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自信(自分を信じる)とは?
辞書的な定義では「自信」とは「自分自身を信じる心」ですが、何をどう信じるのか、信じるべきなのか、自信はどこからくるのかなどの具体的には書かれていません。 「自分は趣味で自信がある」というレベルではなく、哲学的、心理的な話として必要な自信(たとえば人生=人間関係であるのならそのために必要な自信)についてそれぞれの意見が聞きたいです。 また「強さ」と「自身」は相関がありますか? 自信がないけれど気が強い、芯の強さがあるという人はたくさんいます。 しかし理屈上、「弱い」のであれば自信が生じるのも弱いということになると思いますが… この点についてもお聞かせください。
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少し興味がありましたので回答します。 自信はどこからくるのか? 私は、自信は経験によって身に付くものだと思います。 たとえば、何かを100回繰り返しやったとします。 最初の25回は上手くいきませんでした。 次の25回は、最初のの25回よりは上手くいきました。 このあたりでなんとなく要領が掴めたとします。 その次の25回は、その前の50回よりはおそらく上手くいってるはずです。 最後の25回は何回もやっているので慣れてくると思います。 最後の、慣れてきた頃には、最初の上手くいかなかった25回に比べて 上手くいく確率が上がり、上手くいかない確率が下がっていると思います。 更に言うと、最初の25回の上手くいった確率が30%だったとします。 そして最後の25回の上手くいった確率は80%でした。 こうして数値にすると成功率が上がっているのが分かります。 こういったように考えると少しずつ自信が付くのではないでしょうか? 主観的にあれはダメだった等と言っていては自信は付きにくいと思います。 何かやることに対して、まずは低めの目標を設定して それに対して、自分は何%その目標を達成できたかなどを記録してみてはどうでしょうか? この場合は判断基準は、自分がどれだけ満足できたかで良いと思います。 低めの目標を設定するのは、高い目標を設定しても、出来なくて自信をなくしては逆効果だからです。 それとこれらの結果は、わざと残るように何かに記録します。 記憶より記録のほうが正確です。 頭で覚えておくより、何かに記録しておいたほうが残ります。 それを見返して上手くいってるか分析すればいいと思います。 ダメだったなら何がどのようにダメだったかなどを反省するのも重要です。 どういった所がダメで、それを直すには何をするか、何が自分に出来るか? そういったことを考えていけば、少しずつ自信が付き、成長できると思います。 frau様の考える強さ、弱さがこの文章のみでは想像しづらいですが 一定の相関があっても、絶対では無いと考えます。 自信がないけど気が強い、芯の強さがある人がいるように 自信があっても謙虚な人はいます。自信満々でも実力の無い人もいます。 弱いから自信がないと決めるのは危険です。 自分で自分を型にはめてもいいことはありません。 少しずつでも自分にやれることをみつけてやっていけば良いと思います 長文失礼しました。 また、frau様の求めている回答が出来ていないかもしれません。 ご容赦下さい。
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自信は経験からですね。 以前に成功したという経験があるから得られる物です。 「これなら出来る」って確信に近いもの…。 失敗を乗り越えて成功し初めて得ることが出来る物です。 言ってみれば人生の経験値でしょうか? 気が強いと自信は違います。 根拠の無い自信というのもあるけど、これはハッタリですよ。 まあこれも人生には時として必要なりますが、それだけでは無理でしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 よくいわれるようにやっぱり「経験ありき」ですよね。 「書(啓発本)を捨て街に出よ」ですか(笑) 5番の回答者さんが述べた「自己効力感」のことですね。 どんなに小さくともプラスの経験を重ねていくといいそうですが、これが「自己効力感」につながるのでしょうか。
- bgm38489
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「自分自身を信じる心」としての自信ですか。 人間関係において必要な自信とは、むやみに自分の意見に拘らず、柔軟に相手の考えも取り入れて、自分の意見を修正していけると信じる心を持つことでしょうね。何か、「自分自身を信じる心」とは逆行しているように見えますが、読み返せば、言いたいことがわかると思います。 人生全般においても、経験を積むことによって、柔軟に対応していくことができると思えるようになる、いうことが、最も必要な「自信」ではないでしょうかね。 「自分自身を信じる心」が強くとも、気が弱いように見えるのはあってもいいと思います。逆も然り。宗教的なこだわりが強い人でも、食べ物に関してはどこの国のどんな料理でもOKだ、という人がいるように、強い弱いも分野別です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「自分自身を信じる心」とは逆行 とは思いませんが、柔軟に相手の意見を取り入れるためにはまず、確固たる自分(自信)があってできることだと思います。 その自分とはエゴや頑固さからくるただの「こだわり」かもしれませんが、欺瞞や思考停止状態とは違う、理性や客観性、メタ認知能力のことです。 自分の考え方を疑うということは自信喪失ではなく謙虚さであり、相手の意見に振り回されるだけではそもそも「懐疑する」ということはできません。 >自分の意見を修正 していくのは、まず自分の確固たる考えがあり、その価値観や考え方に刺激を与えられたときに「ゆらぎ」があり、理性や客観性でもって「今までの自分」と照らし合わせて、修正またはその必要ないと結論をだす思考や心の弛緩性のことを「柔軟性」というのだと思います。
- 雪中庵(@psytex)
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「自分」とは、このちっぽけな肉体ではなく、 宇宙そのものだと理解する事だ。 宇宙に自分しかいないのなら、自信しかない。 他人と比較したり、他人による評価に依存して 自己認識するところに、自信喪失は起きる。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >他人と比較したり、他人による評価に依存して自己認識するところに、自信喪失は起きる。 確かに比較とか依存という「他者中心」的な考えだとそうなりますね。 ただそれだけでは自身喪失は起きないと思います。 自己嫌悪や自傷的な自己否定は絶対的なものではなく、そこに至るは必ず他者からの否定という要因があります。 産まれっぱなしの赤ん坊は自己否定しません。自己肯定感に養育者の環境や養育歴が重要になるのはそういうことだからです。
- shiren2
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自信というのは一般的には自己効力感のことですね。 効力感がある=自信があるです。 Wikipediaからの引用になりますが >自己効力感 (じここうりょくかん)(self-efficacy) とは、自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できるかという可能性の認知。心理学で用いられる。 重要な箇所は遂行できるかという”可能性の認知”という箇所でしょう。 仮に自信がなくても、能力はある場合もありますし(その場合は本人が自分の能力を正しく認知していない)、逆に出来もしないのに自信があるケースもあります(その場合は本人が自分の能力を過大評価しており、やらせると失敗する)。 要するに自信は自己評価の高さに依存するということですね。 自己評価が低いと効力感を感じず、効力感もないので自信もなくなる。 逆に自己評価だけ高くて、能力もないのに効力感だけ感じているケースもある、ということです。 参考になれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >仮に自信がなくても、能力はある場合もありますし ああこういうことです!こういうことをもっと知りたいんです。 客観的に見た自信(同様、相手に対する見方)があってもそれを体現できないというのが目下の悩みです。 もっと自分をだせばいいのにと言われますし、抑圧されているものが何かもわかってるんですけれどねー。
>生じるのも弱いということになると思いますが 私もそう思います。 質問者さまが哲学的な言葉を求めていらしたら 的外れな回答になりますが、 人間関係て足し算引き算が必要だと思っています。 「自分がどうしていいか知ってる」なんて言う人が いたら私はもうその人には近づきませんよ。 人間関係て良かれと思ってしたことが裏目にでて 失敗したり、うまくいくわけがないんです。 >「自分は趣味で自信がある」というレベルではなく、哲学的、心理的な話として必要な自信(たとえば人生=人間関係であるのならそのために必要な自信)についてそれぞれの意見が聞きたいです。 100%確信の持てることしかしません、 とくに悩んでる人に中途半端な言葉で 助けたりしません。 月並みな言葉ですが自分に責任をもつこと。 相手が99悪くても自分に1%でも非があれば 反省します。 自分を少しでも疑ったときはそっちのほうを考えます。 少ない数字の中から自分を足してく感じです。 どう行動するかより、自分が行動するときに どう考えるかです。行動できないと思ったらしない。 自信というものが何かわたしには 分からないのですが。 人づき合いが苦手で頭も悪く、なんか損な人ですが それなりに頑張ってます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >人間関係て足し算引き算が必要だと思っています。 いい言葉ですね。 >人間関係て良かれと思ってしたことが裏目にでて 失敗したり、うまくいくわけがないんです。 人生の悩みの99%が人間関係での悩みということですし、これだけ複雑な心、考え、思い、事情、人生をもっているのが「人間」です。 その人間同士がぶつかりあうのですから「うまくいくほうがラッキー」と思っていたほうが幸福ですよね。 >相手が99悪くても自分に1%でも非があれば反省します。 あまりご無理をなさらぬよう。1%でもと思うと自分を責めすぎてしまいます。5%~7%でよいかと存じます。 >人づき合いが苦手で頭も悪く、なんか損な人 私も同じです。損ばかり(笑)
- kaitara1
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自分ができることを丁寧にやっていける、あるいはできないことをやろうとあせらない、というのが自信があるということだろうと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 焦っても何も良いことがなかったということが経験からわかっています。 外部の声(親。親自身の焦り)が内在化していたからです。 しかしそれに振り回されていました。満足感がない。自分の中にはゆっくりと進めたいと思うのに、早く進めても焦っても空しかった。結果失敗が多かったです。 「他者中心」ではなく、他人に振り回されない(自分中心)ということも自信のひとつの現れですね。
>「弱い」のであれば自信が生じるのも弱いということになると思いますが… この点についてもお聞かせください あなたはいいことを言ってます。 >哲学的、 哲学者の名言を読んでみてください。 どう解釈するかはあなたの自由です。 >心理的な話として必要な自信(たとえば人生=人間関係であるのならそのために必要な自信)についてそれぞれの意見が聞きたいです。 人間関係は周囲が教えてくれます。 得るのではなく、築き上げることです。 知識は増やせます。欠点はカバーできます。 自分をカテゴライズする必要はないと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 漠然としててわかりづらいです。 当然、知識は増やせます。 でも頭の中の知識だけでは自信をもつことはできません。 対外的なフィードバックが必要です。「自信の社会化」といえばよいでしょうか。 >築き上げることです。 自信は絶対的なものだと思うのです。 自信ゆえに導かれた結果を積み上げるということですか? 自信がない、のではないのです(人よりもあるかもしれません)。自信を行動化することができないのです。
- 8shi8
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自信の強さ、弱さは自信を持っていることに対する自分が信じる心の強弱だと思っています 私は自信とは自分を信じる事だと思っています 自分のある状態を強く信じた場合、そのある状態に対して自信があると言えると考えています 例えば 私はアルコールに弱いことには自信があるとか
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分が信じる心の強弱とは、強弱すべてを信じるということですね。 つまりありのままの自分を信じる。 > 私はアルコールに弱いことには自信があるとか もしその弱さ(とくに性格面で)に対して劣等感や直したいものであれば、 このたとえは自分への皮肉となり、そこから何も進展しないと思うのです。ネガティブなことに対しての自信ではなく、自分を客観的にみたときの長所(さらに他者からの評価もあることで客観性が強くなり)それは「自信があるといえる」といえるのですが、それをどう具体的に表現すればよいのか。 自信が自分に集約されるには、それが対外的に表れ、そこからフィードバックされ、さらに自信が増すと思うのです。 個人的にはそれができないというのが悩みです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私が最近イメージしていたことを具体的にイメージさせてくださって、驚いてます。 >最初の25回は上手くいきませんでした。 まだここなんですけれどね(笑) >その次の25回は、その前の50回よりはおそらく上手くいってるはずです。 この75回目というところでだいぶ自信がつくということは「実感」も伴いながらイメージできます。 >最後の25回は何回もやっているので慣れてくると思います。 ここまでくると「自信をつけよう」という思考ではなく、「日常」や「あたりまえのこと」「本当の自分」というレベルになるかもしれません。 つまり心から自信をもっていれば、改めて考えることのない普通のことになるのでしょうか。まだその域に達してないのでわかりませんが。 >まずは低めの目標を設定して これこそ私がやろうとしているメソッドです。 赤ん坊は自信がないあるという世界観ではなく「万能感」そのもので生まれてきます。そこで養育者から万能感から現実に適応するための教育をされますが、悪い親だと今後人として現実に生きるための自信を育むどころか奪うこともします。 最初にあった「自信」はいきなり略奪されたのではなく、雨が岩を侵食していくように長い時間をかけてなされてきたような場合、取り戻すためにも同じ時間がかかるのだとしたら、スモールステップでかつての本当の自分に帰るしかありません。 >低めの目標を設定するのは、高い目標を設定しても、出来なくて自信をなくしては逆効果だからです。 これは経験済みなのでわかります。三歩行って二歩下がるというようなことになってしまいます。一歩ずつでも着実にそれが自身となればもう一歩踏み出したときには自信という根拠がありますよね。でも焦ると下がった分の一歩の失敗(自信を奪う)がある。 >何かに記録します。 これもやってますけれどまだ足りないです。自信だと思うけれどそう思っちゃっていいのかな、などと(たぶん)不要な罪悪感からくる抵抗感のせいだと思います。これを超えるのが今後の課題です。 >少しずつでも自分にやれることをみつけてやっていけば良いと思います 勇気をいただきました。ありがとうございます。