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人類は生存競争から解放されると滅ぶのでしょうか?
人類は生存競争から解放されると滅ぶのでしょうか? もし今人間が行っている生存競争を全て代替してくれるような存在,例えば鉄腕アトムのような存在が開発されて,生存競争から解放されたら,人類はどうなってしまうのでしょうか? 生存競争というのは,勉強とか労働のことです. 今現在,人間は生まれてから死ぬまで,人生の大変な時間をこれに割いているかと思います. もちろん過去にも鉄腕アトムではありませんが,奴隷という存在がいましたよね.でも,もし自分が王様で奴隷を持っていたとしても,それでもお勉強はしないといけないし,重労働や長時間労働から解放されているだけで,労働は0にはなりません.つまり,生存競争は0にはなりません. また,クーデターなんかもあるわけですから,将来的にその楽な生活が続く保証もなく,自分の生命への緊張は常にあり,そういう意味でも生存競争から解放されてはいません. 他にもローマのコロシアムですか??過去には働かずに飲み食いできた時代・場所の人もいたようですが,それでもやはり生存競争から逃れられていないのは上と同じかと思います.(詳しくないので間違ってたらすいません.) 生存競争からの解放が実現すれば,人類として大変大きな転機ですよね. そして今の人類の歩みの最終帰結点として,なんとなく「生存競争を全て代替してくれるような存在の開発」に向かっている気がします. 競争は生物として本分ですし,競争がなくなると学力も身体能力もガクッと下がるでしょう.そうすると,生物としてポンコツになる気がするし,社会も機能しなくなる気がします. 競争をしない生き物ってやってけるのかなぁ. なんか色んな分野の摂理に反していそう... もっと便利になりたい.もっと幸せになりたい.その追求の果ての幸福. 人類はどこに向かうのでしょうか? 人類は生存競争から解放されると滅ぶのでしょうか? 一言でも構いません. 生物の視点からどうぞご意見よろしくお願いします.
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生物学での「生存競争」という言葉は、前の回答にも書いたことを繰り返すと「繁殖成功率の争い」です。ここで"争い"という言葉を使いましたが、これは個体の心理としての闘争心や競争心は関係ありません。 背が高いとか足が長いといった、心理とは無関係のパラメータでも生存競争の要因となり得るわけですから。 例えば世の女性が「競争心の乏しい男」を好むようになると、競争心や名誉欲がない男が生存競争の上では有利になるわけです。これは一見、「生存の上では不利な形質」に見えますが、その方が繁殖成功率が高ければ、自然選択はこちらに軍配を上げるでしょう。 このように一見不利な形質が「メスの好み」によって選択される、という例は自然界にも数多く存在します。 例えばクジャクの巨大な羽など、エサを採るにも外敵から逃げるにも明らかに不利ですが、もっと有利なコンパクトな羽を持つ個体は「メスが好まないため」に淘汰されてしまい、現在のクジャクはあのように派手で巨大な羽を持つに至ったわけです。要するに「長生きできても、たくさんのエサ(人間なら金)を獲れても、子孫を残せなければ生存競争の敗者」というわけです。 ロボットによって生産や社会運営から人間が解放されても、別の「繁殖のパートナーを得る争い」が必ず起きることは前にも述べました。 ですから、「生存競争をなくす」には、人の繁殖を完全にコントロールする他手段がないということになります。 でも、例えば「知能が高い人間を繁殖に供する」というプログラムにすれば、知能で生存競争が起きます。これは当人に争う気がまったくなく、単に与えられたパートナーと淡々と繁殖していても、です。 そうすると、当然の帰結として人類の知能はどんどん高くなっていくでしょう。 「競争心のない人間を繁殖に供する」というプログラムにすれば、競争心がない人が生存競争で勝利することになります。 要するに家畜の育種と同じです。 人為的に選択すると自然ではあり得ない淘汰圧をかけることができるわけです。 牛は40kgの子しか産まないのに、1日に40-60kgの牛乳を出します。エサが足りなければ乳量も当然落ちますが、それでも自分の身体を削ってでも10kgや20kgの乳は出します。 ブルドッグは頭が大きすぎるため、自然分娩がほとんど不可能です。ほとんどが帝王切開をしなければ母子共に死んでしまいます。 鶏だってたった2kgほどの身体で、50gもの卵を毎日産みます。卵って外殻はカルシウムですし、中は高蛋白ですから、人間の女性が毎日1kg、自分の骨と身体を削って卵を作る、と考えれば、どれだけ無茶なことをしているか少しは想像できると思います。 これらは全て「人間がその形質を選択してきた結果」です。その結果、その動物はそういう方向に「進化」してきたわけです。 ですから、人類の繁殖を完全にコントロールしても、何らかのパラメータを適用した瞬間、その方向に激しい生存競争が始まるわけです。 なので、「生存競争をなくす」というのは、定義的には「繁殖機会を完全に平等にプログラムする」ことでしか実現できません。つまり全ての人が確実に1人の子を得る、というプログラムにするわけです。 そうすれば、生殖年齢に達するまで生きることができない遺伝的要因を持った人、それと生殖に直接ダメージがあるような遺伝的要因がある人以外は、平等に子孫を得ることになります。 そういう状態だと「生存競争がない」という状態にはなりますね。 この状況だと個人の競争心とか名誉欲などは無関係です。そんなものがあろうがなかろうが、平等に1人の子を得るわけですから。 そういう状況になるとどうなるか、ですが、人類としての形質のバラツキは大きくなるでしょうね。つまり「平均化」とはまったく逆の事態が起きます。 平均化というのは、「激しい生存競争の結果」です。生存競争が激しく、ある特定の遺伝子を持った個体しか生き残れないという事態になれば、短期間で集団のほとんどの個体が同じ遺伝子を持つことになります。これが「平均化」です。 つまり、「生存競争が激しいほど」もう少し生物学的な言い方をすれば「淘汰圧が高いほど」、集団は遺伝的に短期間で高度に平均化する、というわけです。 なので生存競争が激しくなかったり、あるいは皆無だったりすると(皆無というのは自然状態ではあり得ませんが)、その集団は平均化とは逆にバラツキが大きくなります。 先ほどの「人類家畜化プログラム」だと、背が高かろうが低かろうが、競争心が高かろうが低かろうが、向上心があろうがなかろうが、全ての人の「子孫数」は同じですから、どれか特定の形質が数(集団内での割合)を増やすことがありません。また、その過程でかなり極端な遺伝子が生じても、その個体も同じく子孫を残します。 なので、どんどんバラツキが大きくなっていく、というわけです。 で、そのプログラムが生きている限り、人類は絶滅しないでしょう。増えも減りもせずに一定の人口を保っていると言うことになります。 問題は、突然そのプログラムが解除されて現在と同じ「生存競争が生きる状態」に戻った時にどうなるか、ですね。 普通に考えれば、「バラツキが大きくなっている」ということは多様性は増していると言うことですから、その中の「新しい環境」に適した個体が生存競争に勝ち残り、子孫を増やしていくのではと考えられるでしょう。 牛やブルドッグのように、「ある特定の方向に人為選択されていた場合」はどうでしょう。 例えばブルドッグですが、突然人間が滅亡して取り残されれば、大半のブルドッグは交配しても母子共に死んでしまうわけですから、瞬時に絶滅してしまいそうに思えます。 でも、この状況下ではこれまでの人為選択とは逆に「頭蓋骨が小さい個体」に対する、極めて強い選択圧がかかることになりますから、少しでも頭のサイズが小さくて辛うじて生き残る個体がいれば、短期間で「頭が小さい元ブルドッグ」という種が成立して絶滅を免れる可能性もあると思います。 乳牛も、人間がいなければ泌乳する乳を搾ってくれる人がいなくなるわけで、まずそこで多くの個体が乳房炎になって死ぬでしょう。 それを切り抜けてなんとか分娩に成功する個体がいても、エサも満足にないのに自分の身を削って泌乳して、その結果衰弱して死ぬ個体がたくさんいそうです。また、子牛の方も乳を飲みすぎて下痢を起こして死ぬ個体はたくさんいるでしょう。 ですが、これも「乳量が少ない個体」に、非常に強力な選択圧がかかります。極めて短期間に1日に3~4kgしか泌乳せず、平和に子を育てて暮らす牛になっているような気もします。 こんな具合に、「強い選択圧をかければ、種全体を非常に短期間で進化させることができる」ということは、人類が家畜の育種を通して実践してきたことですから。 もちろん環境に適応できずに絶滅した種も数限りなくあるわけですから、ホルスタインやブルドッグが絶滅してしまう可能性も多々あります。 つまり、簡潔にまとめることを試みるならば、 「生存競争がなくなっただけでは人類が絶滅することはあまり考えられない」 「問題は、その後に環境が変わって生存競争が復活するような状況になった時にどうなるか」 「その時は、なるようになる」 「絶滅するかどうかは、その新しい環境とその時の人類の状況次第」ということですかね。
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- s_end
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回答No.13です。 ちょっと言葉足らずだったので補足説明を・・・ いくつか「ここで競争が生まれます」と書きましたが、そのあとの文章を省略していました。 競争が生まれた後、何がおこるか。 「その競争から、向上心、競争心、嫉妬心、名誉欲、征服欲、顕示欲、充実感、発明、改良、工夫、技術革新、創意、意欲などなどなどなどが生まれます。 そういったもろもろの意欲、気持ちが、”明日そして将来を輝かしいものにしよう”と人間を動かすのだと思います。 どんなに世の中が便利になって全人類に”飯炊きロボット”、”洗濯ロボット”、”掃除ロボット”、”子育てロボット”、医療ロボット”、”娯楽ロボット”が行き渡り、それらが身の回りの世話を一切合財してくれても、人間の心が ”常に現状で満足、これ以上の幸せは想像もつかず、これ以上の幸せを望みようがない” という状態で満たされることはないと思います。」 ということでした。 質問者様はロボットの製作に取り組んでおられるということなのえ、こういった創意工夫、開発にかける思い、というのは理解できると思います。ストレートに自分の給与・評価や他社との開発競争・生存競争に反映されずとも、何かしら創意工夫するクリエイティビティな仕事というのは魅力的なものです。 全人類を個室カプセルに閉じ込めて生活させても、多分オンラインゲームか何かで、遠く離れた人とゲームなどで競い合う、という文化は発生するでしょうね。”全人類を個室カプセルで生活させる”ぐらいのテクノロジーがあれば当然そのぐらいできるでしょう。(というか、すでにゲーム業界では実現していますが) もし、人間を生まれたときから、他人と隔絶して接触を最小限にして育てるとどうなるか・・・ どこかの医者が実験した記録があるそうですが、他の回答者様が書いておられるとおり、やはり知能の育成に悪影響がある、との結果をどこかで読みました。
お礼
度重なるご回答ありがとうございます. >常に現状で満足、これ以上の幸せは想像もつかず、 >これ以上の幸せを望みようがない なるほど.「より良くなりたいという欲求がなくならない」ということには私も賛成です.この点は考えた方が良さそうですね. >もし、人間を生まれたときから、他人と隔絶して接触を最小限にして >育てるとどうなるか・・・ 興味深いです.こういう幅広い知識はただ勉強するだけでは入ってこないですよね.こういった一人では集められない知識を教えていただけると,助かります.ありがとうございます. ありがとうございました.大変参考になりました.
- s_end
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全て、ロボットなり、コンピュータがやってくれる世の中が来たら、人間暇で暇でしょうがなくて、堕落して刺激がなくて死んじゃうかも、ってことですよね。 ご飯はロボットが作ってくれて、もちろんその材料の作物の育成、収穫や家畜の養殖、天然魚類などの狩猟も全部機械がやってくれて、場合によっては自分で箸持って口に運ばなくてもロボットが食べさせてくれる。もちろん食器洗いも全自動。それらの機械も取り扱い説明書を読んで自分で操作することなく、どこかで集中コンピュータなんかが管理していてメンテナンスも動作も全て全自動。 食べたいときにカツどんでも寿司でもビフテキでもアイスクリームでもケーキでも何でも出てくる。 まるで手塚治虫の漫画や星新一のショート小説にでも出てくるような未来の世界、ってわけですね。 まあ、そうなったら暇でしょうがないでしょうなー。 暇な世界で男女がであったら、することはひとつ。 当然、くどき文句やS●Xにも上手下手が出てくる。 モテようと思って努力する・・・ほらここに競争が生まれますね・・・ もしも、「モテない男女にもコンピュータが理想のお相手を探してきてくれる、という仕組みになっているんです!」ということにしましょう。 でも、人妻を狙う輩や、若い女を狙う輩が出てきますね・・・ほらここに競争が生まれますね・・・ 「そういうのはダメなんです! 一夫一妻制になってるんです!」 ということにしましょう。 男女でやることは一つなんで、子供が生まれる。子育ても医療ロボットや子育てロボットがやってくれる、赤ちゃんは親が何にもしなくてもすくすく育つとしましょう。 大きくなったら子供とキャッチボールのひとつでもしますわな、メンコでもビー球でもいいですわ。親は子供に遊びを教えます。(なんせ暇で暇でしょうがない世の中なんだから子供と遊ぶ時間はいくらでも取れますね) どうしたって子供は親より下手ですわな。頑張って親と同等にキャッチボールしたい、メンコしたい、ビー球したい、と思いますわな、・・・ほらここに競争が生まれますね・・・ 熾烈な生存競争がなくても、些細なことでも人間って 「あいつより俺のほうが上手い」「あの子よりあたしのほうが上手よ」 って張り合うもんですよ。カラオケでもクイズでも自転車乗りでも石蹴りでも鬼ごっこでもベーゴマでも、 「あいつより俺のほうが・・・」って。 え、これもダメ? じゃ、どうするの? 全人類を一人一人隔離してカプセルで暮らすしかないですね。そうしたら暇で暇で・・・・死んじゃう奴が出てくるかもしれませんな・・・
お礼
ご回答ありがとうございます. > 当然、くどき文句やS●Xにも上手下手が出てくる。 > でも、人妻を狙う輩や、若い女を狙う輩が出てきますね >・・・ほらここに競争が生まれますね・・・ そうですね.私は始め競争の大部分は労働や争いといったもので,性のパートナーを選ぶことはあまり競争のうちの占める割合は少ないかと思っていましたが,そうでもないようですねー. 彼氏彼女を探すことで競争が起こるっていうのは,前のご回答でも一般の方,生物学をされた方からも多数ご指摘を受けました. ですねー,やっぱり相手を選ぶことで競争は起こりそうですねー > どうしたって子供は親より下手ですわな。頑張って親と同等にキャッチ >ボールしたい、メンコしたい、ビー球したい、と思いますわな、 >・・・ほらここに競争が生まれますね・・・ 確かにこれもそうですね. この質問を思いついたのは,何か毎日が競争の繰り返しだと改めて気がついたんですよねー.それは多岐にわたるし,しかもどうしたって終わりがない. それで自分は工学系の学生で,ロボットを少し扱うんですが,将来的に人間と同等のロボットってできるのかなぁって少し思うんですよね.職業柄,やっぱり. で,できるとしたら競争がなくなるんじゃないかなぁって思って. そしたら人間ってどうなるんだろう??..って思ったわけです. で,ちょっと興味で聞いてみたわけです. 参考になりました.ありがとうございました.
生存競争は脳を刺激するので、脳が発達します。脳が発達すると、自我意識が強くなり、ストレスが多くなります。だから脳の発達に、飽和、限界点があり、それ以上発達すると、人類が滅亡します。2012年が限界点かも知れません。地球の生物進化は、脳と自然の対立、戦いです。この世界は脳と自然の心が交わったらどうなるかという、シミュレーションの世界です。最終的には脳の科学が、自然を破壊して勝利したけど、これはともだおれです。だから脳は神ではありません。大宇宙では脳は不完全、不調和な存在です。この地球でのシミュレーションは、脳の不調和を調和に変換するのが目的です。仏教ではこの世界を仮の世界、虚像界といいます。だから2012年に実像界に変わるとか予言されてます。
お礼
ご回答ありがとうございます. >生存競争は脳を刺激するので、脳が発達します。 >仏教ではこの世界を仮の世界、虚像界といいます。 なるほど. ありがとうございました.まずはお返事まで.
Jagar39再びです。 日経サイエンスの今月号(2009-4)の特集が「進化する進化論」で、進化論の歴史から最近のトピックスまで丁寧に解説されています。140pしかない薄い雑誌のくせに1,400円とべらぼうに高いのですが、非常に面白いので本屋で立ち読みでもして、興味を覚えましたら買ってじっくり読んでみて下さい。 進化論の基礎について説明云々は、あくまで質問者さんに向けています。もちろん、他の閲覧者さんにとっても、ここを理解した方が質問と回答の内容を理解しやすいですから、敢えて丁寧に回答しているわけです。 地理的隔離は、それこそ「種の起源」では種分化のための絶対条件でした。つまり「生殖的隔離が成立するためには地理的隔離が起きなければならない」というのが長らく進化論で考える種分化の基本概念だったわけです。最近になって「必ずしもそうではないのではないか?」ということが議論されている、というのが現状というわけです。 まあ現在でも生殖的隔離によって種分化が起きるための最も一般的な前提が地理的隔離であると考えられていることには変わりないですから、まったく別物、というわけではありません。 >種の概念 例えば犬とオオカミは別種ということになっていますが、これは同一種に分類すべきではないか、という議論があります。 犬とオオカミは分岐してまだせいぜい数万年ですから、交配して雑種を作ることは可能です。ですが繁殖形態や社会様式が既に大きく異なっているので、自然の状態で交雑することはありません。これをどう評価するかで、犬とオオカミを別種にするか同種にするか、という議論が繰り広げられるわけです。 犬と言えば、チワワとセントバーナードを「同種」とするのも乱暴な話だとは思いますね。この2つの品種が野生で別々に見つかったならば、同種に分類する学者はいないでしょう。これらの犬種は「生殖的隔離」はもはや完全に成立していると言って良いでしょうから。物理的に交配できませんからね。 つまり家畜に関しては「品種」という生物学的な分類法とは独立したカテゴリーを設けている、ということです。純粋に生物学的に見れば別種に分類するのが自然なものであっても、家畜については同一種に恣意的に分類しているわけです。 家畜に関しては牛や豚、鶏などについても大同小異です。 他にも、ジャイアントパンダは昔はアライグマ科に分類されていましたが、現在ではパンダ科が独立して設けられてそこに分類されています。 私はウイルスが専門なのですが、ウイルスの世界は遺伝子とそれを包む「殻」しかない、と言ってしまえるほど単純な構造なのに、その分類はこれでもか、というくらい変わります。 インフルエンザウイルスは、以前はA型、B型というようにオルソミクソ科のインフルエンザウイルスという「種」の中の"型"と分類されていましたが、現在ではAやBは種の上の"属"のレベルで異なるウイルス、と分類されています。 また、私は以前、日本初症例となるウイルス疾患のウイルスを分離したことがあるのですが、当時はそのウイルスはある"種"の中の"タイプ"に過ぎなかったのですが、現在ではそのタイプだけ独立して1つの"種"になってしまっています。 まあ、ウイルスが「生物」かどうか、という問題については、実際にウイルスを扱っている人はあまり真剣に考えないものですね。 誰がどう言おうと、現に社会はウイルスを「生物」として扱っているからです。バイオハザード(訳せば生物災害)のリストの最重要クラスはウイルスがずらりと並んでいますし。その「進化」の仕方もダーウィンの進化論から何ら外れていませんし。 ともあれ、 > こういった,言葉のぶれのないきっちりした説明を教えてもらえて考えが整理しやすくなります.素人の私の考えることは,使ってる言葉じたいぶれがあるし,ですから結局,結論もぶれちゃいますし. ここが最も重要なところです。 科学的な理解、というのは「言葉の定義」を明確にすることから始まるのです。言葉の定義を明確にしないと、その言葉を使って論理を展開する時に、語り手と聞き手で理解が違ってしまいますからね。 ここに気づいた、ということは、質問者さんに科学的な思考のセンスがある、ということだと思います。 あとは、何か論理を考える時に、足元(言葉の定義)から1つずつ積み上げていくことを心がければ、誰がどんなことを言っていて論理的にどれだけ整合性があるのか、といったことを判断しやすくなると思います。
お礼
度々ご回答ありがとうございます. >日経サイエンスの今月号(2009-4)の特集が「進化する進化論」で、 わざわざご報告ありがとうございます. > 私はウイルスが専門なのですが、 あまりの偶然に笑ってしまいました.偶然ってあるもんですね. >ここに気づいた、ということは、質問者さんに科学的な思考のセンスがある、 ありがどうございます(笑) まずはご返事まで.
- webuser
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>進化論の基礎から説明した方が良さそうですね。 いえ、結構です。 ここは質問者さんの質問に対して答える場所であり、回答者同士の雑談は規約に反しますので。。 要は「生殖的に隔離」される事と「地理的に隔離」される事は全く別の話だという事だけを言いたかっただけです。 誤解を受けないように書くには長々となってしまいますが、 それは質問から外れる事であり、サイトの趣旨に反するので、 あえて言葉足らずになっていますが、 俗に「進化論」と呼ばれている「種の起源」については概ね把握しています。 質問に対する基本的な解答としては、 ・生存競争の大部分は繁殖に関わるので、それを除いた部分で生存競争は語れない。 ・反抗しない奴隷としてのロボットが存在したとしても生存競争から解放される事はない。 この2点がブレる事はないですよね?
お礼
度重なるご回答ありがとうございます. まずはご返事までです. ありがとうございます.
補足
>俗に「進化論」と呼ばれている「種の起源」については概ね把握しています。 やはりお詳しいようですね. >質問に対する基本的な解答としては、 了解しました.
No.5,7のJagar39です。 進化論の基礎から説明した方が良さそうですね。 生物の「進化」とは、ちょっと専門的に言うと「ある個体または集団の遺伝子構成が変化すること」です。ここでは種を単位に考えているので、個体は横に置いておいて"集団"で考えましょう。この"集団"という言葉は"遺伝子プール"と置き換えると、もう少し「生物学的な」表現になります。 さて、それに対して種分化を同じ言葉を使って簡単に言うと、「ある集団が、その集団が従来所属していた母集団とは異なる遺伝子構成を持つようになること」です。その異なる遺伝子構成を持った結果、母集団とは形態的な差が認められたり交配不可能になったりしたときに、「原種から新しい種が分化した」と言うわけです。 ここで重要なのは、「進化」は個体内または集団内の遺伝子構成の差で定義されるのに対し、種分化は集団同士の遺伝子構成の差で定義される、ということです。 つまり、少なくとも元を同じくする2つの集団が「独立」しないと、「分化した」とは言えないわけです。この「独立」は、少なくとも生殖的に「隔離」されていないと成立しません。 もっと基礎を書けば、「進化」の原動力はみなさんご存じだと思いますが、「突然変異」と「自然淘汰」です。 このうち突然変異は基本的にランダムです。つまりNo.8さんの例えを借りれば、高い木の葉を食べるための変異は、「首が長くなる変異」も「木に登れるようになる」変異も、基本的に同確率で起き得ます。 ですが、自然淘汰には方向性があります。 首が長くなる方が有利なのか、それとも木に登れる方が有利なのかは、その動物が置かれた環境によって歴然と決まっている、ということなのです。 従って、ある環境下で暮らす1種の動物に、このような2つの変異が出現した場合、自然淘汰によって1つが選ばれて1つは淘汰される、ということです。 この「自然淘汰」という言葉は、本質問の「生存競争」に限りなく近い意味の言葉です。 そして、自然淘汰あるいは生存競争という言葉を、ちょっと生物学的な表現をするならば、「ある集団内、あるいは複数の集団間における"繁殖成功率"の争い」です。 ですから、例えばサバンナのような疎林で「首が長い変異」と「木に登れる変異」が同時に起きた場合、後者はほとんど瞬間的に前者に敗れてしまい、淘汰されてしまいます。 まして、2つの変異個体がそれぞれ自分と同じ遺伝子を持つ相手を選んで交配する、ということはまず絶対に起きません。それはつまり生物学的に言うと、「地理的隔離なしに生殖的隔離が起きる」ということになります。 ま、単純な話、少なくとも種が分化するためには2つの集団が「生殖的に隔離」されるのは絶対条件です。その隔離がなければ、遺伝子が互いの集団を行き来することになるので、2つの集団は混血化して1つの遺伝子プールにしかならないわけですから。 で、その「生殖的隔離」が起きる条件として、ほとんどの場合は「地理的隔離」が必要なのです。 種分化の絶対条件である生殖的隔離は、遺伝子構成が大きく異なるので交配しても受胎が不可能、繁殖期などの習性が異なるので自然状態では交配することがない、等の具体例がありますが、いずれにしても互いにこれだけの差異を生じるには、長期間(数千~数万世代)隔離されている必要があります。隔離されない同一集団内で、遺伝子構成が大きく異なる集団が分化するような例は観察もされていませんし、理論的にもそのようなモデルは成功していません。 つまりここまでを端的にまとめると、種分化には生殖的隔離が絶対条件であり、生殖的隔離はほとんどの場合地理的隔離を必要とする、ということです。 ですので、「生存競争(自然淘汰)が進化を引き起こす」というのは正しいですが、「生存競争が種分化を引き起こす」というのは、間違っています。それぞれの集団内で生存競争が起きることによって、それぞれの集団が別々の進化をすることになるわけですが、種分化の直接的な要因は「1つの集団が生殖的に(ほとんどの場合は地理的に)隔離される」というのが大前提です。その場合、この集団同士が生存競争をすることはほぼあり得ません。生存競争をするくらいなら交配によって1つの種に同化する方が自然ですから。 進化のもうひとつの基礎は、「1つ1つの変異は、とても小さなマイナーチェンジに過ぎない」ということです。 例えばキリンという種が成立するためには、まず首が長くなることと、高い頭の位置に対応できる高出力の心臓が必要です。他にも山ほどキリンが成立するための形質はあるのですが、ここでは横に置いておきます。 つまり、キリンの首が突然今と同じくらい長くなってしまったら、そのキリンは頭に血液を送ることができませんから生きることができません。また、首が短かったキリン原種に突然現在と同じ高出力の心臓を持ったキリンが出現しても、やはり高血圧で幼少時に死んでしまうでしょうから生きて子孫を残すことができません。 つまり、元のままの心臓でも支障がない程度の"ほんの少し首が長い"個体が出現してそれが集団内で定着し(すなわちキリン原種全体の首がほんの少し長くなった)、そこにほんの少しだけ強心臓の個体が出現してやはり定着し、そうして初めてキリンの首は"さらにもう少しだけ"長くなることができるわけです。そのキリン原種バージョン2の集団内に、"さらにほんの少しだけ首が長くなる"個体と"さらにほんの少しだけ強心臓"の個体が出現してそれぞれ集団内に定着し・・・という過程を経て、結果的に現在のキリンに進化できるわけです。 ま、ここでは首の長さと心臓にだけ触れましたが、実際は現在のキリンを成立させるパラメータはもっと多いわけで、話はもっと気が長くなるわけです。 ここで余談になりますが、ちょっとよく考えてみて下さい。 それぞれの突然変異が起きる確率は非常に稀ですから、「首が長くなる」変異と「強心臓」の変異が同一個体に同時に起きる確率は、数学的にはほとんどゼロです。ですからこれら2つの変異は、同時に起きたとすればそれは集団内のそれぞれ別の個体で起きているわけです。 ですから、「自分と似た個体」を配偶相手に選んでいては、この2つの遺伝子が同一個体で出会う確率が非常に低くなってしまうという理屈、理解できますでしょうか。特に強心臓遺伝子の方は、下手すると「不利な」遺伝子ですから、早く首が長い遺伝子と出会わなければ淘汰されてしまう可能性もあるわけです。 ですから、ヒトも含めて動物は、「できるだけ遺伝的に遠い相手」を配偶相手に選びたがる傾向があります。まあ「致死的な遺伝子の重複を避ける」という意義の方が大きいでしょうが。 この話、この生物カテゴリーで最近、質問に出てました。私も回答してますが。 http://okwave.jp/qa4776023.html というわけで、「進化は小さなマイナーチェンジである突然変異と、生存競争による自然淘汰によって起きる」という基本を理解すれば、種分化すなわち元々は1つの種であった集団が2つの種に分化する、という現象が、まずその集団が最初に何らかの方法で複数の集団に「隔離」されないと起き得ない、ということが判ると思います。隔離されない限り、この集団は1つの種として進化し続けるだけです。 そしてその「隔離」は、ほとんどの場合地理的な隔離しかあり得ない、ということも理解できると思います。 ま、太古の過去から現在に至るまでには、地理的な隔離なしに生殖的隔離が成立して種分化が起きた例もあるかもしれませんが(ヒトの手による品種改良はまさにそれですが、これは除くとしても)、少なくとも生物学で考えられている種分化の標準的なモデルは、「地理的に隔離された同一種の複数の集団が、それぞれ独自の進化を遂げた結果」であるとされています。 まあ、"種"という概念そのものが人間から見た恣意的な分類ですから、全ての生物が明確な定義によってそれぞれの種に分類されているわけではありません。従って、「種分化」という現象のメカニズムに関する考察も、竹を割ったように明白に議論されているというわけでもないです。 種と種分化に関しては、以下のサイトが参考になると思います。いずれもやや専門的な記述なので難しいかもしれませんが、じっくり読めば理解は可能かと思います。 wiki "種" http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE_(%E5%88%86%E9%A1%9E%E5%AD%A6) wiki "種分化" http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E5%88%86%E5%8C%96 wikiの"種"の[生物学的種の概念]以下をお読みになれば、種分化にはまず先だって地理的な隔離が起きる、という考え方が標準的であることは理解できると思います。 wikiの"種分化"でも、[異所的種分化]や[周辺種分化]及び[側所的種分化]でも基本的には同じです。 日本進化学会ニュース "種分化機構の解明と生物多様性進化" http://meme.biology.tohoku.ac.jp/ECOLEVOL/ANIMECO/kawata/speciation/news.html wikiの"種分化"の[同所的種分化]が、いわゆる「地理的隔離を伴わない種分化」の説明です。 日本進化学会ニュースのHPでは「同所的種分化も起こり得る条件が示されるようになってきた」と書かれているだけですが、その具体例がwiki"種分化"の[同所的種分化]の項目に示されています。 これを読む限り、まだ議論の余地はあるようですし、いずれにしろ生物の種分化ではマイナーな現象であることは確かですね。 進化論の基礎となると、webにはなかなか良いサイトは少ないですね。wikiの"進化"の項目くらいでしょうか。これも"収斂"や"適応放散"のような応用編がいきなりページの冒頭近くに置かれていたり、唐突に未だコンセンサスが得られていない説が書かれていたりで、基礎を学ぶのに良いサイトとはちょっと言いかねるところはありますが。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96 ということで、進化の基礎が理解できれば、ご質問に対する答えも自ずから導かれるはずです。
お礼
度重なるご回答ありがとうございます. >進化論の基礎から説明した方が良さそうですね。 こういった,どの分野からのアプローチが有効か教えてもらって助かります. >その異なる遺伝子構成を持った結果、母集団とは形態的な差が認められたり交配不可能になったりしたときに、「原種から新しい種が分化した」と言うわけです。 こういった,言葉のぶれのないきっちりした説明を教えてもらえて考えが整理しやすくなります.素人の私の考えることは,使ってる言葉じたいぶれがあるし,ですから結局,結論もぶれちゃいますし. > まあ、"種"という概念そのものが人間から見た恣意的な分類ですから、全ての生物が明確な定義によってそれぞれの種に分類されているわけではありません。 カモノハシの話とかですかね.哺乳類っぽいけど,爬虫類っぽくもあり,どっちか決められない??というような話だったような. 後,ウイルスを生物としていいのかどうか話があった気がします. 普通の生物の細胞と比べると,自分で増殖する機能は持っていないけれど,生物の免疫に対して体に侵入する通行許可証のようなものを持っている.そして,ウイルスが自分で生き物に侵入しようとするわけではなく,生物の方が勝手にとりこんで,そして寄生??されて病気になるという...確かウイルスはそんな話だった気が.. 話はそれますが,このウイルスという存在.生物としていいかもわからないし,それどころか存在じたい何なのか分からない存在.これはこれですごく興味深い話ですね. それにしても,生物の話って生殖ってよっぽと重要なんですね.何度も出てきます.私のイメージより生物学内で重要度が高いようです. まずはご返事までです.ありがとうございます.
- webuser
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No.1です。 私の言わんとせん事はJagar39さんがほぼ言ってくれているので、詳しくは割愛します。 要するには生存競争の大部分は繁殖に関わるので、それを除いた部分で生存競争は語れないという事です。 ただ異なる点では「種」が生存競争によって分化するものなのか、それとは逆なのかという解釈の部分だけです。 私は生存競争によって分化すると思っています。 ある植物の葉を餌にする動物がいるとします。 その植物は葉を食べられると不都合なので低い位置に葉を付けなくなったとします。 これは植物と動物という元々全く異なった者同士の生存競争ですが、 この他にこれから同種の動物内での生存競争が始まります。 高い位置の葉を食べられる背が高い者。 背は届かないが、登って食べられる者。 違う植物を餌に出来る者。 何らかの別の手段で生き延びる事ができた者が、同じ特徴をもつ者同士で交配し、固定化された時に種が生まれます。 通常は種は隔離された状態で生まれるのではなく、同じ場所で住み分けが完了して成立します。 その後、違う種となった者同士でも生存競争は継続し、敗れたものは姿を消します。 地理的に隔離されていると、生存競争はぬるくなり、新たな種を産みにくくなります。 結果として、隔離され場所では、生存競争が激化した地域では既に姿を消したような種が保存され易い形にはなります。 人類はかなり特殊な動物ですので、一般の動物の考えでは当てはまらない部分は多々ありますが、 基本的な種の分化は地理的に隔離されることから始まるのではなく、多様化と固定化で始まります。 話をロボットに変えましょう。 反抗しない奴隷としてのロボットができたとします。 労働や生きる為の殆どを肩代わりしてくれたとします。 でも、パートナーを選ぶのが自由なら、 より自分が魅力あるものにならなくてはならないので、 ただ生きる為以上の物を求め競争し続けなければなりません。 より良いロボットを所有する、あるいはロボットを多く所有する事がステータスになったり、 最悪の場合、ロボットを用いて競争相手を倒すという方向に移行するでしょう。 反抗しない奴隷としてのロボットがあれば生存競争が無くなるのではなく、 反抗しない奴隷としてのロボットは生存競争に利用されるだけとなります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 補足も長文となっていたため、補足も含めたご回答が寄せられることは難しいかと思っていたのですが、それもこんなに早くご回答いただいて、どうもありがとうございます。 〉生存競争の大部分は生殖に関わるので、それを除いた部分で生存競争を語ることはできない なるほど。そうなるんですか。勉強になります。 すぐには分かりそうにはないので、もう少し読んでみようかと思います。 いやー聞いてみるもんですね。 ありがとうございました。
No.5のJagar39です。捕捉を読ませて頂きました。 私の回答は、結局No.5に書いたことと変わりません。 つまり生物学的には「生存競争」の本質は「繁殖の競争」です。 ですので、質問者さんが空想したような社会が実現したとしても、パートナーを得るための競争はまったく変わりません。労働→経済力というようなパラメータではなく、もっと別のパラメータで人々は激しく争うようになるだけのことです。 従って、生存競争はなくなりません。 繁殖管理までロボットが行う社会が来れば、それは「人類の奴隷としてのロボット」では既にないでしょう。「ロボットが管理する人類」すなわち「人類の家畜化」という社会になっていますよね。 その社会では、とにかく無計画無尽蔵にヒトを繁殖させるわけにはいきませんから、何らかの「基準」に従って交配の組み合わせが決まり、人口を計画的に調節していくことになるでしょう。 という状況では、その「計画的な交配」によって「生存競争」が起こります。それぞれの人は何も競う意志がなく、ただ食べて寝るだけの生活を送っていたとしても、持っている遺伝子だけで交配計画が決まれば、それも立派な「生存競争」です。 ・・・ま、これは現在、ヒトが家畜に対して行っていることとまったく同じですが。 そもそも、質問者さんが空想する社会では、ヒトはまったく何の競争もしなくて良い、ということになりますかね? 生産をロボットが行うようになっても、それを維持管理することすらロボット自身に行わせるわけですか?このシステムを設計したのはもちろん人間でしょうけど、現実問題として「人間はまったくノータッチでOK」というような設計にしますかね? このシステムの成立にあたって、利権が必ず絡み、運用にあたってはもっと激しい利権の争いがあるはずなのでは? つまり、ロボットが管理するため「競争が起きない」社会が成立するためには、その前に「競争がない社会」が実現していないと不可能なのでは? なお、「種」というのは生存競争によって分化するのではありません。 まったく逆に、隔離されて生存競争を行わなくなった集団が、やがて種として分化するのです。 種分化のプロセスは、ある集団が地理的に隔離されることから始まります。これは海水面が上昇して海に分断されたとか、寒冷化によって集団の間にある山を越えることができなくなった、などによります。 地理的に隔離されて長い世代数が経過すると、元は同一種であった集団間で遺伝子の行き来がなくなりますから、次第に集団間で遺伝子プールの構成が異なったものになってきます。つまり片方の集団内で起きた突然変異は、その集団内でのみ広がるので、もう片方の集団には伝搬しなくなるということです。 そうして形態的にも差が現れたり、習性に違いが現れたりすると「別種」として分化が成立するわけです。 人類も、南米の人とアフリカの人では、地理的隔離が起きて10万年ほど経っていますから(モンゴロイドとヨーロッパ人でも数万年は経過している)相当互いに違った人種になっていて、亜種または種として分化していく過程であったわけです。この数世紀で地理的隔離が半ば解除された状態になっているので、また均一化しつつありますが。 ですから、「生存競争が種分化を招く」のではなく、結果的には「生存競争の相手ではなくなったことから種分化が始まる」のです。 なので、現在の人類社会は、以前のような狭い地域ごとの「競争」ではなく、政治的にも経済的にも全世界規模の競争になっています。競争すると言うことは、人の行き来があると言うことで、すなわちこれまで互いに孤立していた国や人種間での「交配」が多くなっている、ということです。 ということは、人種は均一化の方向に進み始めているわけです。 これが質問者さんが空想するロボット管理社会になった時にどうなるかというと、まあその「プログラム」次第でしょうね。 均一化しようとするプログラムも組めますし、遺伝的特徴を分化させる、すなわち種分化を加速させるようなプログラムも組めるでしょう。 この点は、人類は家畜の育種で豊富な経験を持つので、人類をいくつかの種に分化させることくらいなら、現在の科学力でも容易です。 そんな社会、ロクなものではない・・という気はしますが。 いずれにしろ、質問者さんが空想するほど「競争がない社会」は容易には実現できない、というのが私の回答です。 もし実現すれば、その時人類がどうなるかは単純に「管理者」次第です。人に管理されている牛や豚が絶滅しないように、人も絶滅しないだろうとは思いますが。その管理者が人間並みに有能であれば、ですがね。
お礼
ご回答ありがとうございます. まさかこんなに早く補足へのご回答を頂けるとは思ってもいませんでした. 話がまだあやふやですし,長文でしたから. 感激です. ありがとうございます.
- moritan2
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世の中のあらゆる生産活動はロボットが行い、人間はロボットに飼育されているだけの存在になる場合を想定されているのでしょうか? 今はSFですが、遠い将来にはそういう時代は来るかもしれません。 そうなったら生存競争がありませんから、いろいろな能力は遺伝子の複製エラーにより劣化して行くでしょう。生存競争があれば劣化した遺伝子は子孫を残せませんが、高性能の飼育ロボットがいますから、能力がなくても生き残れます。遺伝的な欠陥があっても高性能のロボット医が生かしてくれるかもしれません。 そうなると人類が滅亡することは無いかもしれません。しかし、これが人と言えるのか? という意味ではすでに滅亡しているのかもしれません。 遺伝子の劣化に抵抗するなら、なんらかの生存競争をするしかないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます. まずはご返事までです. ありがとうございます.
生存競争というのは、勉強や労働だけでなく、それこそ生きている動物が行う全てのことにかかってきます。そしてそれはその生物が置かれている環境によって「何が有利で何が不利か」というパラメータが異なってきます。 そして「生存競争」の本質は「子孫をどれだけ残せるか」です。 子供を作ることなく80歳まで生きた人と子供を1人作って30歳で死んだ人では、生物学的には後者が勝者です。 さらに例えば、子供を1人作って80歳まで生きた人と子供を2人作って30歳で死んだ人では、この時点では後者が勝者ですが、もしそれぞれの子が、前者の子は3人の子を作ったが後者の子はそれぞれ1人の子しか作らなかったとすると、その時点では前者が勝者ということになるでしょう。 こうなると、「生存競争」は労働や勉強だけでなく、生物としての全ての形質が関わることだと理解できるでしょう。 現代の人類社会では若くして肥満になる体質の人は「生存競争」の上では不利でしょう。女性にモテないので、平均すると子孫を残せる確率が低くなるからです。でも、ちょっと前までの中国のように、肥満体型の人の方がモテた(肥満=社会的地位の高さを意味した)社会もあったように、「子孫を残すのに有利になる形質」は文化によってけっこう早いペースで変遷しています。 これら全てが「生存競争」です。 なので回答としては、「人類が生存競争から解放されることはない」でしょうね。 人間自ら、あるいは何か別の存在によって、人間が「家畜化」されれば、今で言う意味の生存競争はなくなるでしょうけど、ヒトを無作為無制限に増やす状況は考えられません。生物学的にも社会的にも無意味だからです。 繁殖に対し、何らかの制限や選択がかけられれば、それは立派な「生存競争」です。 例を挙げれば、牛はヒトの手によって管理され、何もせずともエサを与えられ、繁殖相手をあてがわれるわけですが、同時に牛自身にとってはまったく意味がない「1日当たりの牛乳の泌乳量」などというパラメータによって、ヒトに厳しく選抜されているわけです。 牛にとっては、自分が生む子牛の体重が40kgそこそこなのに、1日に40kgもの乳を泌乳することはまったく意味がないのですが、1日20kgしか泌乳しない牛は繁殖相手をあてがわれることなく淘汰されるわけです。 つまり、牛はその乳量によって生存競争をさせられているわけです。 というわけで、人類が現在闘っている自然淘汰(人類自身が造り出した社会環境も含めて"自然"です)による生存競争から解放される方法は、人類の繁殖を誰か(人類自身か人類以外の何者か)によって管理すること以外にないのですが、そうなれば今度はその「誰か」の都合による「人為淘汰」による生存競争が始まるだけなので、結局人類だけでなく生物が生存競争から解放されることはない、ということです。 なお、種の分化に関しては「人為淘汰」の方が遙かに強力な選択圧をかけることができるので、むしろ多様化する可能性の方が高そうです。 人類が犬を、たった数万年でここまで多様化することに成功したのが何よりの実例です。
お礼
ご回答ありがとうございます. >そして「生存競争」の本質は「子孫をどれだけ残せるか」です。 > 子供を作ることなく80歳まで生きた人と子供を1人作って30歳で >死んだ人では、生物学的には後者が勝者です。 なるほど.生物学的にはそのように考えるのですね.生物は習ったことがないもので.. 興味深かったです. 他,少し私には難しいので,もう少しよく読んでみようかと思います. ありがとうございました.
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お礼
ご回答ありがとうございます. >人類家畜化プログラム なんか話の流れから,エヴァンゲリオンの「人類補完計画」を思い出しました.最近また見ましたけど面白いですよね,エヴァって.最後の方よくわかんないですけど(笑) >「生存競争がなくなっただけでは人類が絶滅することはあまり >考えられない」 >「問題は、その後に環境が変わって生存競争が復活するような >状況になった時にどうなるか」 >「その時は、なるようになる」 >「絶滅するかどうかは、その新しい環境とその時の人類の状況次第」 わかりました. 後,経サイエンスの2009年4月号「進化する進化論」を研究室で見つけて,ちょっと読んでみました.確かにあれで1400円は高いですよね(笑) 大変参考になりました.ありがとうございました.