「死ぬ権利」という言葉をばらまいているに過ぎません 義務と権利の違いが分かりますか? 国は生存権として最低限度の生活をする権利を認めていますが、最低限度以上の生活をしなければならないとは定めていません。 生きることが権利であるなら、権利を放棄することは何の問題もありません 何故死ぬ権利が認められていないと思うのでしょう? 法文化されていようがいまいが、日本では生きる権利の放棄、あなたの言うところの死ぬ権利は認められています。 他人の生きる権利を侵害すれば罪に問われるのに(殺人、殺人未遂等)、自分の生きる権利を侵害しても罪に問われないからです 死んでしまった場合は仕方ないとして、自殺未遂が処罰されないのは、生きる権利の放棄が認められていることに他なりません 安楽死や尊厳死が問題になっているのは、他者が介在することのその一点だけです 死にたいという個人の感情を否定するものは一切ありません 質問者のお話を聞くと、死ぬ権利ではなく、死ぬ義務の必要性を訴えているにすぎません 何故生きるのか さあ、何ででしょう? 理由が必要ですか? 理由が無ければ生きていけませんか? あえて言うなら「今生きているから」ですかね 例えるなら転がるボールです ボールはいずれ止まります 転がる速度が遅くなってゆっくり止まる場合もあれば、壁にぶつかって急に止まる場合もあります。 でも今は転がっています むしろそのボールを無理に止めてしまうことに理由が必要ではないかと 「転がる理由がわからない」という理由以外の理由がです

noname#225183
質問者

お礼

私の言う死ぬ権利とは、自殺者にも尊厳をという意味です 自殺を悪という観念そのものが価値観の押し付けなのです しかし、あなたと議論をしても結論や合意点が見出せるようには思えない あなたはあなたの持論を自身と責任を持って流布すれば良いと思います どうもありがとう 要は死にたければ死ね、自分で勝手に死ね 他者の介入ができないと死ねない臆病者のたわごとということですな

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

こんばんは。 >「なぜ生きるのですか?」 しょうがないと思います。 >「わが国日本には生存権という権利は保障されています。 つまり日本において、国家は国民に対し生きる権利(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)を保障しています。 自主自立して生きていこうという人には国家においてその権利を保障するというものです。」 「生存権」に、そのような留保は、付いておりません。 >「ではその対極に位置するであろう死ぬ権利は日本の法制度においって一切明文化されていません。 人の死の定義すら法整備されていないです。 納税者たる国民は自らの意思で死ぬことを認めないということでしょうか 死ぬ権利を認めない理由は何でしょうか?」 「それが最も価値が高い」という価値観があるから、とは、見たことが有りますか。 >「自主自立し高い志と目的意識のある日とは別として、惰性で日々生きているひとはなぜ生きているのですか?大阪西成の浮浪者のような人でもなぜ生きるでしょうか?」 「自主自立し高い志と目的意識のある日と」は、なぜ生きるのでしょうか? >「私は生きる目的も理由もなにもありません 死にたいのにいつも阻止されます・・・。死にたいのにしねないのです。 生きたくないのに生きなければならないのは苦痛です 人はなぜ生きるのでしょうか 」 「アメリカ人だから・・・ 「イギリス人だから・・・ 「フランス人だから・・・ すべて、間違いです。

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.7

3000万の価値どうこうではなく それだけの経済効果があるわけです。 それが途中半ばで勝手にしなれたら その効果はなくなります。 それと3000万の価値があるかないかを 国で考えるならあるでしょう。 それだけ日々、衣食住はしていると思います。 単純に考えて年収300万でも、10年生きていたら 貯蓄をしていたとしても3000万のお金の動きが あります。 その前に子供が生まれたら、もうそこから 経済が動きだします。 宗教を国家運営に持ち込むとしたら、政教分離自体の 概念や法律を変えなければならないでしょう。 私は、そこまでの話はしてません。 あなたが仏教に関心があるなら、お坊さんに聞くか 調べて見てください。 それはあくまでもそういう話を 私は聞いたことがある程度の話です。 社会保障で考えるなら、それはそれで雇用が 生まれるわけで無駄なことではありません。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10513/33059)
回答No.6

>納税者たる国民は自らの意思で死ぬことを認めないということでしょうか そんなこたァないですよ。日本では毎年2万人を超える人たちが自殺しています。事故ということで処理されている人もいますから、実際の数はもっと多いことになります。 国によっては刑法で「自殺した者は死刑」と決まっている国もあります(本当)ので、日本では自殺した人あるいは自殺未遂をした人を処罰する法律もありませんので、自らの意志で死ぬことを認めているというか、自殺を規制はしていないってことになりますね。 >死ぬ権利を認めない理由は何でしょうか? そんなものを認めたら、死にたくないのに死ぬように求められる人たちが出てきちゃうからですよ。いじめられて死ぬように強要されるとか、生活保護を受けている人や重い障害を持っている人は社会の役立たずだから生かしておいても意味がないとか、借金を作りまくったりアルコール依存症になったりして家族や周囲に迷惑かけてる人はさっさと死んでくれとか、そういうことになっちゃうからです。 世の中には、死にたくない人だって大勢いるんですから、まず認められるべきは「死にたくない人は死なない権利」です。「死にたい人が死ぬ」のは、まあ具体的な方法を書くと削除対象になっちゃうから書きませんけれど、いくらでも方法があるじゃないですか。それを本人が「痛いのは嫌だ」とか「苦痛なのは嫌だ」とかいうのは知ったことではありません。「楽に死にたい」というのは「楽にお金儲けしたい」くらいのワガママだと思えばいいですよ。 >死にたいのにしねないのです じゃ、死ななくていいじゃないですか。別に焦ることはありません。その気になれば来年でも10年後でも何十年後でも死のうと思えば死ねないわけではありません。死ねないのは、死ぬのが怖いからですよ。 もっと自分に素直になったほうがいいですよ。死ぬのが怖くて死ねませんって。死ぬのが怖いなら、今死ぬこともないじゃないですか。ま、せっかくなんだからもうちょっと世の中の楽しいことをいろいろ味わってから死んでもいいのではないでしょうか。

noname#225183
質問者

お礼

>死ぬ権利を認めない理由は何でしょうか? そんなものを認めたら、死にたくないのに死ぬように求められる人たちが出てきちゃうからですよ。いじめられて死ぬように強要されるとか、生活保護を受けている人や重い障害を持っている人は社会の役立たずだから生かしておいても意味がないとか、借金を作りまくったりアルコール依存症になったりして家族や周囲に迷惑かけてる人はさっさと死んでくれとか、そういうことになっちゃうからです。 ↑ 私が理想とする世界がここにあります

noname#225485
noname#225485
回答No.5

死ぬ権利も何も…死んでしまえば当人を罪に問うことはできないです。 なので認めようが認めまいが同じことです。 なぜ生きると言われても生きる事が生物としての本能ですから。 増えすぎたネズミなどを除けば動物が自ら死を選ぶ事は少ないです。 ネズミなどは数増えると一部が自殺行為に及びます。 これは全体の数を調整しようという種としての本能らしいです。 一部の個体を犠牲にして個体数を減らし種を守ろうという本能的判断です。 多分人間にもこれと同じ本能が残ってるのかもしれません。 だからといって自殺を肯定してる訳ではないです。 自殺すら本能から来てる可能性があるのかもしれないということです。 特に人間は増えすぎてる状態も言えますし。 死ぬことに理由が有っても生きることに理由は無いです。 だって生まれて生きてるのですから…。 生き続けたいってのは本能以外の何物でもないです。 その上で死にたいって事はそれ以外の何らかの理由が働いてるってことです。 生物は生きられる限りは生き続けるってのが普通の状態なので、ネズミの自殺にしても特殊な環境下での判断なのです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

なぜ生きるのですか?  ↑ 生きるのに理由などありません。 人間は、理由があるから生きているわけでは 無いからです。 事実、理由などなくても生きていけます。 人の死の定義すら法整備されていないです。   ↑ 判例は、心臓停止をもって死と定義しています。 判例も法規範の一種です。 納税者たる国民は自らの意思で死ぬことを認めない ということでしょうか    ↑ 納税していない者でも、自殺は認めていません。 死ぬ権利を認めない理由は何でしょうか?   ↑ 自殺は悪いことだ、と観念されているからです。 なぜ悪いことだと観念されているか、といえば そう決めることにより、少しでも自殺を減らそうと しているからです。 どうして減らそうとするかといえば、人間が存在 しないことには社会が成り立たなくなるからです。 人間は社会的動物です。 社会で育たない人間は、二足歩行すら出来なくなります。 それほど人間にとって社会の存在は必須なのです。 その社会にとって負の効果がある自殺は、悪いことと 決める他ないのです。 惰性で日々生きているひとはなぜ生きているのですか? 大阪西成の浮浪者のような人でもなぜ生きるでしょうか?   ↑ 理由がなければ生きてはいけない、なんて 法がないからです。 そんなのは、自分の勝手です。 理由があろうが無かろうが生きていくのは、自由です。 あなたの論法では惰性で生きている人間など価値が 無い、殺しても構わない、ということになりますよ。 人はなぜ生きるのでしょうか   ↑ 脳幹にある、生存脳の要求があるからです。 つまり、本能です。

noname#225183
質問者

お礼

ありがとうございます あなたのおっしゃるとおり私の持論は、自立無き者は去れなので 働かない、義務を果たさない者は死を持って社会から排除すべきと思っていますしこの持論は揺らぎません 社会は相互扶助でできている筈です。しかし、相互扶助では今はありません 狡賢い奴らが得をし賢明に義務を果たそうとしている者が馬鹿を見るのです 納税・勤労・教育は国家が定めた国民の義務です。 義務を果たせないものに権利を行使する資格はありません 故に惰性で生きている人間など価値が無い、殺しても構わないという結論になります 私は、可能ならば、年金受給者、生活保護受給者等々社会的弱者を排除したいと常々思っています。この思想になるまでには幾多もの経験と不条理、理不尽の経験からであり決して揺らぐものではありません 働かざるもの食うべからず!故に生きる意志のないものは死ぬべきなのです!

noname#225171
noname#225171
回答No.3

数の力で潰されるのですね」←んっ?・・ 潰されるのでは無く 自らが潰してるのだが・・? 自殺って 他人が強要してないのにするでしょ・・ 病んだ 最終結果が自殺に なるだけ・・

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.2

うーん、戦前だったら切腹や自決する文化があったから、認めてたでしょうね。 戦後は、アメリカが作った憲法ですからね。 アメリカや欧米文化のキリスト教などは、自殺、自決を認めていない宗教文化です。 後は、仏法とかの世界になっちゃうと生きることは苦痛であることは当たり前で、生きることは天竺に行くための修行、悟りを開くための修行だからとも言えます。 で、仏法の話は、別として現実問題になると どうなんですかね? 人間社会において、死ぬとどのようなことに なるのでしょう? 今まで国や親が投資されていたお金は 無駄になりますよね。 学校教育やらなんやらを得て、働き税金を納め、社会貢献してもらうことで、公共サービスとか、1つの道路とか作られ豊かな暮らしを作りあげました。 さらに1人の人が消費される食費や生活費なども 社会からなくなります。これも赤字。 なので真っ当に生きないで、途中で挫折し死んだ場合は 赤字です。需要がなくなり社会は微妙なわずかながら、 衰退します。 というのが、社会全体で考えられます。 後は、家族単位では、友人単位では、恋人単位では、子供単位では と色々なことも説明することが出来るでしょう。 と言うと、産まれてしまった以上、社会に 貢献しなければ赤字です。 赤字と言うことは、皆を不幸にさせると言うことです。 心の問題を解きたいとも思いますが、死ぬことの 何が悪いなんてひねくれ者には、人の心のことを 言っても伝わらないでしょう。 本来は、関わった人は、傷つきます。 死なせてしまったとか、後悔の念や寂しい気持ちに させることになります。 そして、他人の思い出までもかそれでキズつきます。 そんな自分勝手な人ばかり増えると社会や国は成り立たなくなり、皆を不幸にすることでしょう。 だから、死ぬ権利を認めことは出来ないかも知れません。

noname#225183
質問者

お礼

現実社会では、「死んでくれてよかった」と思う人のほうが多いのも現実ではないでしょうか? 少なくとも私の周りでは、無為に長寿ゆえに疎まれ、死んだことで家族が喜ぶという有様を見せ付けられました また人材育成の投資の回収率は、事業投資と比較したら明らかに低いと思います 仮に国立大学まで進んだとして子供一人に3000万の資金が必要です。 しかし、この子供が3000万位以上の価値になる可能性はあるでしょうか? 住宅ローンで3000万借りるの大変でしょ? 借りれない時点でその人には3000万の価値もないのですよ むしろ、無価値な人材が減ることで社会保障等の無駄な支出が減り将来的には財政的にも国家に貢献できるのですよ 死ぬ権利は認めるべきです。仮に宗教的観念を国家運営に持ち込むならば政教分離の原則に反するのではないでしょうか?

noname#225171
noname#225171
回答No.1

死にたいのにいつも阻止されます・・・。死にたいのにしねないのです。 生きたくないのに生きなければならないのは苦痛です 人はなぜ生きるのでしょうか」←こう考える人って病気なのだが その病気が精神から来てるので 病んでる事も解からないだけ・・ あなたと同じ様な気持ちの人は 本当は少数しか 居ないだけ・・

noname#225183
質問者

お礼

そうですか。少数派ですか 数の力で潰されるのですね

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