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【日本史・聖徳太子が】人魚姫を見たことがあるとはど

【日本史・聖徳太子が】人魚姫を見たことがあるとはどこの書物に記載されているのでしょうか? 西洋には人魚姫伝説がありましたけど、当時の聖徳太子はどのようにして西洋の人魚姫の存在を知っていたのでしょう。

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  • takuranke
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回答No.1

「聖徳太子伝暦(しょうとくたいしでんりゃく:延喜 17 (917) 年成立)」に、 献上された「人魚」を見た太子が、将来起きる不吉の兆しを予言したとあります。 姫とは出てきません。 観音正寺の伝承には、 己の生まれを嘆く人魚に仏様の元に行きたいと懇願され、ならばと観音像を彫り寺を建立することを約束しそのとおりにしたが、成仏できないと知った人魚は更に悲嘆にくれた。 底まで仏のもとに行きたいならばと聖徳太子は人魚に仙薬を渡し「夏の暑い時期に、干しあがった岩の上でこの薬を飲みなさい。そうすれば、あなたは観音菩薩様の元へ召されるでしょう」と告げて去っていった。 ある真夏の昼下がり。 村人が水辺に遊びに出掛けた所、暑さで焼け付いた巨石の上に人魚が横たわっているのを見つけた。 人魚はすでに事切れており、石の上で眠っている間に体内から水分が抜け出し、ミイラのようになっていた。 村人は人魚の骸を太子が建立した寺に届け、冥福を祈ったという。 実際に人魚のミイラがあったそうで、平成5年の火事で焼失したそうです。

japanway
質問者

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みなさん回答ありがとうございます

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