人間の存在意義と自我の否定について

このQ&Aのポイント
  • 人間の存在意義は自我を否定することによって生まれていると考えられます。
  • 自我を否定されるということは、自我という言葉が生まれる前から存在していた可能性もあります。
  • 自我が存在するから自我という言葉が存在するのではなく、自我が存在することによって自我という言葉が生まれたのです。
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【むつかい哲学の話】「人間は自我を否定されるために

【むつかい哲学の話】「人間は自我を否定されるために存在している」 自我を否定されるということは自我という言葉は生まれるはずはないのでは? 自我が存在するから自我という言葉が存在する。 人間の存在意義とは、「人間は自我を否定することによって存在している」という気がします。 ホリエモンのように自我が強い人間は結婚をしない一生独身者の場合が過去の偉人からも伺えますが、自我を否定することが出来ない人間は子孫を残さないので自然消滅していく。 一方の産まれたときは自我がなく、思春期に自我が生まれ、大人になる過程で自我を否定することによって妥協という言葉を知り、双方が妥協して自我を捨て、結婚し、子供を産み子孫繁栄していく。 よって、人間は自我を否定することによって存在している。という最初の意味に繋がります。 この認識で合っていますか? 人間の存在意義は自我を否定することによって存在意義が生まれているというのは大変興味深い話だと思いませんか? 妥協出来ない、自我を捨てれない大人が生涯独身なので子孫を残さない種なので存在意義がないと説いたのではないでしょうか。 違いますか? 人間の存在意義って何ですか?の問いの答えが「人間の存在意義は自我を否定されることにある」という回答に対する意見をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.2

ああ、まだ近代哲学の自我が存在するという古い考えに捉われているんですか? 近代哲学のデカルトからカントを経て、フッサールまで人間には自我とか主体が存在すると盛んに宣伝し、学校教育の現場でも、昔は先生が「私たちにはみんな自我あります」と頭に刷り込んだから、それに「洗脳」されて、誰もが自我あるように思うようになりました。 いわば自我あるというのは、「先入観」「思い込み」でしかありません。 事実、最近はヒュームの懐疑論が見直されて、ヒュームは「人間の内を見ても感覚の流れがあるだけで、自我はどこにも見当たらない」といいました。 また、ベルグソンは人間の内には、「純粋持続」としての運動があるだけで、自我という固定したものがあるわけではない、と言っていました。 カントは「純粋理性批判」で、人間の思考には「われ思う」としての自我が「伴わなければならない」といいましたが、「伴う」とは言っていませんでした。 「伴わなければならない」とは、認識の仕組みを合理的に説明するために自我が「要請」されるということです。 いわば「方便」として。 そのカントは自我については、超越論的な「仮象」であると言っています。 「仮象」という意味は自我はフィクションだということです。 現代のフランス・ポスト・モダンでは自我とか主体の存在は否定されています。 事実、トゥルーズは自我という言葉をもはや使っていません。 今や自我という言葉は「死語」です。 あなたは「人間は自我を否定されるために存在している」といいますが、否定されなくても、人間は存在します。 「自我が存在するから自我という言葉が存在する」というのは逆です。 「自我が存在しないから、自我という言葉ももはや存在しない」です。 「人間の存在意義は、自我を否定することによって存在意義が生まれているというのは興味深い話だと思いませんか?」 ・・・・・・といいますが、ぜんぜん、興味深い話とは思いません! 自我などと、もはや存在しないものに興味を持つというのは、単なる「ノスタルジア」あるいは「アナクロニズム」でしかないからです。 自分とか自己といいうのなら、あると思います。 自分を指して言うものとしては。 また人称としての「私」だったら存在すると思います。 私と他人を区別するために。 でも、自我というものは存在しません。

japanway
質問者

お礼

みなさん回答ありがとうございます 自我は存在しますよ

その他の回答 (1)

  • asaa1ww
  • ベストアンサー率15% (2/13)
回答No.1

哲学って正しいのかな? 一人が言った言葉に賛同するよりも それとは別の理論を立て それを広めようとする・・ その繰り返しにしか なってない気がするが・・?

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