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日本の少数、遺産保護の取り組み(言語民族他)
- 日本の遺産保護の取り組みと少数民族についてまとめました。
- 日本は単一民族ではなく、アイヌや琉球などさまざまな少数民族が存在します。
- 日本では言語も含めて少数民族の保護が行われており、多様性を尊重する取り組みがされています。
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質問者が選んだベストアンサー
1。このような取り組みなど、予算を含めて、十分しているといえるのでしょうか? いいえ。 2。多数の日本人、日本語以外を劣ったものという概念がやはりあるんでしょうか? その可能性はあると思います。 3。それとも、意識しないことで、少数を差別しないことにつながっているのでしょうか? 全然無関係とは言い切れないと思います。 4。もしくは多様でなく、答えが一つという画一的になりがちなのでしょうか? いいえ。 5。または、雑居してきた日本史からすると意識しなくてそれでいいのでしょうか? 意識すべきだと思います。しかし、話し手が少数の言葉を話しても、生計が立たなければ自滅です。 6。ご質問には、台湾の例がありますが、朝鮮語は、今日、北も南も朝鮮語一つですが、下記によると、かつては耽羅、新羅、駕洛、百済、沃沮、濊(わい)などの言葉がありました。 http://ikiya.cool.coocan.jp/sehachi/cizu325.htm でも今の人に、雑居してきた朝鮮史からすると意識していないのではないでしょうか。シベリア、アメリカ、オーストラリ、アフリカなど死語累々です。 日本国内でも、社内では英語を使え、という会社では、日本語さえ危機に瀕している日も来るかと思います。
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- SPS700
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#1です.補足です。できないこととできることがあります。 1。できないこと 予算を計上しても言葉は救えない。これは方言が標準語化するのと同じです。アイヌ語も二十近くの方言辞典を作ることが20世紀には可能でしたが、いまはできません。 2。できること まだ残っている言葉の記録を取ること、これは可能です。文化人類学、民俗学、言語学の資料として、録音や動画を残すことは、予算を計上すればでき、外大のアジアアフリカ研究所などで実施されています。
お礼
やはり記録ですね。 他の情報を含めてご回答ありがとうございます。
- 92128bwsd
- ベストアンサー率58% (2275/3919)
これは難しい質問ですね。実は私も少し前に日本の中の少数言語の話をニュースで見て、少し疑問を持っていました。 個人的な意見としては、今できることはなるべく多くの資料、証言、映像、録音を残すこと。これはしっかりやらないといけないと思いますが、実際にはやっているのではないでしょうか? 後は少数民族の本人たちがどうしたいか、あるいは差別を感じているのであればそれにどう対処するべきかと言う行政の話に結局なってしまうのかと思います。 誰の立場で物事を考えるべきなのか、誰のために、何のために保護するのかと言うことによると思います。例えば、日本の中の少数民族の人がその民族の言葉と文化を守りたいとします。守るためには同じ民族の仲間が必要で、文化や言葉を話す集団が必要だと思います。そう言う人達がいたとしても人数が限られていれば長続きしないしもとの土地を離れて散り散りになり、他の日本人と区別がつかないほど同化するでしょう。実際今そうなっているのではないでしょうか?つまり、守るべき文化や言語を持った少数民族がそれを守りたいと言う強い力になれないのでは。経済的なものが大きいとは思います。 アメリカは原住民であるアメリカインディアンに対して手厚い政策を取っています。各種族の居留地や聖地を保護したり、職業の上でも特権や優遇を与えたり。 結果として、居留地に固まって住むインディアンは悪く言うと見世物、動物園じゃないですが住まわされている感じで、それはそれで本人や他の人達からの反発や問題視があるようです。 ちょっと深みにハマるのですが、そもそも民族って何か。世界的に見ると、日本は一つの民族の集積度と言う意味でまれに見る国のようで、日本人の民族の感覚と海外の感覚とは随分ズレがあるそうです。民族とはある歴史・文化(含む言語)を共有する集団だそうで、人種(Race)よりもずっと広くて、EthnicとNationの中間くらいが民族なのだそうですが、どうしても日本人としては、人種(最近はDNAまで考えてしまう)、言語、文化、地域、国までひっくるめて民族と考える傾向が強いようです。じゃあ海外的な味方をして人種とかDNAを無視すると、日本民族は何を守っているか。少なくとも我々はちょんまげはしてないし着物も来ていません。そもそも文化は過去から引き継ぎながら変わっていくもの。でも日本人の文化やものの考え方は脈々と引き継がれて今の日本の文化になっている。と考えると、日本の少数民族に100年前の服と、食べ物、言葉を喋り続けさせることは決して少数民族の保護ではないし、その少数民族の人たちの文化は時間とともに日本の他の文化と混ざり合って段々と同化していくのが自然な姿ではないでしょうか?もし現代の日本に縄文人と弥生人が別々の街を作って暮らしていたら面白いですが、そうはならなかったですね。 当の本人たち、それぞれの少数民族の人達がどう考えてどうしたいかが大事ですが、それとは別に大事なことは、少数民族の昔を今に生きながらえさせることではなくて、いつでも知ることができるように記録に留めることかもしれませんよ。 大阪の民族学博物館や佐倉の歴史民俗博物館を始め幾つか民族学・民俗学の研究・展示組織がありますが、そう言うところの範疇かもしれないと思います。
お礼
記録を残すのは基本ですね。 言語は変化していきます。 ただ放棄しないといけない状態からの保護が何かできるかもしれませんね。 ご回答ありがとうございます。
お礼
他の情報も含めてありがとうございます。