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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:古代の方がストレス社会なのか)

古代と現代、ストレス社会の違いは?

このQ&Aのポイント
  • 現代はストレス社会と言われますが、古代の方が死と隣り合わせで社会も不安定であったろうし、ストレスは古代の方が強かったと考えられます。
  • 古代の人は皆どこかしら、精神的疾患を抱えていたのではと考える人もいますが、精神疾患は過酷な環境を生き延びるための適応だった可能性もあります。
  • アレキサンドリアの哲学者たちのように生存能力や創造性、知能を高めるにはどうすれば良いのか、興味を持つ人もいます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2726/12281)
回答No.3

どれほどの昔を古代と称すかは解りませんが、昔はその日その日足りるだけを狩る(収穫する)のが基本的な生活であり、仕事でした。 そして、それは不調であれば、無理をしなくても挽回できる状況であったと思います。 現代は見果てぬ蓄えを作り出すため、組織で仕事をするため、不調など関係なく時には無理をして仕事をしなくてはいけない状況に変わってます。人身共の不調を挽回する余地は昔に比べて少ないと考えます。 死と隣り合わせの状況は古代でも安全にしたい所は安全にしただろうし、現代は移動に乗り物ができ、特に運転などすれば気を遣っているので思ったほど大差はないように思います。 よって働くという行動が生活する事と離れている現代の方がストレスを受けやすい状況であると思います。 精神疾患については過去も現在もあるのでしょうが、病気と認定され他者の恩恵を受けて生きていける現代と、自らが自分の食い扶持を確保できなければ、放置されやすかった古代ではやはり古代の方が死に近かった感じはします。 最後の質問はやはり勉強だと思います。まず勉強の仕方を勉強して覚え、生きていくための知識を勉強して吸収していく事がそれらにつながると思います。 古代ではコミュニティの中で正解かどうかも解らない事しか勉強できませんでしたでしょうが、現代は探求すれば世界中の正解を勉強する事ができますね。

noname#222284
質問者

お礼

ご回答、誠に有難うございます。 返信が大幅に遅れまして、大変失礼いたしました。 ご回答には大変考えさせられました。 つまり、古代の方が死は近しく肉体的ストレスは強いが、 精神的ストレスは現代の方が往々にして強いということでしょうか。 つまりストレスの質が変わっているので、単純比較は意味を為さないと。 それには私も納得です。 平均余命は圧倒的に伸びました。 しかし、生きることと生かされること(飼育されること)は違う。 生きるために槍を磨くことと、紙幣をもらうため自尊心を投げ出して「他人」に媚びへつらうことは違う。 生理機能は維持できても、脳のストレスは物凄いでしょう。 たとえば極端な話、人工呼吸器をつけて寝たきりのご高齢者の方は医学的に生きてはいますが、 とてもお辛い状況にあり、絶えず人としての尊厳を侵されている状態にあると思います。 もっと身近な喩えで、ギャンブルやスマホアプリに興じ自堕落な日々を送っている現代の若者は衣食住に困らずとも生きているとは言えないかもしれません。 満員電車に揺られ、会社ではパワハラや接待の酒飲み、家庭では夫婦仲険悪の現代のサラリーマンだって、医学的に生きてはいますが、死んだ魚の様な眼をしています。「生きていられるだけ幸せ」と言いますが、私たち現代人はそもそも本当に生きているのでしょうか? 命は大事ですが、だからといって心が軽視される社会は古代となんら変わらないと思います。 ご指摘の通り、 精神的にころされてしまう社会、それが現代なのかもしれません。 たった今、ストレス社会という言葉の意味がようやく見えてきました。 死とは、生物学的な定義を超えて、自分自身が活かされない全ての状態のことを指すのかもしれません。 ならば古代と現代のストレスの強さや、脳の耐久力を単純比較しても答えは見えてこないかもしれません。 ご指摘の通り、古代という定義が本当に曖昧でした。申し訳ありません。 古代と言っても、その時代や場所、政治などの状況にもよると思います。一義的に決めつけられません。 ある時代ある場所の人間の精神力が強くても、同じ人物を現代日本にタイムスリップさせたら、不適応反応を起こし、無理やり適応させることは可能であってもやはり精神的に弱くなると私は思います。たとえばジャングル育ちの野生児は、森の中で野獣に出くわしても、現代人と違って臆することは無いでしょう。その点で精神力は強いし、生命力はある。しかし満員電車に揺られ、派遣切りにあったらうつ病になると思います。同じ一人の人間がです。 勉強ですか。思うに、勉強するにしても環境条件と健康と精神エネルギーが要ると思います。それだけの余剰な生命力を現代人がいかにして得るのか、些か疑問ではあります。しかし、それが現代でいうところの「戦い」なのかもしれない。戦いの形態は変化したのでしょうか。

その他の回答 (4)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34532)
回答No.5

>ストレスは古代の方が強かったのではないでしょうか? 「ストレス」といつ現代人の我々は精神的ストレスしか考えませんが、本来は肉体的ストレスもストレスの中に入ります。ですから、精神的&肉体的ストレスの双方を指すなら昔のほうがはるかにストレスが多い社会となります。もちろん、肉体的ストレスがほとんどになるわけですけれどもね。 ただ、精神的ストレスというのは現代人のほうがはるかに上です。なにそろ現代人は分刻みで時間に急き立てられますからね。時計がない時代の時間感覚はせいぜいが朝、昼、夕方、夜です。江戸時代の都市部に暮らす多くの人の仕事は朝から午前中一杯で、午後になるともう仕事はしませんでした。しかも今日お金があれば働かないのんきなフリーター生活です。それで「今日は金があったのでかったるくって仕事サボった」としても誰からも怒られなかったのです。 そして、例えば日本人を例に挙げればたった100年前まで日本人の平均寿命は40歳程度でした。これは乳幼児死亡率が現代と比較にならないくらい高かったのと、結核が国民病だったので若くてもそれで死んでしまう人が多かったからです。私も100年前に生まれていたら3回は病気で死んでいたと思います。 最近の脳科学の研究で、肉体的にタフな人は精神的にもタフであるということが分かってきました。スポーツ選手なんかは精神的ストレスにも強いのです。ここの「メンタルヘルス」のカテゴリでも不調のデパートのような不調自慢の質問が毎日あがりますが、そういう人たちは100年前なら容赦なく死んでいたのです。 >どうしたらアレキサンドリアの哲学者たちのように生存能力や創造性、知能を高くできると思いますか たぶん、肝心なところを質問者さんは一知半解していると思います。アレキサンドリアっていうのはかつてエジプトにあった大都市の名前です(他にも各地にありますが、一番有名なアレキサンドリアはエジプトのアレキサンドリア)。確かに当時のアレキサンドリアには世界一の図書館もあったのでおそらく世界一の学者が集まる都市だったとは思いますが、質問者さんが言わんとする人たちは古代ギリシャの哲学者のことを指していて、アリストテレスという人名と古代ギリシャとそのへんがごちゃ混ぜになってアレキサンドリアになってしまったのではないでしょうか。

noname#222284
質問者

お礼

ご回答、誠にありがとうございます。 返信が遅れてしまい失礼いたしました。 「肉体的に強いと精神的にも強い」という言葉にはハッとさせられました。 非常に参考になります。ご回答に感謝します。 ただ、精神的に強いことだけが、生命の輝きを放つということではないと思います。 たとえばジャングルの野生の猿は獰猛で、精神的にも肉体的にも強いです。 野生の猿ならそれで良いのでしょう。 しかし、我々は人間です。 それだけでは命を煌めかせているとは言えないと思います。 私は体育教師に体罰をされていましたが、 彼らは肉体的に屈強だったので、貴方の理論で行くと精神的にもタフだったということになります。 しかしあんな弱い大人になりたくないなと思ったものです。

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.4

質問者さんの通り、昔の方がストレス多かったと思います。 それで病気になれば死ぬだけですので、ストレスに強かったと思います。 日本でも戦前は60才で長生きでした。 サザエさんのお父さんも50才前です。 当時は50才定年です。 うつ病の場合30年前と今では真正うつ病者数は変わりません。 うつ病診断しないと実質麻薬の薬処方出来ないから、急激に増えただけです。 ストレス社会云々は嘘です。 おっしゃるように昔の方がストレス多いが、病気になる人少なかっただけと思います。 マウスでは極端にストレスレスにすると短命らしいです。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.2

現代は温室社会です。種がやわになってます。 古代は皆が雑草。生きていくだけで綺麗な花も美味しい身もつけませんがタフに生き延びてます。 目的が生き延びて種を増やすだけならすでに到達しているので、その上で花や実を問題化してワアワア言っているだけです。 明日の身がわからない状態では細かい不安は吹き飛びます。まずは洞穴を探さないと凍死してしまうというような優先順位が明確でというのはある意味でストレスの単一化で目的意識がはっきりして楽なんです。

noname#222284
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 返信が遅れまして、申し訳ありません。 ご回答は大変考えさせられます。 温室社会と銘打って社会というものを一義的に評価することは無理がある気もします。 現代にだって本当に苦しんでおられる方は大勢いるし、衣食住だけが生命にとって必要なものではないと思います。そこに重大な見落としがある気がします。 ただ差し迫った状況下で目的が限定化されると不安を感じなくなるというご回答は、一理あるなと感じました。そこは、現代を生きる我々も一部参考すべきだと感じました。つまり、「差し迫った状況」そのものが有益なのではなく、目的意識を持ってそこに集中することが脳を目覚めさせ、生命を活性化させることがあるということなのだと思います。

回答No.1

  ストレスはそれをストレスと思うからストレスなんです >どうしたらアレキサンドリアの哲学者たちのように生存能力や創造性、知能を高くできると思いますか。 答えは簡単です、楽しめばよい 死と隣りあわせであっても、それを克服する事に生きがいを見出せばストレスとは感じない、克服できたことが喜びとなる 過労死の基準が残業80時間/月と言われてるが、私の父親は現在的に計算すると毎月120時間の残業を20年以上続けてた事になります(土曜日は休みではなかった、ゴールデンウイークも無かった) でも、元気で働いてましたよ(楽しんで働いてた)

noname#222284
質問者

お礼

ご回答どうも有難うございます。 返信が遅れまして申し訳ありません。 楽しむことが生命力を発動させる条件、ですか。 大変、参考になります。 正直なところ残業は問題と思いますが、 楽しむことで残業すら可能にするというのは一理あるなと思います。

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