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音楽の専門学校に行く意味

日本工学院のミュージックアーティスト科のサウンドクリエイターコースへの 入学を検討している者です。 先日、工学院の体験入学に行ってきたんですが、 そこで自分に対する講師の方の態度と体験入学に来ていたほかの人たいするそれとの違いに 愕然としました。 というのも、 体験入学ではメロディを作る授業を行ったのですが、 自分は音楽理論を毎日勉強している (セカンダリードミナントくらいまでわかります) にもかかわらず、 講師の方からは「理論には忠実ですね(つまりいいメロディではない)」と言われ、 他の人はコードすらまともにわからないのに いいメロディをつくって講師の方からちやほやされていたのです。 このまま入学したら、どんなに努力しても講師から相手にもされず、 結果も出せず、卒業したら路頭に迷うというシナリオが目に見えるようです。 音楽というものは才能がすべてなんでしょうか? 努力はまったく意味をなさないものなのでしょうか? 日本工学院にて今学ばれている方、もしくは学んだことのある方からの 生の意見をぜひお聞きしたいです。 そうすれば専門学校の実情が分かるかもしれません。 ご回答お待ちしております。

みんなの回答

  • kai_66
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回答No.1

私は音大卒なので、工学院等専門学校の実情は直接は分かりませんが、これまで経験してきた音楽界の厳しさをふまえた上であえて厳しめにコメントさせていただきます。 貴方の勉強した部分の音楽理論が、単純にいいメロディ作りに直結するとは限りません。そもそもメロディ創作に関しては感覚的な部分(センスと呼びたければそれでも)が大きく、いわゆる「いいメロ」を作るための確実な方法論などありませんから。逆に理論が役に立つと思っている方が、それこそ無難なメロディーを書きやすくなる足かせになりがちです。 いいメロディを書くための勉強は理論を勉強することだけではありません。とにかくたくさんの曲を分析的に聴いたり、その中で自分が「いい」と思える曲を分析するのも立派な方法です。それだってひとつの努力でしょう。 課題ひとつで講師に高評価をもらうことが無意味とはいいませんが、正直それがどうしたって話です。ましてやその逆として「相手にもされず」と思い込んでヘコんでたらキリがないです。今回の貴方は、素直に評価された人のメロディの何が優れているのかを考え自分の糧にするべきでは。あるいはそれに納得がいかないなら「この課題に関してはここの誰もわかっちゃいないな」と切り捨てるのも大いにアリです。 今回の件から「音楽が努力より才能なのか?」という問いを出すのはあまりに飛躍しすぎです。単純に自分の努力がひとつ報われなかっただけの話でしょう。そんなことは誰にだっていくらでも起こります。それでもめげずに、自分の目標に向かって努力を続ける人間だけが最終的に残っていきます。 入学に関しては、何のために、そこでどんなスキルを付けて将来どんな仕事をしたいか。そのビジョンを明白にできるかどうかだと思います。そこがしっかりしていないと、仮に入学した後も、才能がどうだとか学校側への不満とか、そういう余計なことばかり気をとられて2年間を無駄にしかねません。自分の目標のために、できることを全力でやりましょう。才能なんて大それたものを考えるのは、それをやりきった後で構いません。