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納税
こんばんは。 どうして、納税、するのでしょう? (原爆を投下するため?ミサイルを発射するため?)
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- hekiyu
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例えば、一般道路が必要だとします。 一般道路ですから、誰でも無料で使えます。 だから、こんなものは市場では調達できません。 だから政府が供給しなければ、誰も供給しません。 しかし、一般道路はどうしても必要です。 道路を造るにはお金がかかります。 そのお金は税金で、というのが原則になります。 なぜなら、一般道路で利益を受けるのは国民 だからです。 納税の副産物として、民主制への寄与があります。 自分が納めた税金に関心が向く、ということは他ならぬ 政治への関心を意味するからです。 かくして、経済的にも、政治的にも、納税は 肯定されることになります。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
政府という会社に、国家として公共サービスを委託する代金。
お礼
psytex様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 会社のサービスであれば、他の会社と較べたり、購入しないことも出来るわけですが、 Ano.2様のご回答から、 「ヘーゲル」的な「国家あっての人間」という見方をしてしまうと、 それはどうも、マズイことのように思われます。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
ヘーゲルの「法の哲学」によれば、私たちの社会は「家族・市民社会・国家」の3つの交換形態からなる社会です。 現代社会の「構造」であるとともに、人類は歴史的に、そのような3段階を経て、発展してきました。 家族は古代の共同体、そして国家は古代の氏族制の国家から、中世の封建制の国家から、近世の絶対王政の国家から、近代の共和制の国家へと変遷してきました。 そして市民社会は同時に資本制の社会ですから、ヨーロッパでは16世紀以降、登場しました。 共同体では、物品は基本的に「贈与」で行われていました。 「贈与互酬制」と言います。 モースの「贈与論」によれば、人に物をプレゼントすると、「マナ」とか「ハウ」という霊が一緒についてきて、プレゼントされた人はお返しをしないと、霊に祟られたと言われます。 今でも、家族の中では、物品は「贈与」によってやり取りされています。 この場合は「純粋贈与」といい、お返しをしなくてもいい、と言われます。 たとえば、主婦が家事労働をしても、それを金銭で支払えとは言いません。 また、父親が子供の養育費を出しても、子供にそれを支払えとは言いません。 ところが市民社会ではそうは行きません。 市民社会は資本制の社会で、何事もお金です。 人を雇う時もお金、誰もただでは働きません、誰もただでは人を雇えません。 そして共同体は、みんな一緒に助け合いますが、市民社会では、みんなお互いに敵だから、助け合うことは滅多にありません。 資本制の社会では、どうやって競争相手を蹴落とすか、そういうことばかりを考えています。 共同体では、みんなが助け合い、友愛を育みますが、市民社会では、道徳的なことを言っていては、生きていられないから、道徳なんて言っていられません。 そして市民社会が激しい競争社会だということは、富める者はますます富み、貧ししいものはますます貧しくなるということ、貧富の格差が拡大します。 競争から脱落した人は食べて行けなくなり、餓死するしかなくなります。 これを経済的に言うと、資本制の社会は「商品交換」から成り立っています。 人間もその「商品」の一つです。 人間でなく「商品」。 ヘーゲルは「共同体」では、「人倫」がよく保たれるが、市民社会では、「人倫」は失われると言っています。 「人倫」とは、人間の人間らしい在り方のこと。 資本制の社会では、それが失われる、ということです。 そこに「国家」の存在意義があります。 ヘーゲルに言わせると「国家」は回復された「共同体」です。 市民社会で互いに敵対する市民は「国家」の中では、「国民」であり、そして「国民」は互いに仲間であり、同胞です。 職業の違いを乗り越え、一つに結束します。 そして「国家」の中で「国民」は友愛を育み、「人倫」を回復し、人間性を取り戻します。 経済的に言うと、「国家」は「収奪と再分配」によって成り立っています。 国民から税金を徴収し、ことに所得の高い人からより多くの税金を徴収し、それを貧しい人たちに、社会保険・雇用保険・厚生年金・生活保護という形で還元し、「国民」の平等を図り、最低限の生活を保障することで、「国民」の融和を図ります。 経済格差の拡大に対しては、累進課税を高くして、それを貧しい人、低所得の人に「再分配」することで「国民」の不満を和らげます。 あなたは、「なぜ納税するのか?」と質問しますが、「国家」による「収奪と再分配」にそれが必要だからです。 「国民」の福祉に必要だからです。 「国民」の不満を和らげ、暴動を防ぐために必要だからです。
お礼
koosaka様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「ヘーゲルの「法の哲学」によれば、私たちの社会は「家族・市民社会・国家」の3つの交換形態からなる社会です。 現代社会の「構造」であるとともに、人類は歴史的に、そのような3段階を経て、発展してきました。」 「納税→国家」とは短絡的?・・・しかし、「国家」とはまた、イヤラシイ名付けですね。 >「家族は古代の共同体、そして国家は古代の氏族制の国家から、中世の封建制の国家から、近世の絶対王政の国家から、近代の共和制の国家へと変遷してきました。」 「「信教の自由」が認められる地域」は、アメリカで最初に、可能になったのでしたか ・・・それから「人権不可侵」、どうも、ありがたいことです。 >「そして市民社会は同時に資本制の社会ですから、ヨーロッパでは16世紀以降、登場しました。 共同体では、物品は基本的に「贈与」で行われていました。 「贈与互酬制」と言います。」 そうですか。 >「モースの「贈与論」によれば、人に物をプレゼントすると、「マナ」とか「ハウ」という霊が一緒についてきて、プレゼントされた人はお返しをしないと、霊に祟られたと言われます。 今でも、家族の中では、物品は「贈与」によってやり取りされています。 この場合は「純粋贈与」といい、お返しをしなくてもいい、と言われます。 たとえば、主婦が家事労働をしても、それを金銭で支払えとは言いません。 また、父親が子供の養育費を出しても、子供にそれを支払えとは言いません。」 まあ、そういう「時代」も、あったのでしょう。 >「ところが市民社会ではそうは行きません。 市民社会は資本制の社会で、何事もお金です。 人を雇う時もお金、誰もただでは働きません、誰もただでは人を雇えません。 そして共同体は、みんな一緒に助け合いますが、市民社会では、みんなお互いに敵だから、助け合うことは滅多にありません。 資本制の社会では、どうやって競争相手を蹴落とすか、そういうことばかりを考えています。 共同体では、みんなが助け合い、友愛を育みますが、市民社会では、道徳的なことを言っていては、生きていられないから、道徳なんて言っていられません。 そして市民社会が激しい競争社会だということは、富める者はますます富み、貧ししいものはますます貧しくなるということ、貧富の格差が拡大します。 競争から脱落した人は食べて行けなくなり、餓死するしかなくなります。 これを経済的に言うと、資本制の社会は「商品交換」から成り立っています。 人間もその「商品」の一つです。 人間でなく「商品」。 ヘーゲルは「共同体」では、「人倫」がよく保たれるが、市民社会では、「人倫」は失われると言っています。 「人倫」とは、人間の人間らしい在り方のこと。 資本制の社会では、それが失われる、ということです。」 ・・・まあ、そういう時代も、あったのでしょう? >「そこに「国家」の存在意義があります。 ヘーゲルに言わせると「国家」は回復された「共同体」です。 市民社会で互いに敵対する市民は「国家」の中では、「国民」であり、そして「国民」は互いに仲間であり、同胞です。 職業の違いを乗り越え、一つに結束します。」 ああー、マルクス論でですね、「「会社」とは、実は不可欠とされているんだ」とか そういうのを読みました。 ヘーゲルでは、「市民社会」をそこまで危険視(自然視?)するのですか。 >「そして「国家」の中で「国民」は友愛を育み、「人倫」を回復し、人間性を取り戻します。 経済的に言うと、「国家」は「収奪と再分配」によって成り立っています。 国民から税金を徴収し、ことに所得の高い人からより多くの税金を徴収し、それを貧しい人たちに、社会保険・雇用保険・厚生年金・生活保護という形で還元し、「国民」の平等を図り、最低限の生活を保障することで、「国民」の融和を図ります。 経済格差の拡大に対しては、累進課税を高くして、それを貧しい人、低所得の人に「再分配」することで「国民」の不満を和らげます。」 「国家あっての人間」という、それは、ちょっと本末転倒というイメージですね。 それでは、納税する者の意思などには無関係に、 「「国家」こそが本来的に必要であるからこそ、ある」みたいな話ですか。 (ああ、ドイツやイタリアが後進(新興?)だったのは、歴史的に「中央集権」ということが遅れたから、 だったですか) >「あなたは、「なぜ納税するのか?」と質問しますが、「国家」による「収奪と再分配」にそれが必要だからです。 「国民」の福祉に必要だからです。 「国民」の不満を和らげ、暴動を防ぐために必要だからです。」 そうですね。Ano.1様のご回答からもうかがえたのですが、 それはそもそも「必要悪」というのが、本来的な姿ですか
そもそも人間社会とは一体何の為にあるのでしょうか。私の考えですが、厳しい野生の世界の中で他の生き物に捕食されたり、人間同士で互いに生きる為に殺し合ったり傷つけ合ったりしないよう最低限の助け合いをする為、社会とそのルールは形成されたと考えています。 社会の一定の秩序の中でこそ、我々か弱き人間は安定した生活が送れます。その秩序の中でお金を得て、そのお金を使って食べ物を買い生活しているのなら、貴方も社会を利用し生きているのです。社会が無ければお金なんて物は成立しません。税金を納める理由には十分ではないでしょうか? たくさん集まった税金は、社会人みんなで選んだ人達が使い途を決めます。 原爆やミサイルといった使い途を望まないのなら、そういった使い途を選択しない政治家を選ぶか、貴方が政治家になりましょう。選挙権も被選挙権もあるはずです。 まあ、戦争だなんだという社会の風潮を感じると、そんな愚痴って言いたくなりますがね(笑)哲学カテゴリだったんでグダグダ書いてみました♪
お礼
tanuhei様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「そもそも人間社会とは一体何の為にあるのでしょうか。私の考えですが、厳しい野生の世界の中で他の生き物に捕食されたり、人間同士で互いに生きる為に殺し合ったり傷つけ合ったりしないよう最低限の助け合いをする為、社会とそのルールは形成されたと考えています。」 地域性ということも、あるのでしょうか、小生の住んでいる地域で良く見かける看板は「チカンに注意」、ですが、ちょっと離れた町まで行くと「空き巣に注意」です。 >「社会の一定の秩序の中でこそ、我々か弱き人間は安定した生活が送れます。その秩序の中でお金を得て、そのお金を使って食べ物を買い生活しているのなら、貴方も社会を利用し生きているのです。社会が無ければお金なんて物は成立しません。税金を納める理由には十分ではないでしょうか?」 自由とか平等という問題は、どこまでも付いて回りそうですね。 納税と、それによって成り立つ「制度」というのは、制度ですから、 「人間の作る制度によって、人間が困る事態というのは、おかしい」と、 小生などは、小中学校で習ったものです。 >「たくさん集まった税金は、社会人みんなで選んだ人達が使い途を決めます。 原爆やミサイルといった使い途を望まないのなら、そういった使い途を選択しない政治家を選ぶか、貴方が政治家になりましょう。選挙権も被選挙権もあるはずです。」 選挙に、どのように臨むか、というのも人それぞれ、あるだろうと思いますが、 納税については、小生でも少なくても消費税は、払っております。 納税によって出来る制度とは、最初から「必要悪」という宿命を負うでしょうか (それなら、もしかすると、公務員の給与から下げるのがスジ? 「民間で出来る事は、民間で」で、公務員のお仕事は減少でしょうか)
お礼
hekiyu様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「例えば、一般道路が必要だとします。 一般道路ですから、誰でも無料で使えます。 だから、こんなものは市場では調達できません。 だから政府が供給しなければ、誰も供給しません。 しかし、一般道路はどうしても必要です。 道路を造るにはお金がかかります。 そのお金は税金で、というのが原則になります。 なぜなら、一般道路で利益を受けるのは国民 だからです。」 「日本の道路は、世界一(1990年当時)」だったらしいですが これまでの「ご回答」の流れからすると、 それも「必要悪」ということになるでしょうか、 鉄道には「私鉄」というのがあり、国鉄も民営化されましたが、 「必要悪」という宿命から解放されて、晴れて自由に?なったのでしょうか、 でも「規制」とかは、あるでしょうし、 結局は、どこまでいっても「必要悪」から逃れられませんか。 >「納税の副産物として、民主制への寄与があります。 自分が納めた税金に関心が向く、ということは他ならぬ 政治への関心を意味するからです。」 そうですね。 「マニフェスト」とは「食堂のメニュー」でしたか。 「そのために、これだけの納税をしてくれ」というのが、スジ? >「かくして、経済的にも、政治的にも、納税は 肯定されることになります。」 否定は、しない積りなんですが、どうも「必要悪」らしい。 (「必要悪」なら、必要最小限度にして、減らせるものなら減らしてしまおう、というものか)