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仏教徒と宗教戦争、テロ
世界各地でイスラム教徒対キリスト教徒やユダヤ教徒の紛争が起きています。 イスラム教徒が自爆テロをしたというニュースも頻繁に聞きます。 仏教徒の宗教対立とかテロって聞いたことがない気がするのですが、世界史上はどうなのでしょうか? 日本でも一向一揆などはありますが、あれは宗教同士の対立ではなくて、宗教対為政者ですよね。 そうではなく、仏教徒対他宗教の対立や紛争はある(あった)のでしょうか? もちろん、現在の宗教対立には政治や領土などの問題も絡んではいますが、私には「政治的な利益」と同じくらいかそれ以上にそれぞれの「信仰」ということに重きをおいて戦っているように思えます。 そのような「信仰のため」に仏教徒が行った戦争はあったのでしょうか? 世界史はほとんど勉強したことがないので、詳しい方教えてください。
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- kotori-m
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No.4、No.6のkotori-mです。 私も『森林の思考・砂漠の思考』をお勧めします。 この本、私の回答の根底なんです。 学生時代にこの先生の講義を受け、とても感銘を受けました。 きっと疑問に答えてくれると思いますよ。
- bhg-1suki
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回答者の皆様、なかなか懐かしい本をお読みのようですね。私も学生の頃読みました。 この本はなかなか示唆に富んでいて質問者様にも参考になるのじゃないでしょうか。 しかし、なにぶん古い本なので古書店に行かないと見つからないかもしれません。 森林の思考・砂漠の思考 鈴木秀夫著 1978年 http://sgenji.jp/ のサイトで購入可能です。他でも買えると思いますが、新品は難しそうです。
お礼
大学の図書館にあったので、予約をいれてみました。 ありがとうございました。
- kotori-m
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No.4のkotori-mです 回答に対する補足を。 >環境が厳しい砂漠だからこそ、水の神、風の神、動物の神などの多神教が栄えてもおかしくないですよね。 ではなく、環境の厳しい砂漠では「絶対的何か」を信じるしかなかったのです。そこで生まれたのがユダヤ、キリスト、イスラムの3宗教です。 反対に、仏教のような森林の宗教では種々雑多な信仰が生まれたのです。
お礼
再度ありがとうございます。 おっしゃりたいことは理解していたつもりなんです。 が。 厳しい環境で「唯一絶対のもの」を信じるってこともアリですが、「手当たり次第救い(助力)」を求める」っていうのも、人間の心理としてありそうだよなと思ったのです。 なのに、「唯一」の方に偏った過程が知りたいなと思いました。 例えば古代エジプトは多神教ですよね? それがなぜ受け継がれなかったのかとか、 そもそも今のエジプトは砂漠の中ですが、当時は「オアシス」であって「砂漠」とは違うのかな?とか、 砂漠の民族の民話に、動物の神様が出てくるのはなかったっけ?とか。 「唯一のもの」を一心に信じるっていう心の強さも、テロにつながる原因かな?とか。 一神教の信者が信じる「信仰」と、仏教徒の「信仰」では違いがあるのかな?とか。 砂漠の国のイスラム教徒と例えばマレーシアなどのイスラム教徒とでは、信仰の「民族性」のようなものに違いはあるのかな?とか。 kotori-n様の回答に触発されて、いろいろな疑問や考えがあふれてきました。 ちょっと本をいくつか探してみようかな、と思います。
- nacam
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仏教徒と他宗教の信徒との対で、最も深刻なのは、スリランカです。 スリランカで多数派を占めるシンハラ人の首相が、仏教的政治を行ったため、少数派タミル人が反旗を翻し、内乱になっています。 このタミル人は、イギリスがスリランカのシンハラ人統治のために、優遇し統治の手助けをさせたため、シンハラ人の反感を買った事に起因します。 その他に、タイ南部のマレーシアとの国境近くでは、イスラム系の人が多く、イスラム原理主義に乗り、最近テロ活動が多くなってきています。 インド国内において、ブッダガヤをめぐる仏教徒とヒンズー教徒の対立が有りました。 インドにいる仏教徒は、低位カーストの人達が改宗したため、ヒンズー教徒から差別の対象となっている事も原因です。
お礼
回答ありがとうございます。 こうやって指摘していただくと、けっこうたくさんありますね。 争いの舞台としてアジアの発展途上国が多いのが、私がその争いを意識しない原因なのかもしれないと思いました。 普通、ニュースで大きく取り上げられるのはヨーロッパや中東などの、経済的に関わってくる地域の事件ですものね。 新聞にも小さくしかのりませんし、私も斜め読みで終わらせていました。
- kotori-m
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質問と少しズレてしまいますが、日本では少数派・カトリックの一信徒として一言書かせて下さいね。 私は仏教について、どんどん土着宗教を吸収していった宗教だと理解しています。 だから、元々はヒンドゥー教の神だったものを仏教に取り込んで「天」に分類しても折り合いが取れていたのだと思います。 また、その信仰形態が「絶対的な何か」を崇拝するのではなく、自己の救いを求めるのですよね? こうして折り合いをつけやすい信仰形態である為に、キリスト教とイスラム教のような激しい対立を起こすことは無かったようです。 またここには宗教の成立した気候環境も関係してくるように思います。 キリスト(元はユダヤ)教もイスラム教も砂漠が生んだ宗教。道を誤れば死に至る土壌で育まれた宗教です。 一方仏教は森林の宗教。道を誤っても、それが死と直結しない環境です。 仏教の寛容さは、この環境から生まれたものではないでしょうか。 仏教が他の宗教と大きく対立しない理由はこの辺りにあるのではないかと思います。
お礼
そうですね。 多神教ということもあるかもしれませんが、私も仏教は寛容だと思います。 (多神教だから寛容になったのか、寛容だから多神教が生まれたのか・・・) だからこそ、仏教徒が関わる宗教対立(特に問答無用のテロ)があるかなあと疑問に思って質問させていただきました。 環境が厳しい砂漠だからこそ、水の神、風の神、動物の神などの多神教が栄えてもおかしくないですよね。 この辺りの成立の過程もおもしろそうです。 回答ありがとうございました。
- moritan2
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日本でも戦国時代に法華宗が浄土真宗を焼き討ちにするという事があったと思います。それがきっかけで京都にあった山科本願寺が大阪の石山本願寺に移動したはずです。 戦国時代までは日本の仏教とも普通に武装していました。非武装にしたのは織田信長の功績の一つです。
お礼
国内でも大規模に武器をとって戦う、仏教徒同士の争いがあったんですか。 小競り合い程度はあっただろうと思ってましたが。 国内にも目を向けてみようと思います。 回答ありがとうございました。
- tatsumi01
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世界史ではありませんが、日本では例があります。 6世紀の物部氏と蘇我氏の争いは、神道(物部)と仏教(蘇我)の争いですね。政治的(氏族間の覇権争い)の側面があったかも知れません。余談ですが、そのとき神道側が川に捨てた仏像を本田善光が拾い上げ、信濃に持ち帰って安置したのが善光寺の由来です。 また、正確には忘れましたが室町時代後期に一向宗と法華宗がどこかの町の支配権を争って激しい戦闘をしたと思います。信仰の争いかどうかは問題かも知れません。
お礼
そうですね。 日本史上もありましたね。 でも教科書では蘇我氏と物部氏の争いは、信仰<覇権と解釈している気がします。 もっとも、科学が発達していない当時は、信仰が今よりももっと大きな意味を持っていたんでしょうね。 善光寺って、そんなに由来が古いんですね。 漠然と鎌倉時代くらいの創建かと思ってました。 回答ありがとうございました。
- trajaa
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今現在、スリランカでは 多数派のシンハラ人(ほぼ仏教徒)と 少数派のタミル人(ほぼイスラム教徒)との間で 分離独立を求める内線が行われています。 一時的な停戦と戦闘状態とが繰返されてますね。
お礼
私は、スリランカって平和な国だと思ってました。 あまりニュースに注意を払っていない証拠ですね。 回答ありがとうございました。
お礼
早速予約してみました(^^) 手元に届くには数日かかりますが、楽しみにしてます。 ありがとうございました。