• 締切済み

イスラム教では異教徒を殺すことは教義に忠実なのか

イスラム教は歴史的には改宗か死かという激しい戦いをしてきたと理解していますが、現今のテロ事件と直接の関係はないのでしょうか。本来のイスラム教は現在のテロとは関係がないということになっていますが、自爆テロを実行する若者は純粋に信仰しているのでしょうか。

みんなの回答

  • dragon-man
  • ベストアンサー率19% (2711/13693)
回答No.8

イスラムの教義は、「目には目を、歯に歯を」です。

kaitara1
質問者

お礼

相手から受けた被害と同じ被害を相手に与えてもよろしいということでしょうか。テロの犠牲者は以前に、彼らに何か被害を与えたということなのでしょうか。

回答No.7

現在テロを行っている集団は、宗教に名を借りたただの人殺し集団です。それも大量殺戮です。犠牲者はなんの罪もない人々。しかもその国に貢献している人々をあえて狙って殺害している。 文明を破壊して喜んでいるのでしょう。 そこに宗教は存在しない。 主犯は陰に隠れ、インターネットによって世界的に、洗脳によって殺人マシーンを創り上げ、人殺しをしている集団。 排除するのは至難の業でしょう。 彼らに、教義なんてあるの?

kaitara1
質問者

お礼

すると彼らの目的はどこにあるのでしょうか。どの国という集団も自分さえよければというのを原則に行動しているので他の国と同じなのかなとも思いますが、最も凶暴な国でもこのようなテロ行為は行いにくいでしょうね。事実上は行っている国もあるようですが…

回答No.6

イスラム教徒とイスラム過激派は似て非なるまったくの別物です イスラム教は過激派を信徒とは認めていません 要するに過激派はコーランのジハード(聖戦)を都合よく捻じ曲げて解釈しているのです

kaitara1
質問者

お礼

そういう解釈をする主体というものが我々にははっきりしていないということも問題なのでしょうね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

イスラム教は歴史的には改宗か死かという激しい 戦いをしてきたと理解していますが     ↑ 右手に剣を、左手にコーランを、という やつですね。 現今のテロ事件と直接の関係はないのでしょうか     ↑ 関係あります。 イスラムは過激になったのは、十字軍の侵略が あった以降の話しです。 最近、法王があれは侵略だったと公式に謝罪 しているぐらいです。 十字軍の侵略に対抗するため、過激になったのです。 本来のイスラム教は現在のテロとは関係がないということになっていますが     ↑ 十字軍の侵略以前は、異教徒に対しては穏健だった、と言われて います。 自爆テロを実行する若者は純粋に信仰しているのでしょうか。     ↑ 信仰していると思います。 聖戦で死ねば、天国に行ける。 天国では六人の処女に囲まれた生活ができる。 産まれた時からそう洗脳されていますから。

kaitara1
質問者

お礼

意外に紛争を始めたのが常にヨーロッパの国(あるいはその派生国)であったというのは現在でも同じですね。

回答No.4

これこそ一神教の定めです。 旧約聖書に明らかなようにエホバは自分の教えに反するものには残酷な仕打ちで見せしめを行っていました。たとえは街全体を焼き払ったり命令に反して振り返った女を塩に変えてしまったり・・・。こういう教えの投影がイスラエルのパレスチナ人弾圧、十字軍、ISなどのテロ攻撃です。つまり純粋である信仰者にとって、自分たちの宗教のみが正しく他はクズであるので認めないのです。一神教の神様は怖いです。

kaitara1
質問者

お礼

すべては人間は同じ被造物という考えはないのでしょうか。

kaitara1
質問者

補足

仏教っは一神教ではないのでしょうか。全く何もわからないので漠然と仏の前にあらゆる人は平等というようなことを考えています。

  • mrst48
  • ベストアンサー率9% (303/3050)
回答No.3

ジハードを利用し、いわゆるテロ行為を称賛して それを信じている人物が行為を行っているのではと、感じています。

kaitara1
質問者

お礼

ことの是非はともかくとして、それなりに筋が通った行動ということでしょうか。

  • WhatisLOVE
  • ベストアンサー率34% (391/1147)
回答No.2

確かにイスラム教はやや排他的な宗教に感じます。 ただ、それと今のテロとの関係は全くありません。排他的といっても、今更他宗教とやりあって得はありませんし。 テロの実行はんの思想自体、イスラム原理主義という過激な思想を母体としているのでしょうけど、もはや犠牲者が平和的なイスラム教徒にまで及んでいるので、思想もなにもありません。 個人的には実行犯の若者は、ただのファッションとしてやっているだけで、中学生がタバコを吸うのに興味をもつように。またゲームのように銃を乱射することがしたいだけのように思います。 そもそも殉職する事で名誉だなんておかしなはなしです。 なら幹部クラスも殉職すれば、これほどの名誉はありません。

kaitara1
質問者

お礼

なるほど、自爆に参加する幹部は少ないでしょうね。

noname#261478
noname#261478
回答No.1

「改宗か死か」ではなくて、「改宗か死か貢納か」が正解です。 イスラムの教えには、イスラムに改宗しない人達がいたとしても、一定の納税の義務を果たしさえすればイスラム教徒とほぼ変わりない権利を認めるという制度があります。 歴史上、初期のイスラム集団(7世紀半ば)が中東の地から東西へと軍事的に勢力拡大していく過程で大量の被征服民を生みましたが、そういった人たちがムスリムに(イスラム教徒のこと)改宗してしまうと、コーランの教えの中にある・・ 「全てのムスリムは平等である。」 ・・の教えに従い、元々ムスリムだった自分たちと同様に納税を免除されることになっていたため、財政の窮乏を嫌い、積極的な改宗は進めなかったと言う話もあります。 また、イスラム教は、先発のユダヤ教、キリスト教を信じる人たちを、唯一造物主信仰、つまりは「一神教」を信じる同じ仲間として非常に尊重してもいます。 こういった事実からも解っていただけるように、本来のイスラム教には排他的、閉鎖的、狂信的な傾向性は全くありません。 むしろ選民思想(神様に救われるのは自分たちユダヤ民族だけだ)をとるユダヤ人や、福音(神の救いが全人類に訪れるという有難いお告げ)を広めるためなら、平気で暴力的手段に訴えたキリスト教徒のほうが、はるかに危険な人々でした。 今のイスラム過激派とか言われる人たちは、イスラムの敵を倒すためにはジハード(聖戦)に訴えてもよいのだという教えや、ジハードに準じた者は、死後天国で77人の処女を抱くことができるとかの教えを自分の都合の良いように歪曲して、行き場のない上に血の気だけは盛んな若者を煽り立てているだけです。 そもそも、イスラムの開祖ムハンマドが説いたジハードとは、内面的な信仰を誤らせる心の弱さや迷い、無知に打ち克つことを意味し、宗教の違う人間を抹殺せよなんて言う意味合いは全くありません。 最後の最後まで内面の努力に従事し、それでも相手が理解を示してくれず、こちらの命までさえ奪おうとしてきた時にのみ、究極的な最終手段として軍事的な抵抗が許されたのです。 ですから、開祖ムハンマドは布教開始から10余年もの間、メッカの町の反イスラムの立場をとる人々からさんざん迫害されながらも、一切武力での反抗はしていません。 ムハンマドの貢献者となっていた親戚筋の有力人物が亡くなり、誰の庇護も得られなくなってとうとう命の危険が差し迫ったからこそ、剣を手に取り立ち上がった、というより立ち上がらざるを得なかったから戦ったのです。 自爆テロに走る連中の行為とイスラムの本来の教えとが、絶望的に接点を見いだせないことが、お分かり頂けましたでしょうか。

kaitara1
質問者

お礼

私も人を殺すのを教義にしているまともな宗教があるとは信じられませんでした。

関連するQ&A